グローバル化によって、ヒトの移動が自由化され、先進国にはそれまで以上に多くの地域からヒトが集まるようになった。そんなグローバル化によって、先進国企業が開発途上国への進出を加速させた。それは従来以上に生産活動を活発化させる原動力になったが、経済的な単位としての「国家」のあり方を限りなく薄くするものでもあった。
この状況は、欧米世界で生まれた「国民」の観念が、いわば欧米世界やごく少数の例外でのみ成立する特殊なもんや。世界中のほとんどの地域では、稀に見る特殊なもん以外の何物でもないものや。
開発途上国では、ナショナリズムを叫びながらも、批判的な勢力を弾圧し、また経済的な恩恵を与えることで、分裂する国内を支配する権威主義的な政府が多くならざるを得へんかった。欧米の特殊なものを普遍的なものと植え付けてきた無理が生んだものや。
ニッポンのアホ安倍が叫ぶ「ニッポンを取り戻す」による様々な思惑は、普遍的なもんを特殊なもん(特異)なもんへと逆行させてる。発展途上国へと行く過程を作り上げてるようなもんや。
言うなれば、タテマエ上、多少なりとも欧米を意識してのニッポンのグローバル化が、開発途上国が苦労してきた状況をニッポンが引き継ぐ運命にしてることを意味してる。母国やエバ国家や言うても、結局は、自己正当化価値観、ひとつの天、ひとつの神の目線より、とぐろを巻くヘビのような国家価値観で来た報いや無理が生じてる。
トランプやその周辺支持者らが「白人キリスト教徒の共和国」を理想化して行けば、特定の文化集団の利益を「国民の利益」と位置付け、それ以外を抑え込もうとする点もニッポンとそんな大差ない。
グローバル化はグローバル化でも結果的に、選択の基準で、植民地時代以降の基準により開発途上国が抱えてきた苦悩を先進国に逆流させる契機になったかもしれへん。特にニッポンは、戦後復興と言う恩恵に預かっておきながら、今日まで非を認める言動を抑えて、自己正当化へと良識を覆し、良心にまで偽って来た。そこには、どんな効果を見出せると言うんやろか?
まぁ、こうして生まれたトランプ現象は、欧州の極右政党の林立、ニッポンのネトウヨ現象など、摂理的観点、み旨が指向するものと逆行して来たグローバル化の成れの果てや。
自己本位にて苦しい現状の財政や経済状況から抜け出ようとして作り上げて行く国家国民意識、フィクションを本当のものにしようとする試みが歪んだものとなってきた。
摂理、み旨が指向するグローバルリズムと掛け離れたもので過去回想をし、自己防衛だけに囚われ、フィクションを現実にしようとすれば、きわめて無謀と言わざるを得へん。
むしろ、そこで求められるべきは、新たなグローバル意識と国民イメージを構築することや。時代環境に適応した道徳的価値観より「過去のイメージ」に囚われることが、普遍的生産性でないことだけは確かやっちゅうことや。
完

にほんブログ村