『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html
『My ブログ』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049213.html
『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『銅鐸・祭儀:目次』

https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12613498044.html


『歴史再生:目次』

https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/2020/05/httpblog.html

 

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

金原政敏・歴史研究家

 

『銅鐸の分布は近畿を中心とした地域だけ』


加治木義博「大学院講義録」

 

「銅鐸はこれまで約500個みつかっているが、 
 その分布は日本列島の中でも限られていて、
次の地図のとおり大阪を中心に
西は四国と中国の東半分、
 東は中部地方と北陸の西部だけに集中している。
  

左はしにある出雲(島根県)の加茂岩倉遺跡からは、
1996年以降、
1か所で38個もの銅鐸がみつかった。
 

銅鐸は、
信仰に使われた器具であることは間違いないから、
この分布範囲がその当時の統一政権の勢力範囲を
  示しているとみていい」

「銅鐸を使う人たちの統一国家があったのね!」

 「列島全体からみれば部分的だが、
  今の府県名に相当する古代の国名に注意してみると、
 下記のリストにある
 32の国々に及ぶ連合政権のようなものが
実在したことが浮かび上がってくる」

「たしか卑弥呼たちの倭人の国も
 30か国ほどあったのでしょう!?」

 

<銅鐸の分布は近畿を中心とした地域だけ>

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E9%8A%85%E9%90%B8%E3%81%AE%E5%88%86%E5%B8%83%E3%81%AF%E8%BF%91%E7%95%BF%E3%82%92%E4%B8%AD%E5%BF%83%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%A0%E3%81%91
 

古代史の画像・日本人のルーツ: 大和説を完全に否定する銅鐸出土状況

 

古代日本へ渡来した人々の系譜

 

 

小嶋秋彦(歴史研究家)原図

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4
 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html 

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html
『My ブログ』

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049213.html
『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『銅鐸・祭儀:目次』

https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12613498044.html


『歴史再生:目次』

https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/2020/05/httpblog.html

 

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

金原政敏・歴史研究家

 

小嶋秋彦:歴史学講座「創世」主宰

歴史学講座「創世」一般

 

『銅鐸・祭儀:目次』

 

1 切明(きりあけ)神事

https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12613495716.html

2 銅鐸の分布は近畿を中心とした地域だけ

https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12614067174.html

 

古代日本へ渡来した人々の系譜

 

 

小嶋秋彦(歴史研究家)原図

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4
 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html 

 

 

 

 

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html
『My ブログ』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049213.html
『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html
『歴史再生:目次』

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

金原政敏・歴史研究家

 

小嶋秋彦:歴史学講座「創世」主宰

歴史学講座「創世」一般

 

 

<切明(きりあけ)神事>

 

切明神事(8月15日):須佐神社
※出典:須佐神社
https://www.susa-jinja.jp/event/27/31

島根県佐田町宮内(旧須佐)
宮司 須佐氏
須佐族:足名椎の後裔

素盞鳴尊を主祭神として、

稲田姫と、その父母神である

足名椎命・手名椎命を合祀する。

山に囲まれた小盆地にる古社で
『出雲風土記』による素盞鳴尊が
”この国は小さきになれども国処なり”

といって鎮まった地と伝えられる。

「延喜式」神名帳にも記載の古社で、
中世以降は武家の崇敬が厚かったという。

現在の大社造の本殿は、
天文23年(1554)の修築と伝え、
その後も数度改修を受けているが、
県の文化財に指定されている。

社宝の兵庫鎖太刀は、
戦国期の武将尼子晴久の奉納と伝え、
国の重要文化財に指定されている。

須佐神社は毎年8月15日に催される
念仏踊りで知られている。

笛役1人、鉦役3人、太鼓役1人、鼓役2人
の計7人が花笠を被り、
素足で輪をつくって踊る。

征韓の帰途この地に立ち寄った神功皇后と
その一行を迎えたのが起こりともいうが、
はっきりしない。

県下に残る唯一の念仏踊りで、
県指定の無形民俗文化財。

なお宮司の須佐家は、
素盞鳴尊の子八島手命を祖とし、
当代で77代を数えるいう旧家である。

〇旱魃、霜雨等の場合には臨時に行なう。

降雨、止雨のための祈願の祭事。

擬音は雷音を表わしているのではないか?

そしてそれは銅鐸を撥って起す音であろう。

主祭神:須佐之男命
併祀:櫛名田比売・足名椎・手名椎の3神
(名田:名椎族の神事)

切=錐:銅鐸
地中に埋祀されていた鐸を
地中より取り出して(明けて)、
降雨や止雨の、また、
例祭では農作の豊穣を祈願した神事

”切”はつまり雷神としての久那斗神、
須佐族
(荒神・Zeus ないし Poseidon を祀る Iri族)
侵入後は須佐之男命ということになろう。

須佐族:足名椎
『記』稲田宮主須賀之八耳(やつみみ)神
『紀』稲田宮簀狭之八箇耳/稲田主

〇砧・杵き ぬた=稲佐/稲種(きぬた)

