昨日は、「もし自分が今高校生だったらどう思うか」を書いた。
今日は、今、もしくは、高校球児でなくなったあとの自分から
見た場合について書こうと思う。
現役(高校球児)のときは、夏の地区予選からつながっている
「甲子園」という目標がなくなった絶望感がメインの感情だが、
大人になって思うことは、「甲子園」への道ではない。
昨日も書いたが、強豪校ならまだしもそうでない高校は、
現実的には甲子園なんて夢のまた夢。
別に甲子園大会がなくなっても、もともと甲子園に行けなかった
のだから(そのような実力だったのだから)、とくにどうってことは
ないのではないか?
確かに、それはある。しかし、別の損失というか、違った感情(残念さ)を
抱かざるをえない。
それは、
「真剣勝負」ができなくなることだ。
ほとんどの球児が、高校で野球をやめると思う。
プロに行けるのはほんの一握り。
大学や社会人で野球をやれるのも、これまた高校球児のほんの数パーセント
だろう。
あとやれるとしたら草野球くらいしかない。
ただ、草野球はあくまでも草野球であり、
僕も、「最後の夏」がおわってから草野球をやったことがあるが、
「勝負」という見方をした場合、それは高校球児のときの公式戦(特に夏の大会予選)
とは天と地ほどの違いがあった。
もちろん、草野球でもかなりのレベルでやっている方々もいるし、
大会だって開かれているから、草野球は真剣勝負では無いとは言えない。
ただし、実際にはそういう草野球のチームに入って野球を続ける人も
やはり稀であるのも現実だと思う。
「野球の楽しさ」を味わうという意味では、僕からすれば、ある意味草野球のほうが
たのしい。
でも、「勝負」をするあの緊張さ、真剣さ、厳しさ、そしてそういったなかで
勝つことの喜び、負けたときのくやしさというのは、草野球では味わえない。
僕は高校球児のときにはそのことはわからなかった。
大人になって草野球をやったときにそれを感じた。
「ああ、もうあのときのような真剣勝負はできないんだな」と。
もしかしたら、それは人によって違うのかもしれない。
僕はキャッチャーだったので、もしかしたらほかの元球児より、
その違い(高校時代の野球と草野球)が強いかもしれない。
※なぜキャッチャーだとそうなのかは、また別の機会に書こうと思う。
結論として、
「ああ、君たち(今の高校球児、特に3年生)は、もう一生野球の真剣勝負
ができなくなってしまうんだなぁ。ほんとにかわいそうだなぁ」
というのが僕の今の心境です。
僕なんかは、今でも、「ああ、あのころに戻って甲子園を目指したい」なんて
ことは思わない。
でも、「あの時代に戻って、もう1度、真剣勝負で野球をしたいなぁ」とは
なんども思った。
地区大会については、まだ中止と決まったわけではない。
なのでまだ真剣勝負の機会は残っているともいえる。
でも、昨日書いたように、地区大会は「甲子園につながっている」から
その価値というか重みがあるので、甲子園への道がなくなった状況で、
それがどれだけの価値や重みがあるのかはわからない。
それでも、やらないよりはやったほうがいいに決まっている。
ぜひ地区大会をなんらかの形でやってほしいと思っている。
プロに行けるか、大学に野球推薦で行けるか、そういうレベルの人に
とって甲子園大会はまさにセレクション会場であり、それがなくなった
ということの損失もあると思うが、
大部分の高校球児にとっては、僕は、「人生の最後の真剣勝負」の場が
なくなったという意味のほうが、言葉に表しきれないほどの残念さを
感じるのだ。