雑教には普遍的価値がない。自分を含めた自分らだけや | 評議会のブログ

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釜山ニッポン領事館前の「平和の少女像」。これをきっかけに根深く韓日間で様々な闘争劇が繰り広げられることやろ。

口先だけで、本性を現せば、自己都合による正当性にこじつけようとするニッポンは、2015年の韓日「軍慰安婦合意」に違反し、1961年に世界81カ国が締結した「ウィーン条約」を破ったと言う。せやけど、それらをそのまんま受け入れるには限界があんねん。

韓日合意に違反やと言うてるが、少女像に関する条項があって、これは双方の解釈が当初から異なってんねん。ニッポンは少女像の撤去を合意履行の一部であり、先決条件とした。しかし、韓国は合意文の文言通り、「努力」を約束したと考えてたわけや。

また、ニッポンはこれまでなんべんも、ニッポン政府の法的責任や従軍慰安婦徴用の強制性を否定し、韓国政府の合意文の解釈と正反対やった。韓国政府はニッポンに合意違反の責任を問う代わりに自制を訴え、合意の価値を掲げた。

そしてニッポンは、相手国公館の安寧と品位を守る責務を規定した第22条を掲げてるけど、この条項の一般的な解釈は過激なデモに限られてんねん。少女像の設置まで適用させてるが、ねじ伏せる為の解釈にしたてあげとるだけや。ニッポンの都合主張に過ぎへんねん。ニッポン側の言う通りに少女像が自国公館の安寧と威厳を懸念させるほどの威力があるんやったら、その原因はニッポン自身にある。ふんっ、ニッポンの反省不足やし、贖罪の意味合いがわからへんキリスト教的一神教を逸脱した雑教精神やからや。

小賢しいニッポンは、自分らを「法の守護者」とし、韓国を「約束の破壊者」に仕立ててるが、精神的酌量のない表立っての国際法の悪用をしてんねや。軍慰安婦問題自体が何を意味しての普遍的なもんであり、法秩序に対するもんなんかかがわかってへんねん。

どうもニッポンは、島国内の自画自賛をもって、一方的な国際法解釈で慰安婦問題の争点に混乱を起こさしてる。

せやから、ニッポン風潮では、唯一なる天との摂理にアラインできひんのは、普遍的焦点や論点より、表向きの形にこだわり、形がおかしければそれだけで「悪」に仕立て上げて、自己正当化する。

俺がよう言われるんは、間違ったことを指摘すると、そないな言い方はないやろと言われる。自分が犯した間違いよりも言い方が悪いと言うだけで、そいつの間違いより悪に仕立てられる。言い方よりおまえの間違いのほうが深刻やろと言うてもそいつが犯した罪に言い逃れする為に論点を変えるようになってんねん。

それが、ニッポンの雑教八百万の多神教文化の成れの果てや。



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