女性とパチンコ・パチスロは似ている。

(あくまでも自分調べ)

 

一度好きになったら気になって寝ても覚めても忘れられなくなり。

 

あの手この手で攻略(おと)しにかかりますが、そう簡単に振り向いてはもらえない。

 

中には出したことがあるから好きになったというパターンも多い。

 

しかし、それは本物ではありません。

 

本当の恋の真髄は振り向いてくれなくても貢ぎ続けるところにある。

 

どうも甚之丞です(*´ω`*)

 


 

今回は好きだったのに相性が悪かった機種を含め、「勝てなかった機種ベスト10」をレトロパチスロに限定して決めてみたいと思います。

 

対象は打ち始めの1.5号機から3号機まで、順位は貢いだ額に比例して高くなっています。

 

相性云々というよりそのほとんどが授業料みたいなものでした。

 

当然プラス収支の台は含まれていません。

 

 

それではカウントダウン!

m9(‘・ω・´)

 

 

⭐️10位 トライアンフ(タイヨー)3号機

 

空振りはお約束

伝説の黒い鍵盤筐体にはレバーならぬスタートボタン

当時シマ1列の新台入替でモーニングが1台も入っていなかったのはあなたが初めてでした

後に狂暴化したと聞きますが、ご縁が無かったという事で

 

 

⭐️9位 コンチネンタルⅡ(ユニバーサル販売)3号機

 

見た目は「Ⅰ」には敵わない

爆発力といった意味では「Ⅲ」にも劣る

遅れて登場してきた気持ちも分かるというもの

 

 

⭐️8位 アポロン(北電子)3号機

 

ジャグラーの遠いご先祖様にあたる

特殊な抽選でもしてるかのような出方はこの頃の名残か

導入直後と末期では全く挙動が違っていた

 

※ゲームセンター「タンポポ」さんで2021年撮影

 

 

⭐️7位 ワイルドキャッツ(アークテクニコ)3号機

 

フラグが消えたその衝撃は忘れることが無い

正確には貯金されてたのですよね、では30年分の利子を

え?誰かに下されているなんて有り得るんですか

 

 

⭐️6位 スーパーバニーガール(オリンピア)2号機

 

バニーガールは当時順押しで打っていました

スーバニはハサミ打ちで

それが良くなかったのか設定が良くなかったのかは分かりませんけれども

 

※ゲームセンター「タンポポ」さんで2021年撮影

 

 

⭐️5位 ベンハー(大東音響)2号機

 

ウィンクルのお店が休みの時が初めての出会い

ゲーム性はそのままなのになぜか別物の様

さすがに低設定で1回交換はきつかった

 

 

⭐️4位 アルバトロス(マックス商事)1.5号機

 

シャトル1のパネルににシールを貼ったタイプを

こちらはニューポート設置店が休みの時に行くのが決まり

吸い込みっぷりだけは相変わらずでした

 

 

⭐️3位 ファイアーバード7U(瑞穂製作所)1.5号機

 

天井が無いというのは不安要素でもありました

しかしその分設定が高めという恩恵も

謎の連チャンはそのせいだったのでしょうか

 

 

⭐️2位 トロピカーナ7X(メーシー販売)1.5号機

 

地元ではおじちゃんおばちゃんはトロピ、若者はファイアー的な風潮が

そんな中トロピから入ったのは正解だったのだろうか

目押しで小役を狙うということを覚えた自分にとって礎となった機種

 

 

 

👑1位 ニューポート(東京パブコ)1.5号機

 

何も解らず見よう見まねから始まった

高い授業料を払っても未だなお卒業できずにいるのは

パチスロで得た知識や経験が自分の血となり肉となってしまったからなのか

だとすればその最たる貢献者がこちら

 

※ゲームセンター「タンポポ」さんで2021年撮影(写真はニューポートの前身機「アーリーバード」)

 

 

 


 

TOP4機種を打っていたのは主に1987年~1990年です。

 

今では下ろすことの出来ない「永遠の貯金箱」となってしまいました。

 

ビギナーズラックなどはありません。

 

やられてもやられても軍資金が貯まれば勝負を申し込み、その度に返り討ちに遭う。

 

特にトロピ・ファイアは攻略法を駆使すれば設定0(今でいう1)でも勝てると言われていながら、当時の地元は変則打ち厳禁の上に1回交換という地獄ルールでした。

 

しかし地獄も当たり前だと苦痛には感じなかったものです。

 

まるでストーブを焚いて酸素が薄くなっていく部屋の中に居る様に。

 

苦しさも感じることなく回し続けました。

 

良く使えるお金が有ったものだと思いますが、パチンコの方では勝てていたのです。

 

それを右から左へ横流ししていた状態。

 

しかし、それでも毎日が本当に楽しかったんですよねえ~

 

勝っていた時期より、負けても勝ちたいと必死になっていた時期の方が何倍も。

 

週末は打ちに行けば必ず誰か知り合いがいて、帰りにはご飯を食べに行くか人数が集まればそのまま麻雀になだれ込む。

 

徹夜してまたパチンコ屋に並ぶ若さもありました。

 

自分がパチスロで勝てるようになったのは2号機が登場してから。

 

抽選が完全確率方式となり(一部小役フラグの貯留機能は残りました)一見付け入る隙の無いマシーンになったかのようでしたが。

 

この頃1回交換のルールから無制限に切り替える店が増え、誰も箱にメダルを持っていない状況にならないようにある程度高設定を使う必要があったのではないかと思います。

 

1.5号機時代に比べ一気に勝てる頻度が多くなりました。

 

中でも「ウィンクル」には思い入れが強く、今なお最も愛すべき一台になっています。

 

「ウィンクル」(高砂電器産業)

※ゲームセンター「タンポポ」さんで2021年撮影