ススと飯は窓会

食欲はないのだけど久しぶりのまともな食事

時々寒くなるのは熱があるからかな









父の施設から来た

前はこれに父がOKを出していたのだよね



これで2万くらいにはなるのかな

外国人多いね







もうほんとにすべて金金金!

生きるとはなんだろうとつくづく思うよ

あたしはまだきょうだいがいないから

事がスムーズに進んでるけど

いるとその配偶者も口出ししてきたりして

もう考えたくもない状態になりそう


あんた一人で良かったよねと昔から親戚や

近所の人に言われてきたけど

ほんとにそうだなとつくづく思うよ


父のきょうだいに連絡しようかやめようか

迷っているのもそれなんだよねえ

父はお金を持っているときょうだいとか思っていて

その子供らもなにか困ったら◯◯(地名)の

おじちゃんの所に行きなさいといわれていたからね

いくらもう預貯金はないと言っても

信じないだろうな

あたしらがお金をぶんどってしまったから

おじさんは直葬だったんだと思われそう

いろいろ厄介!

そのいとこの配偶者もどんな人がわからないしね

お金に困っていたらこれ幸いとばかりに

何か言ってきそう

やっぱり黙っていようかな

もしきょうだいが生きていて墓参りさせてとか

言われても困るしね



火葬場で思ったことは

死ねばゴミと同じになってしまって

もうそれで終わりなんだということ


あの世も迎えに来たというのも

脳が見せる錯覚だと思った

見える人がいるとか言うけど

こうなってくると

やはり錯覚なのではないのだろうか

なぜかあたしらそれを昨日確信してしまった

だってお骨だってぎゅうぎゅう詰めちゃってるしさ

しかも係の人が新人だったから

途中の工程間違えちゃってるしね



葬式だって直葬して思ったけど

坊さんよんであれこれなんて自己満足だと思う

やらなくても全然かまわないのては?

すべてビジネスにつながっていると

思います

人がやってるからうちも・・みたいな感じでさ

それやってるからもう安心みたいなさ

祟りとかそういうのもないのかもしれない

死ねばそれて終わり

そうだと思う

まあお金のある人はやればよいだけのこと

そういうことだよ

選択肢はたくさんある




ススのところの工場の奥さん一家は

クリスチャン

クリスチャンは葬儀のやり方が違う

この度はご愁傷さまですとかクリスチャンは

いわないんだよね

お疲れ様くらいかな

現にススはそう言われた

宗教の違いによってもいろいろなんだしさ

仏教のひとはこんなでクリスチャンの人は

こんなでとかもうそれ考えただけで

こだわりはいらないなあと思った