就活生に贈るジェフ町田也真人物語。人生を変えたブライダル会社の面接。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180425-00830592-number-socc&p=1
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街でリクルートスーツの大学生を見ると、ふと昔の自分を思い出し、エールを送りたくなる。
「頑張れよ。あきらめるな」
昨季からジェフユナイテッド千葉の背番号10を背負う町田也真人(まちだ・やまと)も、一般企業の就職活動を経験した1人だ。
時代はリーマンショックの影響で就職氷河期と言われた頃だ。2010年、専修大学3年生の12月。親から譲り受けたノートパソコンを開き、リクルートの「リクナビ」など、複数の就職活動サイトに登録したことをよく覚えている。
当時、専修大は関東大学2部リーグから1部昇格を決めたばかり。町田はチームの主軸として活躍していたが、プロから注目されるような存在ではなかった。年代別日本代表の経験もなければ、大学の地域選抜に名を連ねたこともない。
「本気でJリーガーになりたいと思っていたけれど、イメージはまったくできなかった」
本当にサッカーで生きていけるのか――。大学4年生を迎える前に自問自答すると、不安に駆られた。サッカーだけに専念するという道は選べなかった。
履歴書の自己PR欄にはサッカー人生を。
周りの学生と同じように就職活動の準備を始めた。新百合ヶ丘の「洋服の青山」に出向き、黒のリクルートスーツを購入。髪も短く刈り込み、履歴書用の写真も撮影した。昼夜を問わずエントリーシートを作成し、30社近くに送付。履歴書の自己PR欄には、サッカーで培ってきたことを記した。
「中学校、高校、大学と1、2年生のときは試合にあまり出場できませんでしたが、3年生になると、必ず結果を残してきました。先が見えなくても自主練は欠かさず、きっと道が開けると信じて努力しました。御社に入っても、ひたむきに努力していきます」と。
志望した業界は、ブライダル関係と化粧品関係。サッカー部の尊敬する先輩から「お前には、その業界が向いていると思うよ」と言われたことがきっかけだった。翌年の1月、2月には会社説明会に何度も足を運び、業界について勉強をした。書類審査を通過すると、筆記試験をこなし、10社ほど面接を受けた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180425-00830592-number-socc&p=2
面接で「どうしてうちに入りたいの?」。
いまでも忘れられないのは、ブライダル関係の「ノバレーゼ」という会社の採用試験だ。
1次試験は集団面接。学生5人に対して、会社側の担当者は1人。履歴書とは別に用意されたシートに自分を表現する写真を貼り付け、一人ひとりがその意図を面接官に説明するというものだった。町田はあえて履歴書と同じスーツを着た写真を選び、堂々と説明した。
「大学サッカーの試合日は、いつもスーツで会場に向かいます。この服を着ると、これから試合だという気持ちになるんです。きょうもこれから面接だ、いくぞと気合が入るのでスーツの写真を持ってきました」
面接官に実直さが伝わったのか、第1関門は見事にパス。次のステップは1対1の面談。そこで、女性の担当者に率直な質問をぶつけられた。
「ここまでずっとサッカーをやってきて、どうしてうちの会社に入りたいの?」
会社説明会のときからノバレーゼの社風に惹かれていたのも事実。明るくて、いきいきとし、ユーモアも感じたという。一番、しっくりきていた。ただ、このときに求められていた答えは、もっと核心的なことだと感じた。正直に話した。
「この場では大変失礼かもしれませんが、就職活動という経験もしたいと思いました。僕はプロサッカー選手になることをいまもあきらめていません。ただ、プロになれるかどうか不安もあります」
「それなら、サッカーの道に進むべきです」
すると、その担当者ははっきりと口にした。
「それなら、サッカーの道に進むべきですよ。ちょっとここで待っていてほしい」と言われ、しばらくすると、別の人事担当者が部屋に入ってきた。小野雅和と名乗った人は、すぐに本題を切り出した。
「いまはサッカーに専念した方がいいと思います。もしプロになれなかったときは、うちに連絡してください」
すっと名刺を渡され、そこには連絡先も書かれていた。夢を応援してくれる親身な対応に心を打たれた。その日のうちに小野さんにお礼のメールを入れると、すぐに返信がきた。
「サッカー、頑張ってください」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180425-00830592-number-socc&p=3
メールに後押しされて初優勝、J内定。
進路のことで葛藤していた21歳(当時)は1通のメールにも後押しされ、吹っ切れた。すでに予定が入っていた面接だけをこなし、一般企業の就職活動を停止。4月からはサッカーだけに打ち込んだ。関東大学1部リーグが開幕すると、背番号10のプレーメーカーは初優勝につながる快進撃を支えた。
「あの体格ではプロは厳しい」というプロ関係者の声も耳に入ってきたが、つぶさに観察していた千葉の斉藤和夫スカウトの評価は違った。味方の欲しいタイミングでパスを出せる、ゲームを読む力もある、ボールを奪うのも巧みで、負けん気も強い。
最終チェックは8月の天皇杯東京都予選の横河武蔵野FC(現・東京武蔵野FC、JFL)、町田ゼルビア(当時JFL)との試合だった。体格の勝る相手に対しても持ち味を存分に発揮する姿を見て、確信した。「プロでもやれる」。すぐに獲得の意思を本人に口頭で伝えた。
「ずっと見ていた。キミを獲得したいと思っている」と。
有力選手のほとんどは夏前にJクラブへの内定が決まっていたものの、町田が正式にオファーを受けたのは夏も終わりかけた9月。クラブが加入内定を発表したのは12月1日だった。長くて険しかった「就職活動」はようやく終わりを迎えた。サッカーに邁進し、あきらめずにつかんだ“第1志望”への内定。喜んでも浮かれることはなく、義理は欠かさなかった。