◎銅鐸(きぬた)は”稲種”であるから
豊穣の祭りにおいては
地中に埋祀しなければならない。

『出雲風土記』飯石郡多禰郷:
大穴持命・須久奈比古
『播磨風土記』揖保郡稲績山、稲種

<切明神事>

https://www.youtube.com/watch?v=uLrvvzWpIRs
「はいなんもひーいてんえーをい」
「でんでごでんからかなアまみどー」
「でんとうでんでこでんどんでいえー
やしっからからかっとんでーえー
やしっからとんでー」
「からからからからからからからから
かっとんでーえーやしっからとんでー
やつッとんーてんどーでんでごてんどー
なアーまアーみどーなアーまアーしっから」

「切明」という言葉の語源は
はっきりしませんが、
村を草創(始めること)したことを
「草分け」といい草分けをした旧家を
「草分け百姓、切明百姓」、
または、
「草切」などと呼んでいる例から考えると、
この「切明」も村の形成に関わりのある
言葉であると思われます。

この神事の中心は、
笛一人、太鼓一人、鼓二人、鉦三人合わせて7人です、
笛の人は列の外側で伴奏し、
笛を除く六人は円陣を組みながら
太鼓や鼓、鉦を打ち鳴らしながら

歌詞を合唱し、
大花の中を静かに廻ります。

かぶっているものは飾りをつけた菅笠、
衣装は木綿を紺色に染めた服で、
七人とも袴を着けない着流しで、
着物の両脇を少し持ち上げた格好で

踊ります。

履物は何も履かず七人ともはだしです。

踊りは、
早い動きも、派手な技もありません。

また、

歌詞は単調ですが、
非常に難しい言葉を何度も繰り返し、
太鼓や鼓などの伴奏も、
聴く人を魅了するようなものではありません。

蝉がしきり鳴き立て、
老木が密生する須佐神社の境内には、
二本の神事花(宮花)と
それを見守るたくさんの人々の
色とりどりの服装が、

ひときわ目立っています。

これが須佐神社に伝えられる
「切明神事」の印象です。

この行事は、奈良時代以来、
中世、そして近世にかけて
千年以上も綿々と続けられており、
今後、須佐地域独自の信仰・風俗が
仏教や神道と密接に関わりながら
受け継がれてきた祭りであることが
明らかにされれば、
新たな視点で見直しができるものと思います。

この祭りの始まりについては分かりませんが、
須佐神社の資料によると、
神功皇后は、以前、
須佐之男命が韓国に渡られた功績により、
この踊りを須佐大宮へ伝えられ、
皇后が戦いに勝利して
韓国から帰国される時、
須佐大宮ではこの踊りを踊ってお迎えした。
(『須佐神社由緒考証』による)
と書かれています。

また、

中世から始まった念仏踊りと、
神社に伝わる田植神事の田楽が
一緒になったとも言われています。

『島根県史要』
という書物に書かれている内容は
次の通りです。

(1) この神事で歌われる
「なむあみだぶや」
という歌詞は、
仏教(浄土宗・浄土真宗)の
「南無阿弥陀仏」を歌いやすくしたものです。
『実高記』という史料には
奈良時代の宝亀年間(770~780年)に
「切明神事を再び奉る」

と書かれています。 

これは、雨が全く降らず、
京都の宇治川の水はなくなり、
船の行き来もできなくなっため、
年号を「天応」と改め、
大宮大念仏を行ったのだとされています。

このことから考えると、
この神事は雨乞いのための祈りであり、
農業の田植神事と関係があったことを示す
と言えるようです。

(2) 平安時代に田植えの後の楽しみとして
踊っていた「田楽」は
貴族の間で流行するようになり、
鎌倉時代から室町時代にかけて

盛んになりました。

しかし、
須佐神社に残る「大須田、小須田」という
古くからの地名が証明するように、
田植えの際の神事であったというのが、
須佐神社にとっては
最もふさわしい由来だと考えられます。

(3) 天暦年間(947~957年)の終わり頃、
強盗が京都のあちこち荒らし、
多くの人々を苦しめましたが、
後醍醐天皇の第8皇子であった
空也上人の教えに従って
多くの強盗は悪行をやめ、
まともな生活に戻りました。

戦国時代になり、
下剋上が激しい世の中になると、
人々は心の安らぎを求めて
僧侶の服を来て鉦を叩き、
念仏に節をつけて踊り歩く
「念仏踊り」が各地に流行しました。

安土桃山時代に現れた阿国が、
江戸時代になって
京都の四条河原で
歌舞伎芝居をしましたが、
これも念仏踊りの変形でした。

鎮花祭は、
稲の花が咲き出す前に、
春の草花の生育を安らかに祝う祭りです。

春の花が早く散る年は、
稲の生育が悪く、

実りが良くない前兆であり、
それは虫の害によるため、
人間にも悪い病気が

流行することを示しています。

稲の不作や病気の流行を恐れ、
また、

稲や草花の成長を祝ったのものが、
次第に死んだ人の霊やたたりを招く
死人の魂を追い散らすことによって、
縁起の悪い出来事を

取り除くことができるという
信仰を生んだのです。

日御碕の「みんどう」の神事は、
※出典:近畿・大社会
神話の出雲国・大社町
http://kinkitaisyakai.net/fukei/maturi/mindo.html
その根源が須佐神社の鎮花祭ありながら
花を使用していません。

