ススの勤務しているクリーニング店の隣の

美容院の店主は

胃がんになって今は肺に転移していて

お店をしょっちゅう休んでいる

母の通っていた美容院だったから

店主に面識はあたしにも少しある

今日業者の人が来ていたそうで

もしかしたらお店を閉じるのかもね

まあ最近はしょっちゅう休むのでそんな気配は

感じていたけどさ


駅前の130年続いたせんべい屋さんも

この2月でお店を畳む

店主は85歳だったかな

見慣れた風景がなくなっていくのは

なんとも寂しいものだなあと思う

仕方ないけど時の流れはどこか切ない

諸行無常だな














今日でダンナが倒れて8年経つ

゛あの日゛のことを思い出してしまった

あたしとススは出かけていて

帰っ来てみたら自宅の電話に病院からの鬼電

留守電のメッセージを聞いてすぐに病院に

駆けつけた


そこで目覚めないダンナとERで対面して

ダンナのきょうだいに電話して

やばみも会社から飛んできて

その後すぐに手術になって

その日家に帰って来たのは20時過ぎだったな

まるで夢のような一日だった

というより実感がわかなかったな



朝は元気だったのにね

あの時駅から電話があって「行ってくるね」

って会話して

それが言葉を発した最後になってしまった

夫婦としての最後の会話

それ以来ダンナは言葉を発していない


ERの面会時間が早いので

朝8時に面会に行く生活が何日も続いたな

あの頃よく行ってたよ

今ならもう体力的に無理だろうね


あれからもう8年かあ

もうそんなに経ったのね

哀しみ苦しみ驚き

いろんなものが詰まった日々だったよ

それはダンナにとってもそうだろうと思う


あれから街の風景も心なしか変わって見える

あんたと一緒に歩いた道もあの頃とはどことなく

違って見える

あんたにとってはあの倒れた日から

体の自由も奪われてつらい日々になってしまったね

体だけではなく心もだろうけどさ


そこからリハビリ病院に入院することになって

リハビリ病院であんたは

ものすごく頑張ってリハビリして

いるように見えた

でも・・

あんたの麻痺は重すぎたよね

それはリハビリの先生にも言われた

生還したのが不思議だったみたい


リハビリの一貫で作業室で作業士さんと

将棋とかやっていたのが印象的

わかってやってるのかどうか謎だったけど

とても楽しそうだったね

その時の笑顔とか思い出すと切ない

切ないけどどうすることもあたしらには

出来なかった




あのときの2月の空

あたしは覚えているよ

どこまでも果てしなく澄みきった空だった

今日もそんな空の色だよ

今日はちょっと暖かいから会えるものなら

施設の屋上にでも連れ出して

あんたと空でも見ていたかったな






あるメンターの方のお話

「孫の将来が心配」というのは

自分の将来が心配

わたしの今が心配ということで

孫は自分

将来は今ということだと話していた

まさにそのとおりよね







介護スタッフさんの話

「介護の大変さをなぜ感じるのかというと

介護人の時間軸と自分の時間軸が違うので

その時間軸を合わせるのが難しくて

それで大変に思ってしまう

育児も同じこと


介護は重くなればなるほど

寝たきりとか体が動かなくなって

その本人の時間軸がなくなり

家族の時間軸に移っていく

寝たきりの方が楽

要介護5の方が楽

介護度が低ければ低いほど大変


家にいる人でも

自分軸で動いているので介護できる人とは限らない

だからむやみに押し付けてはダメ」

この話が今までで一番納得した!

そう、時間軸が違うから大変だと思うのよね

あたしにはホンソレでした!