80年代の後半にさしかかった頃には

オレの生活パターンもすっかりパーティー仕様になっていく。

昼頃に仕事場に行き、業務が一段落付けばそのまま遊ぶか、

一旦帰宅して12時過ぎであろうがクルマかバイクで夜遊びに出掛ける。

で、明け方に帰って来て、寝る。

夜遊びの無い日はたいがい朝まで仕事。

こんな感じの24時間だった。

 

■宴坐前史2:伝説のbar/新宿Charly

 

昼間は廃墟のような東京の雑居ビル。

日が暮れると息を吹き返しては、酔っぱらいどもを天国へと誘う。

 

80年代後半から90年代前半。

箱では「INCSTICK芝浦」や「GOLD」などが、

ベイエリアとか言われ始めた港湾地区で流行っていた。

こんなバブル期真っ盛りの大箱がオープンする中、

各パーティーチームはそれぞれの音のジャンルを流す小箱を根城に遊んでいた。

その中でも異彩を放っていたのが「新宿Charly」だ。

ここでは727をやっていた仲間や関係者の遊び場になっていた。

さらに友だちのdjたちが「Blow Up」というイベントを

組んでいたので、足しげくナンパに通った店のひとつだ。

この「Blow Up」とはミケランジェロ・アントニオーニ監督の

映画「Blow Up:欲望」からパックったネーミングだったと記憶している。

ちなみにこの映画は一般に不条理映画と言われているが、

ロックファンには、後期ヤードバーズのステージを観ることができる貴重な映画だ。

名曲「TRain Kept a Rollin'」をライヴ演奏していて、

ジェフベックとジミーペイジのツインリードを楽しめる。

 

話をお店にもどそう。

この店のオーナーであるチャーリーさんはハワイ帰りで、実に顔の広い人物だ。

国内だけではなく、海外のdjやアーチストが
毎日来ていて、多国籍感あふれるバーだった。

営業スタイルも当時としては斬新で、

日替わりに様々なジャンルのイベントが行われていた。

エスノダブやアンビエントミュージック、ポエトリーリーディング、デッドヘッズを

知るきっかけになったのもこのバーだ。

 

そして「Blow Up」というイベントでは、

djをやり始めた友人たちの、「パーティー」という水物に対しての

若いヤツならではの試行錯誤を垣間観ることができた。

これは後に、自身のdjスタイルやパーティー・オーガナイズについて、

たくさんのヒントをもらえたと思っている。

当時の自分的にはdjそれぞれの音楽アプローチよりも、

ちょっとしたイザコザを生みながらも突き進む、

ジャンルの違う3人のdjが織りなす人間模様が面白かった。

とりまきの女の子やお客さんたちとイベントが終わるごとに居酒屋で一杯やる。

朝まで吞む。その後はそれぞれに仕事に行く。

また友達でありお客さんという気楽で居心地のよい立場で、

遊ばせてもらったことは、いい思い出となっている。

 

新宿Charlyに関しては、この他にも先輩達が「ロックナイト」や

「ボサノバナイト」などを開催していて、

本当にナンパなオレの夜遊びを楽しませてくれたと同時に、

音楽の深みを教えてくれた。

まだこの時はdjではなかったが、先輩や友人のdjが活躍する様を見て、

自分でも選曲をやってみたいと思わせてくれたお店としても

忘れられないバーなのだ。

 

その他にも数々のアーチストを育てたCharlyは

惜しまれながら閉店し10数年の歳月が経つ。

数年前に催された「新宿Charly同窓会」で、

オーナーのチャーリーさんは元気な姿を見せてくれた。

懐かしい面々がそれぞれに、当時やっていた音を披露。

なごやかで心あたたまるひと時だった。

この時チャーリーさんに、

自分はいま神戸で「宴坐」というdjバーをやっていることを

報告出来たことをうれしく思っている。

 

 

※20台後半夜遊び真っ盛りの頃と90年代に着倒したTシャツ

 

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