その理由は

漁業を中心として生活している
日御碕の人々にとって、
花は必要がないからです。

その代わり、
玉の飾りをつけた立派な鉾を

形どったものから
垂らされたの布で体を撫でる事によって、
あらゆる不幸な出来事から
逃れる事と信じられているのです。

このようなそれぞれの方法は、
各地における生活の知恵から
生まれたものでしょう。

「切明神事」では

「花廻し」が最も重要で、
これが目的です。

あの670個も付いた重い花を出来るだけ
高く揚げようとする姿にも

大きな意味があります。

それは天の神への祈りの表現であり、
古い神道の思想によるものです。

そして、

花の下で踊りを舞う人の動きは、
花をもつ人への励ましであり、
たたりを招くために地上に降り立った
悪霊を追い払うものです。

この時、踊り舞ってる人たちは
神や仏に化しています。

悪霊をその地域から追い払うためには
踊る人と地面との間に遮るものが
あっていけないということで、
踊る人たちが皆はだしで舞い、
地面をしっかりと踏みしめます。

それでは、なぜ、
原始的な農業に関わる儀式が途中から
念仏思想と一緒になりながら、
もとの形を大きく崩さず、
現在まで伝えられてきたでしょうか。

それは、
祭神が「須佐之男命」であることが
大きく関わっています。

出雲地方の人々は、
古代からこの須佐之男命を
自分たちの村の神として
祭ることをとても望んでいました。

須佐神社の「切明神事」は
8月15日に行われます。

それはこの頃から悪い病気が流行したり、
稲の開花時期と病虫害の発生が
重なったりするからです。

そして、

ちょうど台風の季節とも重なります。

さらに、

雨が少ない年であれば
なんとか雨が降って

ほしい時期でもあるのです。

こうしたあらゆる災いが、
すべて神の心の思うままであると考え、
この神事にたくさんの願いを込めて
行ったのではないでしょうか。

このように考えたため、
須佐之男命の気持ちを無視して、
人間の気持ちだけで神事の方法を
変えるわけにはいかなかったのです。

もう一つは、
この神事を昔から今に伝えた人たちは、
主に飼領自治会の人達でした。

先に述べたようにこの地域は、
「まぼろしの諏訪神社」の山の麓です。

飼領自治会の人達の意識の奥には、
須佐神社に最も近い氏子としての誇りと
祭神である須佐之男命への強い信頼があり、
他の人が
どんな言葉を差し挟むことも許さない
強い気持ちがあっためではないでしょうか。

江戸時代から現代に至る途中で、
この神事は中断しました。

中断というより消滅と言った方が
正しいかもしれません。

それまで

神道と仏教は混合されていましたが、
慶応四年(1868)の神仏判然令に続き、
明治初年新政府が
神道を国教にしようとする政策を行ったため
仏教をやめ、
仏像を壊していく運動(廃仏毀釈)
が各地に広がり、
この地域にも及んできました。
須佐地域の寺院も焼き討ちに会い、
仏教に関係するものは神社から
一切取り払われました。


須佐神社:広島県三次市甲奴町小童(ひち)
※出典:甲奴町情報ホームページ

 てくてくこうぬ
須佐神社御由緒

https://kounu.jp/guide/data/%E9%A0%88%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E8%B3%87%E6%96%99/335-%E9%A0%88%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%BE%A1%E7%94%B1%E7%B7%92

子童保(ひちほ)
「ヒチ」
(Heb.)הֶד,HD,hed,
反響、こだま

「コトウ」
(Heb.)כֶהִד,KhHD,kehid,
反響する

 

 

古代日本へ渡来した人々の系譜

 

 

小嶋秋彦(歴史研究家)原図

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4
 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html 



















 

 

 

 

 

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html

『My ブログ』 http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives52049213.html

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『歴史再生』(Rekishi saisei) https://ameblo.jp/matmkanehara/

歴史再生:目次』 https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12594724121.html

 

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

「OK グーグル」
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52063996.html

金原政敏・歴史研究家

 

※出典:久保有政

聖書解説者

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm

 

【神道のルーツとユダヤ 1:神道はどこから来たのか】

(久保有政・解説)

https://www.youtube.com/watch?v=pDS4ok1RLng&t=1099s

 

<契約の箱はイスラエルのお神輿>

 

聖書は、

ダビデは

契約の箱をエルサレムに運び入れた後、
それを天幕の中に安置し、

 