インカレ決勝、応援に駆けつけてくれた。
採用試験で「サッカー、頑張ってください」とエールを送ってくれた人事担当者の小野さんにもプロ内定を直接報告。すると、「おめでとう」と心から喜んでくれたうえに、2012年1月、全日本大学選手権(インカレ)の決勝には最初に面談した女性担当者と一緒に応援に駆けつけてくれた。そこで、町田は全3ゴールに絡む活躍で、初優勝の立役者となる。
「たった一度、面談しただけの大学生の試合をわざわざ見に来てくれたんですよ。信じられますか?」
いま振り返っても、言葉には感情がこもる。そのとき、心に誓ったという。結婚式を挙げるなら、この人たちに絶対に頼もうと――。
続き
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志望した業界は、ブライダル関係と化粧品関係。サッカー部の尊敬する先輩から「お前には、その業界が向いていると思うよ」と言われたことがきっかけだった。翌年の1月、2月には会社説明会に何度も足を運び、業界について勉強をした。書類審査を通過すると、筆記試験をこなし、10社ほど面接を受けた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180425-00830592-number-socc&p=2
面接で「どうしてうちに入りたいの?」。
いまでも忘れられないのは、ブライダル関係の「ノバレーゼ」という会社の採用試験だ。
1次試験は集団面接。学生5人に対して、会社側の担当者は1人。履歴書とは別に用意されたシートに自分を表現する写真を貼り付け、一人ひとりがその意図を面接官に説明するというものだった。町田はあえて履歴書と同じスーツを着た写真を選び、堂々と説明した。
「大学サッカーの試合日は、いつもスーツで会場に向かいます。この服を着ると、これから試合だという気持ちになるんです。きょうもこれから面接だ、いくぞと気合が入るのでスーツの写真を持ってきました」
面接官に実直さが伝わったのか、第1関門は見事にパス。次のステップは1対1の面談。そこで、女性の担当者に率直な質問をぶつけられた。
「ここまでずっとサッカーをやってきて、どうしてうちの会社に入りたいの?」
会社説明会のときからノバレーゼの社風に惹かれていたのも事実。明るくて、いきいきとし、ユーモアも感じたという。一番、しっくりきていた。ただ、このときに求められていた答えは、もっと核心的なことだと感じた。正直に話した。
「この場では大変失礼かもしれませんが、就職活動という経験もしたいと思いました。僕はプロサッカー選手になることをいまもあきらめていません。ただ、プロになれるかどうか不安もあります」
「それなら、サッカーの道に進むべきです」
すると、その担当者ははっきりと口にした。
「それなら、サッカーの道に進むべきですよ。ちょっとここで待っていてほしい」と言われ、しばらくすると、別の人事担当者が部屋に入ってきた。小野雅和と名乗った人は、すぐに本題を切り出した。
「いまはサッカーに専念した方がいいと思います。もしプロになれなかったときは、うちに連絡してください」
すっと名刺を渡され、そこには連絡先も書かれていた。夢を応援してくれる親身な対応に心を打たれた。その日のうちに小野さんにお礼のメールを入れると、すぐに返信がきた。
「サッカー、頑張ってください」
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メールに後押しされて初優勝、J内定。
進路のことで葛藤していた21歳(当時)は1通のメールにも後押しされ、吹っ切れた。すでに予定が入っていた面接だけをこなし、一般企業の就職活動を停止。4月からはサッカーだけに打ち込んだ。関東大学1部リーグが開幕すると、背番号10のプレーメーカーは初優勝につながる快進撃を支えた。
「あの体格ではプロは厳しい」というプロ関係者の声も耳に入ってきたが、つぶさに観察していた千葉の斉藤和夫スカウトの評価は違った。味方の欲しいタイミングでパスを出せる、ゲームを読む力もある、ボールを奪うのも巧みで、負けん気も強い。
最終チェックは8月の天皇杯東京都予選の横河武蔵野FC(現・東京武蔵野FC、JFL)、町田ゼルビア(当時JFL)との試合だった。体格の勝る相手に対しても持ち味を存分に発揮する姿を見て、確信した。「プロでもやれる」。すぐに獲得の意思を本人に口頭で伝えた。
「ずっと見ていた。キミを獲得したいと思っている」と。
有力選手のほとんどは夏前にJクラブへの内定が決まっていたものの、町田が正式にオファーを受けたのは夏も終わりかけた9月。クラブが加入内定を発表したのは12月1日だった。長くて険しかった「就職活動」はようやく終わりを迎えた。サッカーに邁進し、あきらめずにつかんだ“第1志望”への内定。喜んでも浮かれることはなく、義理は欠かさなかった。
インカレ決勝、応援に駆けつけてくれた。
採用試験で「サッカー、頑張ってください」とエールを送ってくれた人事担当者の小野さんにもプロ内定を直接報告。すると、「おめでとう」と心から喜んでくれたうえに、2012年1月、全日本大学選手権(インカレ)の決勝には最初に面談した女性担当者と一緒に応援に駆けつけてくれた。そこで、町田は全3ゴールに絡む活躍で、初優勝の立役者となる。
「たった一度、面談しただけの大学生の試合をわざわざ見に来てくれたんですよ。信じられますか?」
いま振り返っても、言葉には感情がこもる。そのとき、心に誓ったという。結婚式を挙げるなら、この人たちに絶対に頼もうと――。
続き
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180425-00830592-number-socc&p=4
この記事を読んで、思わず、ウルっと来てしまいました。
就活時代を思い出してしまいまた。
