真のリーダーシップを抱く為の成長過程で、有利な立場=強いほうを選ぶより、あえて弱い方を選んだほうがええ。
弱い方に付くことで、強い方に身を置いてる時には見えへんかったことが見えてくる。
ない時の有り難さ、なって見ての有り難さなど、天の父は全てを失った状態で、一番弱い立場から、愛の実現をさせてきはった。
復帰の過程で、そう言った弱さを知ってる人こそが、最強になれんねん。
強さ(サタン)の対極にある弱者(天の父)とされ、全てを受け入れられる「器」を持ってる人こそが、世界の隅々を理解できる人であり「最強」の存在となる。
歴史的にそんな境遇を経てきた基台継承がなければ、メシアは生まれへん。メシアは、ただ何もないところから突然変異で最強を身に付いて来たわけやない。身の程知らずに偉っそうに言うニッポン人はこう言った類いの真髄がわかってへん。
韓国をなめてる嫌韓どもには到底理解できひんから、自分らレベルの知性と礼儀でしか物事が図れへん。保守右翼の強い者に媚びては、弱い者に虚勢を貼る。悪魔と弱者の中間で、引きずり降ろそうとすんねん。ある意味、根っからの弱者や。
真父任は、復帰の過程であえて自分に不利なほうを選んで生きて来られた。結果的には自分を強くするだけやなく、強者(サタン)を超えた力の源を与えることができる道を切り開かれた。
復帰の道を最短にさせる怨讐を愛するまで選ばれた真父任であらせられた。
愛せ、許せ、団結? 大道廃れて仁義ありの世界観や。真父任が切り開かれた道を体恤できひんから、礼儀、礼節にまでレベルを下げた方便に過ぎへんねん。
所詮、神山程度のおっさんレベルなんぞそないなもんや。
リーダーシップを持ち得る為には、聖人として不変の「徳」が備わり、赤ん坊の状態になれる人がええ。
赤ん坊は、何もできひん。何も手にしてへん。与えられなければ生きていけへん。
ところがや、あの無垢な小さな体には、多くの人を惹きつけるパワーを秘めてる。何も言わへんけど、周りの大人らは赤ん坊に尽くす。無為自然に、、、そんでもって、赤ん坊に使われてるとは思わへんねん。
ありのまま、何もしてへんのに大人たちに尽くされ、守られ、最も弱い存在でありながら、実は最強の存在や。
親あって子や。ところが、子の為に親ありになってまう。俺は、この子の為に存在すんねんと尽くしたくなる。無為自然に、、、
リーダーたる存在もこう言うもんなくてはあかん。
その為、アベルはカインなくては、天に帰れへんと、、、カインあってこそアベルがほんまに生きるもんで、カインには、無為自然にアベルを赤ん坊のような存在と思わせなければならへん。
この姿こそが、顕進任が唱えるリーダーシップたる理想の在り方や。