「イスラエルのひとりひとり皆に、
男にも女にも、それぞれ、丸型のパン、
なつめやしの菓子、
干しぶどうの菓子を分け与えた」

(第1歴代誌16章3節)
と記す。

日本でも、祭の参加者である氏子には、
お菓子が分け与えられる。

これは私にとっても、

子供の頃の良き思い出だ。

同様に3000年前に、
ユダヤの子供たちも同じ経験をしていた。

そのような意味でも、
とても親しみを感じる記述である。

さて

古代イスラエルの「契約の箱」は
長さ113センチ、

幅と深さは
それぞれ68センチほどの

長方形の箱であった。

契約の箱は、

2本の棒で持ち上げて、
担ぐようになっていた。

契約の箱の担ぎ棒は、
現在の再現模型などを見ると、
しばしば箱の上部につけられていたり、
中ほどに付けられているものもある。

だが、

担ぎ棒は実際は

箱の「下部」につけられていた。

なぜなら聖書によれば、
担ぎ棒を通す環は
「箱の器具に取り付け」

(出エジプト記25章12節)
られていたと書かれているからである。

ちょうど、

日本の神社のお神輿のような形である。

イスラエル人のレビ族の祭司が

これを担ぎ、
エルサレムの街中を

神楽の鳴り響く中、練り歩いた。

日本のお神輿には、
上部に

「鳳凰」と呼ばれる

金の鳥の像がついていて、
その翼を広げている。

鳳凰は想像上の鳥で、

天的な存在である。

鳳凰は、中国にもあるが、
中国起源というわけではなく、
一般にはインド起源いわれている。

鳳凰はまた、
エジプトの伝説上の鳥
フェニックスとの類似も指摘される。

時に混同されることもある。

このように伝説上の鳥、
天的存在は、

世界的規模でいわれたものであり、
その背景には、
人々の心にある天的な存在への

観念の具象化があるのかもしれない。

ちょうど、
お神輿の上部に

天的な鳥が翼を広げているように、
イスラエルの契約の箱の上部にも、
ケルビム(天使)と呼ばれる

天的な存在が翼を広げていた。

両方とも翼のある天的存在なのである。

イスラエルの契約の箱はまた、
全体が金でおおわれていた。

アカシア材で作られていたが、
内外ともに純金で覆われていた。

上部の周囲には

金の飾り縁もついていた。

日本のお神輿も、

要所要所が金で覆われていた。

栃木県・日光の

二荒山神社のお神輿などは、
全体が金で覆われている。

契約の箱とお神輿は、

大きさも大体同じであり、
目的も同様であった。

それは両方とも、

移動式の神殿であった。

中国にも朝鮮半島にも、

このようなものはない。

お神輿に似たものは、

台湾やタイなどにもあるが、
神像を運ぶためのものであり、
日本のお神輿とは似ていない。

日本のお神輿も

イスラエルの契約の箱も、
神像を運ばないのだ。

両者とも
「神は目に見えないおかた」
と考え、
神像をつくらないのである。

日本の神輿のルーツは、
古代イスラエルの

「契約の箱」

なのである。

契約の箱の内部には、
古代イスラエルの

「三種の神器」、
すなわち
十戒の石の板、

マナの壺、

アロンの杖が、
入っていた。

日本のお神輿の中には、

そのようなものは入っていない。

しかし

同様に申請さを示すものが入っている。

また
日本にはやはり

「三種の神器」

を神聖視する風習がある。

それは

日本神道で最も聖なるものである。

この点でも、
両者の深い関連性を

感じないではいられない。

このように日本のお神輿は、
細部に違いはあっても、
もともと

古代イスラエルの契約の箱を
モデルにしたものであり、
その記憶に基づくものに違いない。

 

出典:末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の聖典研究※契約の箱

http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1062561566.html

クリックすると新しいウィンドウで開きます

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%A5%91%E7%B4%84%E3%81%AE%E7%AE%B1%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AF&ei=UTF-8&mfb=P059&ts=40319&aq=0&oq=%E5%A5%91%E7%B4%84%E3%81%AE%E7%AE%B1&at=s&ai=S2zLIb9zRZekqACAzn4L4A&fr=top_ga1_ext1_browser_action_sa

 

出典:日本とユダヤのハーモニー※イスラエルにも「三種の神器」は存在するか?

http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=283

 

出典:オマツリジャパン※日本のお神輿

https://omatsurijapan.com/blog/mikoshijapan/

クリックすると新しいウィンドウで開きます

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%BC%BF&ei=UTF-8&mfb=P059&ts=24208&aq=-1&ai=7B8nAli1SXmWHDSQp7hwmA&fr=top_ga1_ext1_browser_action_sa

 

 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html  

 連絡先:090-2485-7908

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html

『My ブログ』 http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives52049213.html

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『歴史再生』(Rekishi saisei) https://ameblo.jp/matmkanehara/

歴史再生:目次』 https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12594724121.html

 

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

「OK グーグル」
http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52063996.html

金原政敏・歴史研究家

 

※出典:久保有政

聖書解説者

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm

 

【神道のルーツとユダヤ 1:神道はどこから来たのか】

(久保有政・解説)

https://www.youtube.com/watch?v=pDS4ok1RLng&t=1099s

 

<ダビデの裸踊り>

 

契約の箱の前を進むダビデ王の踊りも、
どこか日本の阿波踊りに似ていた!

