幽霊労働組合 | 評議会のブログ

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宗教言うもんは、腐敗や不正が蔓延するようなもんになると「復古主義」的になる。昔(初期)に戻れと言うようになんねん。せやけど、昔も不完全やったから、最初はええかもしれへんけど、不完全さの流れを汲んで現状があるかもしれへん。「復古主義」は決してええもんやない。

既得権保持の保守にとっては、反動的なもんに映りやすいけど、ある意味、保守が保守であるべきもんを持続させる為に「復古主義」を演出する方便を使うこともあるが、あくまでも既得権益を守る為や。

アホらはその見分けができひん。現状にしがみつく言うもんから打破したいとばかり、復古主義な流れの中でナショナリズムをも煽り自己防衛防御してく。こいつらこそが「反動」そのものやねん。

かと言って、進歩的な行動を取れるか言うとそうもいかへん。理性的な立場を装うが、復古と保守の狭間で身動きがとれへんようになる。

過渡期を生き抜く知恵は、慣習とか伝統の中に埋もれたもんで打破はできひん。庶民(草の根)運動の良識の中で、良心の作用を動かしていかなあかん。

ニッポンのFPAの奴らは、それがわかってへん。統一教時代から旧約的、新約的と信仰の差別化で身の程知らずに浮かれてきたもんやから、どうしても隣りが気になり、隣りとの差で優越感に浸りたがる。せやから、強制改宗させるかのように隣りを誹謗する。

元々、ニッポン統一教徒は、「こうすれば必ず救われる」と言うもんで、懇切丁寧さ言うもんが欠けてた。メシアは完全やと言うても、自分のことは棚に上げ、偉っそうに言うて自分と言う認識がない。せやから、いろんな人らの意見を聞くことができず、政治に乗り出しては、少数者の意見を反映して合意形成しながら一つ一つやってくことより、伝統的な保守政治家に乗っ取り、そのスタイルを真似て、虚勢を貼る持論を展開させる。

そう考えてくと、果たしてニッポンのFPAは統一教とどう違うんやろか?  献金をボッタ食った韓国人牧会者のいない教会を作り上げることで、ニッポン人だけの教会に戻ろうとするんやろか?  桜井節子は耳パンを食うてた時代を言うては、当時の苦労話しを言うが、それがあって現在があると恩着せがましく言うてるんやろか?

まずは、統一教のブログ村に巣食って、既存統一教に言い勝てばええと、、、右翼街宣車のように「韓国人牧会者はニッポンから出て行け~」と言うて、嫌韓風潮に則って、ニッポン復古運動で韓国を嫌ってるようやけど、一体どこへ進もうと真父任と顕進任を神輿や山車にするんか?

今のニッポンのFPAは「統一教」でないとすると、何なん?

母任から顕進任に変えた権威主義やな。真父任の内面に直結する価値観の問題を「ニッポンならば、こうあるべきや」「この問題はこう考えなあかん」と言うても、顕進任の思い描かれるみ旨とはかけ離れても上から目線で決めつけてくアホかげん。

権威主義的でかつ幽霊集合体やな。献金上納がない分、自由を得た感はあっても墓場的な統一教のブログ村で幽霊のように化けて出てる。

そんでもってまるで、統一教の労働組合的なとこなんちゃうか?

 

 

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