その12年後、1884年(明治17)にこれが変わり、埋葬方法への規制がないなった。人種や宗旨にかかわらず埋葬してもええよと言う。はっきり書かれてないが、キリスト教徒がキリスト教式に埋葬してもお咎めないよと言うキリスト教の埋葬法が黙認された。
それまで仏式神式の葬式をせず、キリスト教の葬式をしたもんは、罪人として捕縛されてた。そう言った意味では、埋葬方法が自由になったことはキリスト教徒にとってかなりもんやったかもしれへん。
1889年(明治22)には、大日本国憲法が公布され、その28条には「日本臣民は、安寧秩序を妨げず、および臣民たるの義務に背かざる限りにおいて、信教の自由を有す」と信教の自由が掲げられた。
キリスト教も「安寧秩序を妨げず臣民の義務に背かないかぎり」許さるが、キリスト教を本当の意味で解禁したもんやない。
キリスト教徒にはキリスト教の主神を優先せなならへんから、ニッポン社会に不適合な、不都合なもんやとなれば、ニッポンの安寧を乱し、、、云々くんぬんと必ず吹っかけられ、最悪は社会混乱罪、国家反乱罪と難癖つけられる算段やった。
この憲法の条文から、キリスト教が完全に認められたと考えるわけにはいかへんねん。西洋列強に向けて近代国家の体裁を整えているように見せながら、その実、日本古来の祖法は守るという憲法条文や。
その10年後、1899年(明治32)に、不平等条約が改正され、それが施行された。
外国人居留地をなくし、外国人と日本人の雑居が始まった。国内に住む外国人キリスト教信者もまた日本の法律で裁かれる。
その為、改めて「神道仏教以外の宗教」に対する内務省令が出され、キリスト教もその他の宗教のひとつとして宗教行政の対称として扱われた。
キリスト教を、日本国内に存在する宗教として認めたことになるが、在留外国人の為の決まりごとであり、ニッポン人にもキリスト教徒がいてることを積極的に認めたわけやない。
キリスト教国との付き合いの為、その体制を整えていく過程で、ニッポンに住む外国人キリスト教徒の為に法令を整備したわけや。その周辺にいてる少数のニッポン人キリスト教徒の存在も認めるが、これ以上に大きくニッポン人キリスト教徒を増やさへんようにしてきた。
ただ、こういう施策は政府が勝手に独断専行したわけではなく、キリスト教は、民衆レベルでも激しく敵対視されてたわけやし、ニッポン風潮が、そのまま反映されたもんやった。

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