(この記事は20年以上前の記憶で書いているので不正確です)
(しかも思いついたことをダラダラ書いているだけっすよー)
先日テレビジョンを観ていると・・・
キレイな日本の街、って感じの外国の街が。
日本的といえば日本ぽいけど、某国(中国)や某国(韓国)のように近い国なら驚くことはないと思う。
看板の出し方(軒下)とか自販機っぽいものとかすっごい似てるなーと。
日本ぽい、って思う。
この国がヨーロッパにあるなんて!
東ヨーロッパのボスニア・ヘルツェゴビナ(首都はサラエボ)という国。
ちょっと前(20年くらい)はユーゴスラビアだった。
ユーゴスラビアはテニスやサッカーの強い国で、ストイコビッチや元日本監督のオシムさんなどを輩出。
ユーゴスラビアはとても複雑で、
7つの国境、6つの共和国、5つの民俗、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国
と言われ、紛争の多い地域でコソボ紛争は記憶に新しい。
第一次世界大戦の引き金となった、オーストリア皇太子暗殺事件があったのはサラエボだったりします。
現在は、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、セルビア、マケドニア、スロベニア、モンテネグロの6つの国に分かれてます。
ユーゴスラビア解体からそんなに経ってないのに、サッカーのワールドカップにマケドニア以外は出場してると思う(モンテネグロはセルビア・モンテネグロとして)。
小さな国になっても5か国がW杯に出られるなんてすげぇよ。
(もしかしたら連合することによって弱くなる可能性あるな・・・)
旧ユーゴスラビアは2つの帝国の影響を受けていて、というか支配されていて、ひとつはオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルグ家)、
もうひとつは
オスマントルコ帝国(1299年-1922年)。
ユーゴスラビアは、ギリシャの北、海を挟んだイタリアの東に位置しており、現在のトルコの北西にあります。
オスマントルコ帝国は度々ヨーロッパに進入してて、
1000年続いた東ローマ帝国を滅亡させ(1453年 ※1)イスタンブールを手にいれ、
ドラキュラ伯爵のモデルとなった「ヴラド3世 ※2」(串刺し公、ワラキア王)が支配していたトランスバニア(ルーマニア)も手中におさめたほど(1477年)。
※1 1453年はコンスタンティノープル(現イスタンブール)陥落による東ローマ帝国の滅亡のほかに、イギリスとフランスが戦った「百年戦争」が終結した年でもある。
※2 ヴラド3世はオスマントルコを4度撃退するも5度目で討死。ルーマニアでは悪魔どころか英雄です。父親がドラゴンを意味する「ドラクル公」と呼ばれていたため、ドラクル公の息子という意味の「ドラクレア」(英語ではドラキュラ)と呼ばれてたんですよね。
ここはボスニアのなかにあるトルコ街。
トルコ支配時代の建物なんですって。
逆にイスタンブールには、「アヤソフィア」と呼ばれる大聖堂(現在は博物館)があり、
東ローマ帝国(ビザンティン帝国)時代のキリスト教の大聖堂(一時期カトリックの聖堂だった)であったものの、その後オスマントルコ支配下でもイスラム教のモスクとして使用された建物があります。
イスラム教とキリスト教の融合!?
一般的には異教徒の宗教施設などは全て破壊してしまうんだけど、ときの王が名君だったりすると奇跡的に残る場合もある。
脱糞するけど、
スペイン(アンダルシア州グラナダ)にある「アルハンブラ宮殿」をご存知だろうか。
宮殿とはいうものの実際は要塞である。
(アルハンブラとは、アラブ語で赤い城塞という意味)
イベリア半島にイスラム教徒の国「グラナダ王国(ナスル朝)」があったんだけど、その時築かれたのがアルハンブラ宮殿。
1492年(コロンブスのアメリカ到達と同じ年!)に、レコンキスタ(国土回復運動or国土浄化運動)によって首都グラナダは陥落、グラナダ王国は滅亡するんだけど、
キリスト教徒たちはアルハンブラ宮殿を壊さず保存した。
どこかドラクエに出てきそうな宮殿だよねー。
それだけ文化的価値があったということで、破壊するには惜しい、ということだったんだろう。
レコンキスタはイスラム教徒に奪われた土地を奪還するという国土回復運動という意味と、キリスト教徒以外を追い出すという浄化運動だったと言われている(そう習った)。
(1492年にユダヤ教徒に対して改宗か国外退去を命じている)
憎きイスラム教徒のシンボルである宮殿(要塞)であるものの、素晴らしい建築だから破壊しないでおくということができたキリスト教徒たちも素晴らしいと思うな。
日本に天守(いわゆるお城)がほとんど残っていないのは、明治になったときに以前の支配階級のシンボルであった天守を破壊したからであって、姫路城や松本城など残ったのはある意味奇跡だと言っていいと思う。
脱糞しすぎたね(;^ω^)
ある国のなかにまったく別の建築物などが残ってる、というのが面白いなーと。
そこには歴史(不幸な場合が多いけど)があると思う。
この番組を観るまで、
トルコ建築が
日本に似た建築様式だった
なんて知らなかったよ(;´∀`)
気候も言葉も文化も違うしね。
トルコの建築様式がシルクロードを通じて伝わった可能性はあるけど、ここまで似ているのは不思議だ。
もしかしたら共通の祖先がいたりするのかも?
