本年もまた、8月6日、8月9日、8月15日が近付いてきました。NHKラジオ愛聴者である梅干飴は、この時期になりますと、いろいろな投稿を聞かせて頂きます。


例1 私は、終戦の年、霞ヶ浦航空隊に入隊しましたが、練習に乗る飛行機はなく、毎日B29の爆撃を避けるための、防空壕退避ばかりを繰り返しておりました。二度と戦争はあってはいけません。


例2 私の兄は、出かけて戻りの広島駅で原爆投下にあい、落下した屋根に足を挟まれ、逃げられないうちに焼け死にました。・・・・・・・・・・(聴くに耐えません、こういうことはあったでしょうね) 二度と戦争を起こしてはいけません。


例3 米軍の戦闘機の機銃掃射から逃れて防空壕に非難する途中で、躓いて倒れました。私は、伯母の下に居たので助かりましたが、身を守った伯母はそこで命を落としました。


こういう投書は、市井の普通の人の、ごく当たりまえの感情だと思います。ところで、リュトワックの戦略論の冒頭に、『平和を望むなら、戦いに備えよ』 というローン人の知恵が、紹介されています。憲法9条の解釈が、一般日本人の常識になっていて、戦争はいけない、となって、集団的自衛権の新解釈が閣議決定されて、安倍首相の支持率が落ちました。日本人一般の感覚は、ローマ人の知恵からは、ほど遠いところにある訳ですね。


『経済力が付くと、戦争を始めた国』というのは、歴史的にはたくさんの例があるそうです。日本も、明治維新から始まって、薄氷を踏む思いで、日清・日露を戦ったという過去の歴史を持つわけで、中国が経済力をつけ、軍事力を増強し、直接ワシントンを狙う大陸間弾道弾を開発した以上、中国の軍人が、一発やってみたい気持ちを持つかもしれません。


と言う状況に対応するのに、「とにかく戦争はいけない」という感情論だけでは、話が先に進みますまい。冷静になって、リュトワック氏の言うところの『逆説的論理』を受け入れるとして、具体的には、どうするか、どうするのが良いのか、を考える必要がある、ということです。リュトワック氏は、そこん所を日本に人々よ、冷静に考えて欲しいい、と訴えているようです。


しかし、この本は、難しい。『結局のところは、自分で考えないと駄目だよ-』 という感じですが。

「戦争はいけない」で思考停止が許される時代でなくなった、と言うことですね。