『ニューポート』(東京パブコ)1987年

 

パチスロはこれまでの1号機へ改造や不正基板の対策が施され、多くが内部仕様はそのまま1.5号機として世に出回っていました。

 

今回は、そんな頃に自分が初めてパチスロを打った時のことを書きたいと思います。

 

 

パチンコ屋に出入りするようになってからその存在は気になっていたものの、決して足を踏み入れることの無かった場所が有る。

 

それが「スロットコーナー」だった。

 

 

自分の知る店でのそこは、明らかに打っている人の熱量が違っていました。

 

コイン投入からレバーを叩くまでの手つきはみな馴れたもので、回転するリールを凝視する目は血走り、何かに取り憑かれた様にボタンを連打している。

 

まさに、

 鉄火場

と言う名が相応しい。

 

時折向けられる鋭い視線をかわしながら、シマの端っこからただ様子を伺うのが精々。

 

「他所者は受け入れない」

 

そんな雰囲気が漂っていました。

 

しかし、パチンコとは一線を画す遊びにずっと興味と憧れは持っていたのです。

 

 

 

その日、自分はいつもと違う心持ちでシマの入口に立っていた。

 

自宅からチャリンコで行けるいつもおっちゃん、おばちゃんたちが優しい店。

 

「ここだったら」

 

休み中に稼いだバイト代が入ったら、この店でパチスロの初打ちをすると心に決めていたのだ。

 

しかし、今日は平日の昼下がりでシマには常連と思しき二人のお客しかいない。

 

それはそれでいい。

 

一瞬視線を感じたが、特にこちらを気にする様子も無いようだ。

 

初めてパチンコ屋に足を踏み入れた時に比べたら遥かに心に余裕があった。

 

適当な席に座り、少しだけざわついた気持ちを落ち着かせる。

 

コインを借りる場所は、カウンターの脇とシマの中央の二ヶ所にしか無かった。

 

常連さんの真似をして千円札とパチンコの小箱を手に持って借りに行く。

 

それから恐ろしくぎこちない手つきでコインを3枚投入し、レバーを叩いたのだった。

 

改めて回転するリールを見てみると更に速く感じ、絵柄一つ一つはおろか7やバーですら認識することが出来ない。

 

全く見えもしないリールを前にして、急に得体の知れない化け物と対峙しているような感覚に陥った。

 

しかし、この日の為にと準備した軍資金には多少余裕が有る。

 

千円50枚につき小役が1回揃うぐらいで、訳も分からずコイン貸出機を何回も往復しているうちにバー図柄が揃った。

 

レギュラーボーナスの天井だったのだろうか、当時の自分はそんなことを知る由も無く「狙わなくても勝手にボーナスが揃うんだ」と思った。

 

次にやってきたボーナスもレギュラー。

 

既に15000円は使っているが、初心者にそんな上手くいくはずも無いのだろう。

 

そう思ってはみたものの、その後3000円使ったあたりで急に日和りだす。

 

 

普段パチンコで20000円も使うような勝負をしていなかった自分には、このあたりが限界だったのでしょう。

 

すると、イスから腰を上げたぐらいのタイミングでシマの向こうから常連のお兄さんがこちらに向かってすっ飛んできた。

 

 

理由は分からなかったが、

 

「やめんのか?」

 

その一言で、自分の知らない何かがあるのだろうとは察しがついた。

 

「ええ…」

 

その頃は、まだ小役周期や天井さえも知らなかったのだ。

 

 

残った2000円で羽根モノを打ちながら、さっきの台の行方が気になって仕方がない。

 

帰り際にそっと覗くと、下皿にタバコとコイン数枚を入れたままお兄さんはまだ元の台と格闘中の様だ。

 

お金が無くなった自分は最後まで見届けることなく店を後にした。

 

「プゥ~ウゥ~ウゥ~ウゥ~」

 

自分でこの音を鳴らすことが出来たのはまだ先の事である。

 

 

アーリーバード(東京パブコ)

 

 

1号機「アーリーバード」のパネルの上にシールを貼っただけの台だった。

 

そうか、あの台は「ニューポート」というのか。

 

名前を知る頃にはBIG、REGそれぞれに天井が有って云々、、、

 

その後もパチンコとは全く違ったスタイルに翻弄されながらも、懲りずに戦いを挑んでいくのでした。

 

 

自分にとっては永遠の貯金箱となってしまった「吸い込み方式」の1.5号機。

 

行動範囲には「ニューポート」の他に、ゲーム性が同じ「アルバトロス」(マックス商事)も設置されていました。

 

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アルバトロス(マックス商事)

 

 

後にシステムを理解することになりますが、所謂ハイエナ行為は近所の店では御法度だったので、勝つ為の立ち回りを徹底する事は困難でした。

 

たまに初心者や一見さんが知らずに捨てていった台があっても、自分の様な若造がおいそれといただく事は出来ません。

 

優先順位はそのホールに居た主からと決まっていたからです。

 

主が打たなければ、その取り巻きが小役だけを回収していく。

 

それさえも打たないのは打つ価値の無い台ということになる。

 

 

あれ以来自分は餌食になることは無くても、まだ1.5号機時代においては店の養分から脱することが出来ずにいました。

 

高い授業料を払ったのも今は良い思い出ですね。

 

この辺りで学んだことを生かして立ち回れる様になったのは2号機から。

 

逆襲の甚之丞編については、また改めて続きを書きたいと思います。