理想は「蝶のように舞い 蜂のように刺す」

 

最近、自宅で家族麻雀を楽しんでいる甚之丞です。

 

しかし麻雀には人間性が出るとは良く言ったものですね(謎)
 

今では週末の夜は趣味も性格も全く違う三人が唯一一緒に過ごすことが出来る貴重な時間となっています。

 


 

メダルを投入してレバーを叩く。

 

図柄が揃えば役に応じた枚数が下皿に払い出される。

 

これが自分が覚えたばかりの頃のパチスロと呼ばれるものでした。

 

 

 

 

この後2号機になってクレジット機能が搭載されましたが、あくまで遊技をスムーズに進行させる為に設けられた50枚までのものであり、最終的には下皿にメダルが払い出されてくることに変わりはない。

 

自分が初めてパチンコを打った昭和の時代には、店に入ったらまず最初に千円札を百円玉に両替していました。

 

パチスロならシマの端っこにある両替機で千円札を用意することから既に遊技が始まっていたのです。

 

現代においては失われつつあるアナログ的な作業ですが、実は映画に名脇役が欠かせないように重要な存在だったりする。

 

当時は百円玉をハンドルの下に積んで置いたり、千円札をメダル投入口の裏に挟んで遊技していたのですが、そうした行為でさえもパチンコ・パチスロを打つということに含まれていました。

 

台間の貸し出し機をガシガシやって玉を借りる。

 

大きな音がしないように手を添えてドル箱に玉を落とす。

 

最後はジェットカウンターへ自分で持って行って計数する。

 

メダルをドル箱に「木の葉積み」にする。

 

これらも全てパチンコ・パチスロを打つ事の一部だったのです。

 

なんと魅力に満ち溢れていたことか。

 

「スマパチ」「スマスロ」の普及によって、そうした部分が失われていってしまうのは非常に残念なことでもあります。

 

便利さと引き換えに楽しみが奪われるのであれば、それは決して無くてはならないものとは言えない。

 

いずれ人件費の削減になるとはいえ、その前に莫大な設備投資が強いられる。

 

全てを回収するまで計画的な営業ができている店がどれだけあるだろうか。

 

近年、全国的に空前のペースで倒産や廃業が相次いでいる事実が全てを物語っている。

 

業界には大手だけが生き残る術ではなく、是非、地域に根差した店舗が存続できる方法を模索して欲しい。 

 

便利さと経費削減を同時に追い求めれ過ぎれば、最後には店舗すら必要としない「リモートパチンコ」に行き着いてしまう気がする。

 

そこまで自分が付いて行けるかどうかは分かりませんが。

 

この先全国にカジノが普及していった場合、間違い無くパチンコ業界は現在より更に縮小していくでしょう。

 

望む訳ではありませんが、そうなったらいっそのことギャンブル性を捨てて、本来の姿である遊技への道を選択するのもありなのではないか。

 

その方が「リモートパチンコ」よりはよっぽど受け入れられる気がする。