罪隠して、自己都合隠さず! | 評議会のブログ

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変形した右翼の捻じ曲がったイデオロギーは、あの戦争におけるアジア解放の大義は正しかったと言うて、負けたんやけど勝ったんやと戦勝国米国と気分的に同じになる。統一教系のニッポン人にもいてる。

ニッポンの軍事的敗北を希釈化する一方で、戦勝国米国の存在感、勝者としての立場を希釈化させる。あの戦争を反省する必要も無いし、負けや反省を自虐、自虐と言えば、必要以上に自尊心が傷つかへん。

あの戦争を始めるにあたり、ニッポンがアジア解放、大東亜共栄圏のスローガンを戦争大義に掲げたことは事実や。英仏蘭の植民地やった東南アジアにニッポン軍が侵攻すると、現地住民から「解放軍」として歓迎された事実もあった。

1934年、米国議会はスペインから割譲したフィリピンを1946年に独立させることを約束した。そこへニッポンがだしぬけに1941年にやってきた。フィリピンの独立はご破算。フィリピンの対日感情はあの戦争中、アジアの中で最も悪化したんやで。このニッポンにとって都合の悪い事実は言わへんねん。

またニッポンは、南方作戦によって占領した米英仏蘭の植民地を奪い、書類上の「アジア解放」を演出したが、実際には傀儡政権やった。独立は、敗戦に至る最後まで検討こそされ、ついぞ行われへんかった。

「アジア解放」の声なんぞが美辞麗句や。

戦後、アジアの植民地が次々と宗主国から独立した。そこにあの戦争におけるニッポンの戦争大義が関与したからと無理くりに筋を通すが、ニッポンが一切侵攻してへん中東やアフリカ諸国が、なぜ次々と英仏等から独立したんやろか?

植民地独立解放は、第二次世界大戦後における世界の潮流や。ニッポンの戦争大義やない。アホか?

同じアジア人の中国に対する満州事変以降の行動に対しては、途端に寡黙になる。「アジア解放」の大義は正しいんやろ? 中国への攻撃については、当然矛盾する。とにかく一貫性がない。

そこでアホ丸出しに、勝共と言う名の反共どもは、日中戦争は共産主義の陰謀で、ニッポンは被害者やと言う。ほんで、日中戦争は侵略やないと言うトンデモない歴史観や。都合のええようにして、罪から逃れようとする天の父への反逆心そのものや。

都合の悪い事実を黙殺し、良い部分になり得るところのみを取得する歴史修正主義や。

ニッポンやなかったら、摂理はできひんかった? 敢えて他にはさせへんかっただけや。罪悪の立場を払拭させへんかったら、他から認められへんやろ?

勘違い自己買いかぶりが、無反省と盲目的肯定と自己賞賛や。韓国が正しい言うつもりは一切ないが、ニッポンの罪隠しにて掲げるもんは、美辞麗句に過ぎへん。


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