阿波踊りではメロディーに合わせて
両手を頭の上で動かす。


それと同じような踊りをしていたのだ。

阿波踊りでは、

人々は半分肌をあらわにした
の状態で踊る。

同様にダビデ王を半分肌を露わにした
半裸の状態で踊っていた。

実際、

それで後で奥さんのミカルに、

「イスラエルの王は、
今日本当に威厳がございましたね。
ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、
今日あなたは自分の家来の端女(はしため)の
目の前で裸におなりになって
(第2サムエル6章20節)と
皮肉を言われたくらいである。

そう聖書に記されている。

まさに阿波踊りのような姿で、

ダビデ王を踊っていたのだ。

その踊りは優雅というよりも、
むしろ喜びを率直に表現する踊りであった。

日本でも、

お神輿を担いで街を練り歩くと共に、
人々はその前後で踊る。

歓声を上げ、

様々な楽器を打ち鳴らして神楽を奏でる。

ちょうどそれと同じような光景が、
3000年前のエルサレムのでも

持たれたのである。

だから私は、

日本のお神輿の風景を見るたびに、
3000年前のエルサレムの光景もきっと
このようだったに違いないと思いを馳せる。

かってユダヤ人の

大富豪ロスチャイルドが日本に来て、
祭でお神輿の光景を見て絶句したというが、
それほどに、

両者の光景はよく似ている。

ユダヤ人は日本の祭を見る時、
そこにあたかも
古代イスラエル人の風習を

見る思い郷愁さえ感じる。

このように「契約の箱」は、
イスラエルのお神輿なのである。


※出典:Youtube<阿波踊り>
https://www.youtube.com/watch?v=RqNFQR1mWSc

https://www.youtube.com/watch?v=RqNFQR1mWSc

※出典: <日本のお神輿>

クリックすると新しいウィンドウで開きます
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%A5%9E%E8%BC%BF&oq=&ei=UTF-8&b=1
 

 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html  

 連絡先:090-2485-7908

 

 

 

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html

『My ブログ』 http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives52049213.html

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『歴史再生』(Rekishi saisei) https://ameblo.jp/matmkanehara/

歴史再生:目次』 https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12594724121.html

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

金原政敏・歴史研究家

 

※出典:久保有政

聖書解説者

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm

 

【神道のルーツとユダヤ 1:神道はどこから来たのか】

(久保有政・解説)

https://www.youtube.com/watch?v=pDS4ok1RLng&t=1099s

 

<契約の箱とお神輿の類似>

 

両教の類似のわかりやすい例はまず、

古代イスラエルにあった「契約の箱」と、
日本の神社の「お神輿」であろう。

「契約の箱」とは、以前ヒットした映画
『インディジョーンズの失われた聖櫃』などで
描かれたアークのことだ。

「アーク」は「箱」の意味だが、
聖なる箱、神の契約の箱なので、
「契約の箱」ともいう。

それは日本の神社のお神輿によく似た
移動式の神殿であった。

聖書には、紀元前2000年頃に
イスラエルのダビデ王が、
神の「契約の箱」(アーク)を
エルサレムに運び入れたという記述がある。

それは次のようなものだった。

「ダビデとイスラエルの長老たち、
1000人隊の長たちは行って、
喜びをもって主の契約の
箱を……運び登ろうとした。

ダビデは白亜麻布の衣を身にまとっていた。

箱を担ぐ全てのレビ人……歌うたいたちも、
同様であった。

ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。

全イスラエルは歓声を上げ、
角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし
十弦の琴と竪琴音を響かせて、
主の契約の箱を運び上がった。

……サウルの娘ミカルは、窓から見おろし、
ダビデ王が飛び跳ねて喜び

踊っているのを見た」
(第1歴代誌15章25~29節)。

私は以前、

このダビデ王の生涯を描いた
『キング・ダビデ』

という映画を見たことがある。

ダビデ王に扮したのは、

俳優のリチャード・ギア。

実際のダビデ王は

非常にハンサムだったというから、
適役かもしれない。

映画の中でも、

この聖書箇所が描かれていた。

ダビデ王が白い衣を身にまとい、
契約の箱を

エルサレムに導き入れるために、
その隊列の前で

喜びを踊ったという光景である。

その光景は大変興味深かった。

なぜなら、
周囲の光景はエルサレムの街並みだが、
それをもし日本の光景に置き換えれば、
まさに日本の神社の

「お神輿」

を人々が担いで

街を練り歩く光景にそっくりだからだ。

契約の箱と共に進む

音楽隊の奏でるメロディーも、
どこか

日本の神社で奏でられるものに似ていた。

もちろん聖書を読みながら、
こうしたことはある程度は想像していたが、
改めて映画を通してみると、
「やはり日本のお神輿の光景と同じだな」
と感じた次第である。

※出典:LINEショップ

新品本/日本書紀と日本語のユダヤ起源 ヨセフ・アイデルバーグ/著 久保有政/訳

https://ec.line.me/booksmagazinescomics/magazine/product/2134492435?mpid=2134492435

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 勾玉

「勾玉」の画像検索結果

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%BE%E7%8E%89

胎児を模した形

 

埼玉県籏

埼玉県の旗

県名の由来である幸魂(さきみたま)の象徴である

16個の勾玉を円形に並べ、太陽・発展・情熱・力強さを表している。

 

《参考》

大黒柱と大己貴命: 大己貴命と「タカラ」

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-09-22-12

 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html  

 連絡先:090-2485-7908

 

 

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html

『My ブログ』 http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives52049213.html

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『歴史再生』(Rekishi saisei) https://ameblo.jp/matmkanehara/

歴史再生:目次』 https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12594724121.html

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

金原政敏・歴史研究家

 

※出典:久保有政

聖書解説者

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm

 

