自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子
グサる(°▽°)
CR機の歴史
⭐️CRギンギラパラダイス(三洋)1995年
名前を聞いただけで白飯三杯くらい食べられそうですが、かつて隆盛を誇っていたCR機も今やその名称、機種ともに市場から消えつつある。
このギンパラが導入された1995年にパチンコ業界はピークを迎えたと言われています。
CR機が先頭に立ってパチンコブームを牽引していたのは間違いありません。
歴史的には、少し前の1990年台に入ってすぐメーカー数社がCR機の開発を始めています。
その後ひっそりと発売されるも当初は全くと言っていい程ヒットせず、ホールでその姿を目にすることはありませんでした。
自分が初めてパチンコを打った頃は、100円を1枚ずつ台と台の間にある機械に入れ、手でガシガシとやりながら玉を借りていました。
羽根モノからデジパチへと階段を登り、徐々に荒い勝負をするようになっても、500円玉の玉貸し機には抵抗があったものです。
それが最低でも1000円札がないとカードが買えない、借りた玉が台から出てくるというようなCR機に対して世間が拒否反応を示したのは仕方がないことでしょう。
折しも保留玉連チャン機ブームの真っ只中。
91年に新要件機が登場してもなお、まだまだ旧要件機の人気は衰えを知らなかった。
やや間が空いて、1993年に発売された西陣の「花満開」の大ヒットから急速に導入が進んでいったのです。
ダー○ー物語事件などの他にも導入加速の背景となった要因は多々あると思いますが、その辺は個人の邪推も含まれますので参考までに。
思えば、そんなの打つもんか!などと突っ張っていた自分も、「CR黄門ちゃま2」が登場する頃にはすっかり夢中になっておりました。
いつだったか東京へ行った時に、外国人が変造したパッキーカードを大量に売り捌いているのを目撃しました。
もちろん買いはしませんでしたが、ふらっと入ったホールで一目でそれと分かる使用済みのカードが沢山捨ててあるのを見て複雑な気持ちになったのを覚えています。
このカード方式は後に姿を消していきました。
ダメなものはダメなものとして淘汰されていった歴史もあるのです。
パチスロの爆裂4号機から5号機への転換期にもかなりの衝撃が走りました。
出玉も少なく一撃性に欠ける台ばかりになり、その落差に誰もがその先への不安を抱いたはず。
古くは手打ちの台から電動の打ち出しになり、ついていけなくなったプロ達が沢山廃業したなんて話も聞いた事があります。
それでも我々ユーザーは、文句を言いながらも与えられたものの中で自ら取捨選択してきたのではないでしょうか。
これからはパチンコはP機、パチスロは6号機だけになります。
どこかの誰かが褒めているものを良しとして、批判されているものは悪と決めつける。
現代社会に氾濫する情報に溺れ、目まぐるしく変わる世の流行りに乗ることが正しいと妄信する恐ろしさよ。
自分が一旦心に決めたものを簡単に諦め、勝手に好きになっておきながら、振り向いてくれないと分かった途端に敵とみなすのか。
このところ考える時間は沢山あった。
パチンコが悪になったのではなく、順応出来なくなったのは自分の方。
まだ見ぬ未来に唾を吐いている場合ではない。
どうやら見限るには少々早過ぎたようです。
待ってろパチンコ、パチスロよ、まだ終了のゴングは鳴っておらぬ。
(茨木のり子 著)