思い出の機種紹介18
パチスロ初のCT機とされているのはネットの「クロスCT」ですが、「万枚」の合言葉と共にその認知度を世に高めたのは「ウルトラマン倶楽部3」(サミー)だと思います。
世の中に沢山のマンクラ小僧を生み出しました。
正直自分はそれ程打ち込んではいません。
確かに⑥は万枚の狙えるエクストラ設定ですが、地元では実際に明らかに⑥を使っている店など見た事がありませんでした。
万枚の看板ばかりが独り歩きし、全く現実味が感じられなかったのです。
ところが間も無く登場した「アステカ」(エレコ)は一味違いました。
「アステカ」1999年(エレクトロコインジャパン)
低設定でも甘いのは他のアルゼ(ユニバ)系と同じなのに、高設定はマンクラに負けず劣らずの万枚スペックと来たもんです。
導入台数、設置期間ともに「アステカ」に軍配が上がりましたから、高設定を入れてくる店も多く当然自分も打つ機会が増えていきました。
CT機はリプレイ以外の小役を規程枚数まで一定ゲーム間揃えまくることが出来ます。
最大150Gの間もしくは200枚を超えるまで獲得可能。
15枚払い出しのデカチリ狙いでいち早く200枚に近付け、残りG数を払い出し3枚のサボテンで維持しながらボーナスを待つという打ち方が一つの攻略法でもありました。
自分はそれをやると著しく消化スピードが遅くなるので、高設定を確信した時などには200枚直前からは数ゲーム小役を外し、残り15枚以上になったらまた200枚に近付けるという打ち方をしていましたが。
ある程度の目押しさえ出来れば充分に爆発力を引き出すことは出来る。
それと、この機種を語るのに忘れてはならないのはサウンド。
ビッグ入賞、CT突入から払い出し音まで見事に統一された世界観を表現し、特に地の底から湧き上がるような重低音はこれまで打ってきたパチスロでは感じたことが無いものでした。
あれは1999年アステカが登場して数か月経過した頃。
ある店で商店街のくじ引きで使うようなガラポンを回し、当たりが出たらパチンコの超甘釘台かパチスロの設定6が打てるというイベントを開催したときのことです。
しかも自分で台を決めることが出来るというのですから参加しない手はありません。
この時パチンコとパチスロは別々の列で抽選が行われていたのですが、自分はそうとは知らずに人の少ない方に並んでいました。
ここで悪運強く当たりの赤い玉を引き当ててしまったのです。
おそらくパチンコの当たりは10分の1、パチスロは20分の1くらいだったのではないでしょうか。
派手に鐘の音が鳴らされ「おめでとうございま~す!」と。
渡されたチケットにはパチンコ超甘釘コーナーの文字が。
「えっ、自分パチスロなんですけど、、、」
店員は一瞬戸惑っていましたが、何とか上司にお伺いを立ててもらえることに。
待つこと数分、無事パチスロコーナーのチケットと交換してもらえることになりました。
で、選んだ機種はもちろん「アステカ」。
融通を利かせてもらったのに遠慮もへったくれもありません。
日にちまで指定出来ましたので連休の最終日に挑戦することにしました。
期待に胸を膨らませて当日の朝を迎えると、その日はアステカだけで希望者が3名居るとのこと。
朝から設定6確定、しかも機械割140%の台が打てるなんて夢のようです。
今の時代なら⑥でもプラスにできるかどうか心配しなくてはならないような台ばかりですから、逆に変なプレッシャーがかかると思いますが。
あの時は出せないなんてことは一ミリも考えていませんでした。
食事休憩も取らず、沢山出ることだけを信じて回し続けた結果は、、、
総ビッグ56回、うちCT30回、獲得12,700枚!
これが自身初の万枚達成でした。
総回転数が出ないカウンターでしたので正確なところは分かりませんが、おそらく9,000回転くらいだったでしょう。
ポラロイド撮影され、しばらくの間店内に貼られていたのは嬉し恥ずかしな思い出であります。
因みにこれには店も相当懲りたのか、二度と同じイベントが開催されることはありませんでした。
イレギュラーな形でしたが、設定6と万枚を体験できたのは本当にラッキーでした。
今もアステカと聞いたらこの時のことが強烈に思い出されます。
その後すぐにリリースされた「ワードオブライツ」(ミズホ)はアステカよりボーナス確率が良く、若干機械割も高いと言われていました。
「ワードオブライツ」1999年(ミズホ)
しかしこちらもマンクラ同様地元で⑥は都市伝説。
人気実力ともにアステカには敵いませんでした。
その後更にスペックを尖らせた「デルソル2」が登場します。
「デルソル2」2000年(エレコ)
この機種も前出の2台同様サウンドが最高でした。
更にその音がCT中に止まったら連チャンなんて素敵過ぎ。
設定6を打たせてもらったあの店がアステカの次に導入したので良く打っていました。
こちらは万枚の経験は無いのですが、非常に相性が良くて半日程度の稼働や仕事帰りに5,000枚以上というのが何回かありました。
新台で導入された夕方6時からの新装開店で、他の人全員がスーパー(CT)で振り分け負けする中、一人だけ三時間で6,000枚出せたのも相性の為せる業だったのでしょう。
今でこそ波の荒い機種は好まない自分ですが、振り返ってみるとこの頃はガンガンに攻めていたんだなと改めて思いました。
その見返りに合うだけの高設定が確実に使われていたからに他なりませんが。
この「アステカ」「ワードオブライツ」「デルソル2」のアルゼ(ユニバ)系3機種は、他のメーカーではなかなか成功しなかったCT機の分野で立て続けにヒットを飛ばし、確かな一時代を築き上げました。
丁度その頃、パチンコに続いてパチスロ人気もピークアウトを迎え、業界は徐々に衰退し始めていったのです。