【神道のルーツとユダヤ 1:神道はどこから来たのか】

(久保有政・解説)

https://www.youtube.com/watch?v=pDS4ok1RLng&t=1099s

 

<両教関する研究>

このテーマに関して、

既にユダヤ人と日本人の双方から、
優れた研究が幾つか出されている。

日本人側からは、
例えば小谷部全一郎(国学院大学講師)の
『日本人のルーツはユダヤ人だ』(たま出版)や、
川守田英二(ヘブル語学者)の、
『日本へブル詩歌の研究』(八幡書店)

などがある。

またユダヤ人側からは、
ラビ・マーヴィン・トケイヤー著の、
『ユダヤと日本・謎の古代史』

(産能大学出版部刊)
『日本・ユダヤ封印の古代史』(徳間書店)
及び
ヨセフ・アイデルバーグ著の
『大和民族はユダヤ人だった』(たま出版)
『日本書紀と日本語のユダヤ起源』(徳間書店)
などが代表的なものだ。

他にもあるが、
私が翻訳に携わったラビ・トケイヤーの
『日本・ユダヤ封印の古代史』

の記述などを中心に、
私自身の研究も交えながら、
古代ユダヤ教と日本神道の類似点を
語っていきたいと思う。

 

※出典:日本・ユダヤ封印の古代史

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/tokehon.htm

クリックすると新しいウィンドウで開きます

 

 

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4

 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html  

   連絡先:090-2485-7908

 

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html

『My ブログ』 http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives52049213.html

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『歴史再生』(Rekishi saisei) https://ameblo.jp/matmkanehara/

歴史再生:目次』 https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12594724121.html

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

金原政敏・歴史研究家

 

※出典:久保有政

聖書解説者

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm

 

【神道のルーツとユダヤ 1:神道はどこから来たのか】

(久保有政・解説)

https://www.youtube.com/watch?v=pDS4ok1RLng&t=1099s

 

<東南アジアは?>

 

日本の文化には、
東南アジアの文化も
かなり入っていることが指摘される。

例えば
「照葉樹林文化論」というのがあって、
中国南部から南アジア諸国、
または
日本に影と古代には常緑広葉樹林が広がり、
この同じ自然環境の中で
同根の文化、風習が見られるという。

例を挙げるとサトイモや、ナガイモ、
またアワ、ヒエ、イネなどのモチ種、
そして納豆など、
数多くのネバネバした食品を好む性質、
茶やシソの栽培、麹から作る酒、

味噌、こんにゃくなど、
共通したものが多い。

食文化はかなり似ているのだ。

つまりこれらの地域で、
我々の胃袋はかなり似ている。

またこれらに養蚕、漆器文化、
高所式住居があることも共通している。

農具や、木・竹・わらの道具、

下駄、草履などもそうだ。

鵜飼いの風習も同じようにある。

「羽衣伝説」

「花咲爺」

「さる・かに合戦」などの
昔話が同じようにあり、
習俗、儀礼においても似たことがある。

穀霊(穀物に宿る精霊)信仰、
アニミズム(精霊信仰)も共通している。

死体化生神話(神の死体から作物が発生)、
イザナギ・イザナミ型の兄姉神話、
山岳信仰(山を崇拝する)、
山上他界信仰(死者の魂は山に戻るという)、
来訪神(時に臨んで去来する神)

なども共通している。

このように、

日本文化のかなりのものが
東南アジア地域に共通するものであることは、
疑いの余地がない。

では、

神道も東南アジアが起源かというと、
一部のアニミズム的なものは

そうかと思われるが、
全体的にはそうではない。

日本神道の最も中心的な部分は、
東南アジアが起源ではないと思われる。

というのは、

神道と全く同じようなものは、
東南アジアにはない。

神社に類するものもないし、
日本神道のすべてが
これらの地域にあるわけでもない。

神道の風習で日本にしかないものは、

はなはだ多い。

そして日本の神道は、
これらの地域には決して見られないほど
独特の形式にまで高められている。

日本特有の神道の風習、文化に関して、
最も感じられるのは、
古代ユダヤ教との深い関連である。

実は日本神道の基本的なものは、
シルクロードを伝わって日本にやって来た
古代ユダヤ人、あるいは
「イスラエルの失われた十支族」
と呼ばれた人々がもたらしたと考えられる。

「イスラエルの失われた十支族」
とはどのような人々か、については

後述したい。

しかし、
彼らの子孫はシルクロードの周辺各地で

発見されている。

アフガニスタン、パキスタン、中央アジア、
インド北部、ミャンマー、中国南西部等には、
今も

「イスラエルの失われた十支族」の

末裔が住んでいる。

彼らは、中国方面にまでやって来ていた。

そしてさらに日本にまで到達しただろう。

その到達の証拠が、

ズバリ、日本神道である。

もちろん

「イスラエルの失われた十支族」は
日本に来た最初の人々ではない。

それ以前に

早くから日本に住み着いていた人々もいた。

しかそこに、
「イスラエルの失われた十支族」

がやって来た。

彼らは古代イスラエル宗教を、

「神道」という宗教、
および神道の長である

天皇の存在という形で、
日本に残した。

そしてそれは
日本人のアイデンティティの中心に
位置するものになった。

神道は、

日本に来た
「イスラエルの失われた十支族」

の遺産である。

彼らは、

日本に来た様々な渡来人達の

一部であったが、
日本人のアイデンティティの中心である神道と
天皇の存在というものをもたらした。

世界中を見渡して、

神道は、
古代イスラエル宗教に極めて似ている。

いや、

古代イスラエル宗教のみ、

よく似ている。

古代イスラエル宗教とは、

古代ユダヤ教といってもいい。

神道は、

古代ユダヤ教の日本バージョンである。

両者はどのように似ているのだろうか。

 

