「もっと自分を認める」 「自分を素晴らしいと思う」
よく言われ・耳にします
自分は、根本的にここがないのだと思いました
何をしても、自分が間違っているんじゃないかと思う
こんなに素晴らしいこと・すごいことが、目の前にあるのに
「そんなはず・わけないでしょ」
と (無意識に) 思ってしまう
常に、人と比較していたようにも思います
「あの人はすごい (だから、自分はまだまだだ)」
常に、人との対象の中で、自分があった
だから、人から何か言われると、ぐらつく
人は、自分の世界に必要です
対象なくして、自分は成り立たない
でも、それは比較するためではありませんでした
比較をしても、何の意味もない
だって、もともと違うんだから
同じになど、なりえないのだから
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最近、自分の 「不安」 を引き出す出来事が続いています
よく言われる 「あるけど、みない (別の方をみる)」
でも、無理に目を背けているような気がして、それも釈然としません
今朝、夫に言ってみました。
「こわいんだ。もうどうしようもなく」
夫は 「そうか」 と言ってくれました。
たったそれだけでした。
でも、私の魂は、たったそれだけで 心から満足して
不安のエネルギーはどこかに消えていきました
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今まで、思ったことを口に出すのが苦手でした
「言っても仕方ないんじゃないか」
「場を乱すんじゃないか」
これも何かが 「こわかった」
何が こわかったんだろうと 考えてみると
「拒絶」 されること ではないかと
そして、自分が傷つくことではないかと
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今まで、きっと散々拒絶されていきたんだと思います
こどもの頃から 大きくなっても
人に 自分に
だからもうこれ以上、拒絶されたくない
自分の思いを否定されたくない
「そんなことないでしょ、もっと頑張って」 と言われたくない
もうこれ以上、傷つきたくない
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以前は、自分を責めていました
頑張れない自分 こわいと思う自分
でも、こうなってしまったのは
私のせいではない と、最近思います
何かほかの影響・意志があったのだと
小さい頃、もともと自分は 「いるだけで素晴らしい」 と知っていたのに
「違うでしょ、違うでしょ」 と言い続けられて
それが苦しさを産み出していた子供時代だったのでないかと
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だから、自分のやっていることに胸をはれない
これを 「好き」 な自分はおかしいんじゃないかと思う
人から、「ずっと片づけてるね~」 と言われると
責められているように感じてしまう
でも、私は不用品を片づけて、すっきりしていくのが好きなんだ
沢山の神社をまわって、不思議な心地よい体験をするのが好きなんだ
先日、山口智子さんのインタビュー記事で;
「主婦になりたかった。
やりたいことをやっていたら、あっという間に10年たってしまった」
主婦になりたい、でいいんだ…
自分が全肯定された瞬間でした
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大好きなまんが
よしながふみさんの 「きのう何食べた?」 で
ケンジがご飯を食べながらたわいもないことを話し
シロさんが 「そーか」 と相槌をうつシーンがあります
その 「そーか」 が妙に心に響いて
たった一言に、泣きそうになる
人間とは、不思議な生き物です
- きのう何食べた?(4) (モーニング KC)/講談社

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