ともかく、ボスニアに日本的な街並みがあったなんて驚きでした。
数年前、何かの番組(もしかしたらニュース)で見たことある話題をやってた。
ボスニアには世界最大のピラミッドがあるって!
そんなのあるんだ!?
ピラミッドというと、エジプトのギザのピラミッドを思い浮かべる人がほとんどだろうね。
それ以外だとメキシコのティオティワカンとかかな。
※ ピラミッドという言葉の語源は、ギリシア語の「三角」または「三角形のパン」から来ているんだとか。
山じゃん。
いやいや、山でしょ、絶対。
って思うのがフツー。
駄菓子菓子!!
ミステリーやオカルト好きなら知っていると思う!
日本にもピラミッドがある!!
黒又山だ!
(クロマンタ)
昭和初期にとある学者(?)が唱えた黒又山ピラミッド説。
頭のおかしい人がでたらめ言っていると決めつけられてしまったこの説、実はピラミッドの起源は全て日本にあると言ってしまったからなのである。
黒又山は秋田県にある。
黒又山の周囲には古代の遺跡やストーンサークルなどがあり、何かのお墓や宗教的な山ではないかと言われていたそうだ。
ただの都市伝説だと思われていた黒又山ピラミッド説、実は1992年頃に調査が行われ、山の内部に階段状の構造物やテラスのような空間があることが判明している。
ピラミッドなのかどうかは別にして、人工的な何かが埋まっていることは間違いないんだって。
日本が世界の中心だとか、人類の起源だとか荒唐無稽な説が乱発されていた時代・・・ピラミッドの起源は日本だなんて力説してたら信用されるわけないよね(;^ω^)
僕だって信用しない。
でも他にもピラミッドがある!なんてたくさん出てきちゃったわけで(;´∀`)
画像のピラミッド案内図は広島県だったかな・・・?
前方後円墳はカギ穴みたいな形しているけど、土を盛って高くしているのはピラミッドと同じ方向性だし、
「方墳」に限ってみれば低めのピラミッドだからね。
なんでもピラミッドになるわけだ。
それよりもずーーーーーっと気になっているのが、平野にぽつんとある山。
中学校か高校のときの教科書に載っていた写真が忘れられないんですよー。
今回色々なワードを入れて画像検索してみたけど、似た画像は出てきませんでした(;´∀`)
これは香川県の山だったかな?
ぽつんと山があるって違和感あるんですよね。
むかし教科書でみたのはもっとポツンとしてた。
それがいくつもあったんだよね。
たぶん関西地方だと
思うんだけど・・・・
このピラミッドの周囲にさらに4つのピラミッドがあるって・・・
ホンマか!?
地下通路を発見して、5つのピラミッドとつながっている可能性が高いって!!
ホンマか!?
信じがたいよねー。
でも、ギザのピラミッドも地下通路で繋がっているという話もあるし、ピラミッド繋がりでありそうかな。
トンネルはすべて手作業で掘っているんですって。通路が崩れ落ちちゃうから。
1年で200メートルしか掘れないって・・・
10年かかってやっと2キロ掘ったって・・・
全て開通するのにあと何十年かかるんだよ(;´∀`)エー
予算がないんだろうけど・・・もっと人員増やしてよー。
まとまりはないけど、これで終わりです。