※出典:矢口壹琅のONE LOVE:染色体で見る日本人のルーツについて

http://blog.livedoor.jp/yaguchi16/archives/53029197.html

000000sekaiidennsi2

https://livedoor.blogimg.jp/yaguchi16/imgs/0/6/06bb0c6d.jpg

 

000000sekaiidennsi1

https://livedoor.blogimg.jp/yaguchi16/imgs/8/8/88c05b57.jpg

 

 

 

小嶋秋彦(歴史研究家)原図

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4

 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html  

   連絡先:090-2485-7908

 

 

 

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html

『My ブログ』 http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives52049213.html

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『歴史再生』(Rekishi saisei) https://ameblo.jp/matmkanehara/

歴史再生:目次』 https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12594724121.html

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

金原政敏・歴史研究家

 

※出典:久保有政

聖書解説者

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm

 

【神道のルーツとユダヤ 1:神道はどこから来たのか】

(久保有政・解説)

https://www.youtube.com/watch?v=pDS4ok1RLng&t=1099s

 

中国や朝鮮ではない神道の起源

 

日本神道は、日本と共にかなり昔からあった。

おそらく

縄文時代の末期くらいからあったものである。

神道は、日本人だけにあった。

日本人のアイデンティティ、

また
神道の起源については、

いろいろ言われている。

ある人は、中国が起源であるといい、
ある人は朝鮮半島が起源であるという。

しかし、
基本的にはどちらも違うだろう。

多少似た細かな風習は

中国や朝鮮にもあったが、
中国にも朝鮮にも、
日本の神道の根幹を

形成するものはなかったからだ。

神道は、
中国の道教の影響を受けて

成立したと述べる人もいる。

確かに、
現在の神道に道教的要素が

若干あることは事実だ。

だが全体的にみれば、

道教と神道は全く異なっている。

一方、

神道は朝鮮が起源であるという説もある。

例えば、日本神道では神々を
「天津神」(天神)と
「国津神」(地祇)に分けている。

天津神は高天原にいる神、または
高天原から降った神の総称、
それに対して

国津神は、地に現れた神々の総称である。

これと同様に、
中国の故書『三国志』東夷伝(3世紀)には、
朝鮮半島に、
天神と地神を祀る信仰があると

述べられている。

さらに朝鮮半島には

クムジュル(禁縄)とか、
ウェンセキ(左縄)と呼ばれる、
日本のしめ縄に似た風習がある。

それは、

主に子を出産した後の21日間、
その家に巡らして
産神(うぶかみ)を祀るためのものである。

男の子が産まれると

縄に唐辛子や木炭を付け、
女の子だと

紙や松葉、木炭を付けるという。

この縄を巡らせた家に

食物や火を持ち込むことと、

また
家から食物と火を持ち出すことが

禁じられている。

こうした「似た風習」は

古くから幾つかあったが
朝鮮には日本の神社のようなものはなく、
粗末な祠の類がが稀にある程度だ。

全体的に見ると古代の朝鮮半島では、
「檀君伝説」や
「熊信仰」(熊を「山の主」として崇める)、
「ムーダン」と称する
シャーマニズムなどが主だっていて、
日本の神道とは
だいぶん

異質のものだったと言ってよいだろう。

日本の神道は、朝鮮起源ではなく、
主に「朝鮮経由」で

日本にやってきたものだろう。
つまり

中国よりも西のシルクロードから
やって来た人々が、

朝鮮半島にもしばらくいたために、
そこに少し神道的な風習を残した。

そして

その後日本にやってきた彼らは、
日本に神道をもたらしたのである。

このように、

基本的に神道の起源は、
中国でも朝鮮でもない。

日本の伝統文化は、
中国とも朝鮮とも異なる要素がかなり多い。

例えば日本人は日本語を話す。

中国語でも朝鮮語でもなく、

日本語を話す。

もし、中国人が利用をつくったのなら、
日本の言葉は中国語になっただろう。
また朝鮮の人々が日本をつくったのなら、
日本の言葉は朝鮮語になっただろう。
しかし、そうはならなかった。

もちろん日本語に一部、
中国語や朝鮮語が入っていることはある。

だが、
基本的に日本語は
中国語とも朝鮮語とも大きく異なっている。

朝鮮語と日本語の親類説が

言われることはあるが、
確かに文法等は似ているものの、
全体的には両者の違いは甚だ大きい。

近縁ではなく遠縁であるというのが

言語学者の指摘するところだ。

こうしたは、日本文化の起源において、
朝鮮や中国以外の要素が

かなり多かったことを
明確に示している。
神道の形成においても、
朝鮮や中国以外の要素が多かった。

 

