米国で事業展開する製造会社の工場へ赴任して来た日本人駐在員が強いられている苦労が垣間見れるエピソードをひとつ。

 

赴任先によっては希望して駐在する方々もいらっしゃると思うけれど、それは概ね米国以外でのお話ではないかと思う。

 

製造工場と言えば、その事業内容から最低でも都市郊外か、またはそこから最低でも1時間から2時間程離れた場所にあるのが殆ど。日本食どころか、新鮮な食料品が手に入らなかったり、選択肢に限りがあったりと何かと不便。また、日本食恋しさの外食となると、韓国人、中国人、最近はメキシコ人が経経営する’なんちゃって’日本食レストランがあればラッキーな方だ。

 

単身の方にとっては終業後、’ちょっと一杯ひっかけて帰ろう’というような気分転換もほぼ叶わない。結果、慣れない自炊生活をしたり、それに独り身の寂しさも加わり辛い日も多々あるだろう。一方で、帯同(家族連れ)だと、子供の教育が頭痛の種になるし、週末土曜日は日本語補習校への子供の送迎とに時間を取られ、心身をゆっくり休める事もままならなかったりする。

 

子供が成長しての夫婦2人での赴任や、子供のいない夫婦赴任も最近では目にするようになった。上級職駐在員の奥様ともなると、日本ではご本人もバリバリのキャリアウーマンだったという方もいらっしゃる。そういう方々がビザの関係で仕事が許されず、家事専門で3年から5年アメリカで生活する事の苦労もあるだろう。

 

(近年では就労時間制限付きの就労も認められるようになって来た)

 

さて、工場の運営面から見た日本人駐在員のご苦労についての幾つかのエピソードを書いてみたい。

 

都市部から離れた地域・場所での工場勤務で一番大変なのは(優秀な)”人材確保。” これはここ3年程特に酷く・厳しい状況にあるような印象だ。(これにはCOVID最盛期・後に外で働きたくないという人材も含む)

 

ある中西部にある工場で通訳業務についていた際に目にし、経験した事。

 

この州には大手日系製造会社の北米本社や主要工場があった事から、それについて来た?

取引先の工場もその工場を取り巻くように多く散在している。こういう工場は経費削減や地元商工会議の働きによる工場誘致に伴う税金免除等のインセンティブに惹かれ、労務費・土地代が高く、環境遵法基準が厳しい都市部を嫌い、いわゆる田舎に工場建設を決定、操業を始めた所がほとんど。

 

立派な工場を建てたはいいが、まずこんな田舎では優秀な人材はそうそういるものではない。いや、見つからない。結局都市部出身・居住で、そこそこ教育を受けた人材を高給で雇う事が多い。また、他の工場から更に高い給料を求めて移ってきた人材を雇う事もある。こういう人達は、やはりどこか”難がある”事が多い。残念ながら。

 

どこかで書いたけれど、こういう方々は競争の激しい都市部での仕事が務まらなかった、見つからなかった、続かなかった人が多い。または、地元を一度も離れた事がなく、地元大学を出てそれなりの学位を持ってはいるが、実力や経験値が低い。大学を出ていればいい方で、2,3年もすれば管理職に就き、日本では考えられない程の年俸・ボーナス、待遇を享受する事になる。そして、こういう人はいくら会社の業績や本人の貢献度が芳しくなくても”長居”しがちなのだ。

 

日本人駐在員・管理者としては、こういう人達に頼らざるを得ないのが現実。辞めて貰っては困るのだ。だから、対応が”甘くなる”→”舐められる”になる。結果、皆好き勝手をしている。大概に置いて他のマネージャーも同じ穴のムジナ。お互いの怠慢・ミスや不正を咎める事も報告する事もない。持ちつ持たれつなのだ。

 

具体例を書くと、

 

そこの工場長はもう10年以上も現職にしがみついている。朝一会議で担当者からの報告を受けるだけ・・・後はほとんど仕事をしない。工場内はゴミだらけ。機械は故障したまま不具合品を産出し続けている。とても大手T社の取引先とは思えない状況なのに、何の対策も取らない。また、部下が要件(生産量)を満たす為に幾ら残業していようが、週末出勤をしようがしったこっちゃない。。。という感じ。

 

また、あるエンジニアは都市部のある州立大学で学位を取り、数年かアメリカ企業に務めた後、この田舎の工場へ部長待遇でやってきた。まだ40歳そこそこの白人男性である。彼は

現場の設備・機械管理や施設管理を任されている。

 

当時、工場の拡大計画が持ち上がり彼が先陣を切ってそのレイアウトなり、仕様決定を推進するプロジェクト責任者となる。そうなると会社側は彼がいなくなっては困るのだ。それを彼は百も承知。

 

それで。。。

 

自分の思う通りに行かないと癇癪を起す。(全くもって幼子がだだをこねるように!)そして、あくまでも自分が正しい、’お前らはバカか?’という態度で駐在員に突っかかって行く。英語の得意でない駐在員の事など全く頭になく、とにかく早口の英語でまくし立てるのだ。真っ赤な顔をしたお猿さんのように。

 

そして、時にこうした無毛の話し合い?が延々と2時間、3時間と続く。

その間に入って通訳する者はどういう思いをする、どういう影響を受けるかというと。。。

 

ある朝、私は頭痛と吐き気でベッドから起きられず、結局2日間お休みをいただく事になった。

前日、前述の彼に何時間もとうとうと怒鳴られていたから。勢いがつくと止まらない。それを聞いた後で訳して駐在員に伝えないといけない事もあって、私は必死だった。

 

翌朝、心身共に全くの拒否反応・・・で起きられなかったのだ。

 

(今こうして当時の事を思い出し、書いているだけで頭痛がしてきた。。。)

 

こんな事が許されるわけがない。許されていい訳がない。HRの部長は何をしている?

何故何の対応もされていない?

 

日本人駐在員も気の毒である。ほぼ毎日この相手をさせられている。そして、指導さえも

出来ない、許されない。他に人材がいないという理由で。。。

 

そして、更に悲惨のなのは現場の働き手確保だった。日本でも、どこでも同じだろうがこういう田舎では若い、いや若くなくても働き手がいないのだ。既存の従業員も牧畜・農業を副業にする人達も多く、基本的に残業はしない。一方で要求される生産量の確保をしないといけない。

 

こういう人手確保の策もきちんと提案・実施されていない。いわゆる地元の小規模派遣会社に

まかせっきりで、南部のある地域から日雇いをバスで乗りいれるという事をしていた。

ホリデーシーズンになるとこういう方法を取っても人手が足りなくなる。

 

そうなると、どうするか。間接要員と言われるいわゆる事務系の人が交替で現場に入る。

それでも足りないと日本人VP(副社長)が現場のセルに入ったりする。

 

”私も手伝います!”と言うと、迷惑そうな顔をされるのが落ちなのだ。

 

規定の契約業務期間を終え、自宅のある州へ戻って暫くして聞いた所によると、

今では近くの厚生施設、つまり刑務所から出たてで職業訓練を受けている人達を工場に

招き入れるという施策を取ってどうにか生産を続けているという。

 

私はため息が出た。

 

この工場での業務開始初日、その汚さに思わず「あら~、こんなに汚い工場見た事ないですねえ。」と口にした私に、人の良い大人しい若手駐在員が激怒していたと後で聞かされる事が

あったが、この時私は心の中で

 

「〇〇さん、本当にごめんなさい。冗談でも軽々しくあんな言葉を出してしまった私を

許して下さいね。」

 

と心底謝ったのでした。

 

(彼とは今でも連絡を取り合う仲となったけれど。)