私のような理科系の人間は、日本語についていままで、考えたことがありませんでした。従って、以下の記述は、水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」を読んで知ったことです。
①日本語は、世界各地で文学なんぞがない時代に、文学に用いられていた言葉である。
②漢字、ひらがな、カタカナ、を使って表記し、かつ表意文字と表音文字が混ざっている、世界でも特異な言語である。
③発達は漢文を読み下し易くするための工夫の過程で日本語が形成された。
④日本でも、昔の書き言葉としての正式な言語は漢文であった。男が漢文で文章を書いた。
⑤明治政府は、文明開化の時に、日本語に自信が持てなかった。しかし、政府の心配をよそに、主要な知識人が西洋の概念を表わす新しい言葉を漢字を使って創造していった。これにより、日本語は国語として、使える範囲が拡大した。明治政府が大学を創立し、最初はお抱え外人教師が教育に当たっていたが、留学した日本人が帰国するにつれ、お抱え外人教師とは交代していった。これにより、日本語で学問が出来るようになった。
⑥日本政府は、表意文字を駆逐しようとしたことがある。明治政府も考えたし、太平洋戦争敗戦後の政府も考えていた。
⑦現在の日本政府は、日本語をどうしようと考えているのか、不明である。相変わらず、国語の教科書は薄い。中学校の国語の時間は、現状で週3時間であるが、数学も英語も理科も、ゆとり教育の反省から時間数が増えている。
⑧国語は造られたものだ、という認識を持つべきである。日本人は日本語を粗末に扱ってきている。(確かにそうかもしれませんね・・・・・)
⑨重要なのは、読みと書きである。文語が重要である。
⑩英語教育に関する文部省の考え方は、明快でない。「学校教育を通じて多くの人が英語が出来るようになればなるほど、良い」という考えは、間違っている。
⑪英語を日本の公用語にしようという意見が一時あったが、これは今は消滅した。
⑫英語に関しては、【1】英語を日本の公用語にする、【2】日本人全員をバイリンガルにするべきだ、【3】日本人の一部エリートがバイリンガルになれば良い、という3つの選択肢の中で、水村さんは3の意見です。しかし、現状のエリートと目されている人々の英語能力は、話しにならない。
⑬欧州で学問をするための言葉は、ラテン語であった。たとえば、ガリレオガリレイ、コペルニクス、ニュートンらは、それぞれ違う国には居ましたが、書きものはすべてラテン語でした。学問をするということは、当時はラテン語で書く、ということが常識であった。
⑭現代において、かつてのラテン語に相当するのは、英語である。人間の書きものは、そのうち全部デジタル化され、ネットで検索できるだろう。あらゆる言語が、翻訳技術によってカバーされるだろうという意見があるが、おれは間違いである。機械翻訳では、皮肉な表現などは正しく解釈されない。
⑮ ⑭によって、ネット検索では英語が幅を利かせる。従って、今は英語の時代である。
⑯<叡智を求める人々>は、そのうちすべて英語で読み書きをし、発表も英語でする様になるだろう。
⑰真理には2種類あって、言語に依存しない真理(数式を多用する理工系論文がその典型例)と、表現に用いる言語に依存する真理がある。後者については、荻原朔太郎の「フランスに行きたし」を挙げています。
・・・・・・・・・・・・・・・・以上の論理展開によって、日本語を守らなければいけない と強く訴えています。