※出典:アルパチャ遺跡の碗形土器 高床式建物

ARPACHIYAH1976.jpg

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-05-31

 

 

 

小嶋秋彦(歴史研究家)原図

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4

 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html  

   連絡先:090-2485-7908

 

 

『ひねもす至福の時』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049175.html

『My ブログ』 http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives52049213.html

『生涯学習(History)』http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049218.html

『歴史再生』(Rekishi saisei) https://ameblo.jp/matmkanehara/

歴史再生:目次』 https://ameblo.jp/matmkanehara/entry-12594724121.html

⚽⚽⚽☺☼(○´д`○)☼☺こんにちわぁ♪⚽⚽⚽

金原政敏・歴史研究家

 

※出典:久保有政

聖書解説者

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/100kodai.htm

 

【神道のルーツとユダヤ 1:神道はどこから来たのか】

(久保有政・解説)

https://www.youtube.com/watch?v=pDS4ok1RLng&t=1099s

 

<神道のルーツ>
 

日本神道は、
もともと古代ユダヤ教、
つまり古代イスラエル宗教から来た。

それを示すものは数多くある。

神社の構造、
お神輿、
神官の服装、
けがれの観念、
清め、
お祓い、
神社の祭、
そのほか神道の風習の多くが、
何も古代ユダヤのものにそっくりなのである。

具体的に、
それらについて見ていきたいと思う。

その前に、
そもそも神道とは何だろうか。

神道は日本人の民族宗教である。

皆さんは、
神道の信者が何人くらいいるか、
ご存知だろうか。

約1億3千万人いるという。

神道では、
神社のある地域の住人は皆「氏子」ことされ、
皆神道信者ということになっているからである。

だから
神道の信者数は
日本の総人口と同じである。

その一方、
外国人は神道信者にはなれない。

信者としては登録されないのだ。

その意味で神道は、
日本人だけの「民族宗教」である。

これは、実はユダヤ教がユダヤ人だけの
民族宗教であるということによく似ている。

ユダヤ教では、
ユダヤ人であるならば、
ユダヤ教に熱心である/ないにかかわらず、
一応皆「ユダヤ教徒」ということになっている。

そして、
外国人はユダヤ教徒にはなれない。

なぜなら、
もし外国人がユダヤ教を信じ、
正式にユダヤ教徒になるなら、
その人はその時点からユダヤ人なのである。

現在のイスラエルにおける「ユダヤ」の定義は
主に二種類あって、
それらは血筋的に「母がユダヤ人であること」、
あるいは
宗教的に「ユダヤ教信じていること」である。

そのどちらかが満たされるなら、
その人はユダヤ人として認められる。

「母がユダヤ人であること」とは
奇妙に聞こえるかもしれない。

しかしこれは昔、
ユダヤ人が迫害された時代に
ユダヤ人の女性は強姦されることも多く、
生まれた子の父親が
誰かわからないことが多かった。

それで、
それまでの「父がユダヤ人であること」に代わり
「母がユダヤ人であること」になったという。

そういう悲しい歴史が背景にある。

これは血筋的なユダヤ人ということだ。

さらにユダヤ人にはもう一つの定義がある。

それは正式にユダヤ教徒になると
ユダヤ人になるということである。

私の友人にも日本人だが

ユダヤ教にあこがれ、
ラビからユダヤ教の講義を受け、
割礼も受けて

正式にユダヤ教徒になった人がいる。

彼は、そうした定義からして、
既に「ユダヤ人」である。

日系人ユダヤ人だ。

このように、血筋によるユダヤ人もいる一方、
ユダヤ教信じればユダヤ人である。

日本人の中には、
ユダヤ教を信じてユダヤ人になった人は
「偽ユダヤ人だ」
と思っている方もいるだがそうではない。

血筋によるユダヤ人も、
ユダヤ教信じてユダヤ人になった人も、
ともに正式にユダヤ人なのである。

またユダヤ人には
アシュケナージ・ユダヤ人(北欧系)とか、
スファラディ・ユダヤ人(南欧系) といった
分類もあるが、

いずれも正式なユダヤ人である。

そのくらいユダヤ教は、
ユダヤ人とって本質的なものである。

ユダヤ教は、
ユダヤ人のアイデンティティの

中心にあるもので、
ユダヤ人だけの「民族宗教」だからだ。

日本の神道も、日本人の民族宗教である。

神道も、
日本人のアイデンティティの中心にある。

神道はまた、特に伝道ということをしない。

これはユダヤ教も同じで、伝道をしない。

両教は伝道ではなく伝統の形で
伝えられていく宗教である。

宗教には
「世界宗教」と「民族宗教」の二種類がある

世界宗教とは、
キリスト教や仏教、イスラム教のように
人種や民族に限定されず、
普遍的に世界で存在している宗教のことだ。

一方、民族宗教は、
特定の民族だけが持つ宗教をいう。

ユダヤ人のユダヤ教、
日本人の神道、
インド人のヒンズー教などは、
民族固有の宗教である。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 神道

Montage of Shinto.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93

 

 

 

小嶋秋彦(歴史研究家)原図

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4

 

M.K記(責)

http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/archives/52049209.html  

   連絡先:090-2485-7908