2015年10月25日、約二年に渡って開催してきたライブ「RA RI ROO殿方」が幕を閉じました。


まずは、ラリルーを愛してくれた皆様、一度でも足を運んで頂いた皆様、次こそは行くぞと期待して頂いてた皆様、本当に心からありがとうございました。


何の前触れもなく、第13回公演エンディングでの突然のご報告になった事を大変申し訳なく思っております。



最終回とゆう告知を事前にしなかった事に関しては「最後だから観ておこう」ではなく純粋に「観たい」と思ってくれてる人で席をいっぱいにしたいとゆう思いからでした。



『ラリルー終わりましょう』と私が皆に切り出したのが9月の半ば。10月初めの会議にて殿方達としっかり話し合い、最終的には全員が首を縦に振ってくれまして「終わるなら10月バシッとキメてそこで終わりましょう」となりました。



ただまくはりさんは会議に参加しないライブだった為、終わる事に関して、まくはりさんにだけは会議後の事後報告になってしまいました。



ラリルーが始まったのが2013年10月。お世話になってた野方の音楽用ライブハウス・I WOO NOGATAのオーナー井亀さんに

「ぴんくさん、安く貸しますんでうちでお笑いやって下さいよ」


と有り難きお声を掛けてもらえた事がきっかけでした。RA RI ROO殿方とゆう名前の由来も此処の名前からきています。


レギュラーメンバーを固定させてとんでもなく面白いユニットライブにしようと企んでいた私は、大阪時代から私を知ってくれてたプアーズ、大陸を誘い、浅草リトルシアターで出会ったグリーンマンションを誘い、「wakateの間」とゆうライブで出会ったごまピエロを誘い、かつてアイウーさん主催のライブでご一緒した時に私が一瞬で虜になった、替え歌おじさんのまくはりきょうとうさんをお誘いし、絶妙で奇妙なバランスを保った9人の殿方が揃いました。



私はラリルーをやるにあたり、殿方達にライブの主旨を伝えました。


・絶対に他に無いライブにしたい

・しっかりと会議して練習する

・あくまで個々の芸人活動が最優先



言いたい事は大まかにこの三つでした。



こうして始まったラリルー。初回から全速力で企画やコントを作りながら模索し、本番でお客を置いてけぼりにしてしまっては反省し、試行錯誤しながら全員で進んできました。しかしなかなか集客も伸びず、お客さんが1人になった時もありました。



そして第3回を終えた時、ピン芸人の大陸から、自身が芸人を続けようか迷ってる状態だと切り出され、話し合った結果、大陸はやむを得ずラリルーを離れる事になってしまいました。


唯一無二の面白さを持ちとても存在感のある芸人で、そんな大陸をメインに置くコントなども多かった為に、ラリルー今後大丈夫か?と心配していましたが、残りの殿方達が、無き大陸の穴を埋めるべく頑張ってくれたおかげで何とかラリルーは止まらずに進み続けました。



そして第4回目を終えた時、私は会場を変えようと決意しました。



アイウーのステージには重厚感があり清潔感もあり、ちゃんと漫才用の38マイクがあったり、舞台後方からスモークを出せたり(一度だけ使いました)、音響照明は全てスタッフさんが担ってくれたりと本当に申し分ありませんでした。



しかしこちらの都合でたった一つだけ。このラリルーをもう少し大きな舞台でやってみたいとゆう欲が出てきました。今思えば本当にアイウーさんには申し訳ない事をしました。今後必ず恩返ししないといけないと思ってます。8ヶ月間、本当にずっと温かく見守ってくれました。


こうして会場を、アイウーから阿佐ヶ谷プロットに移す事になりました。



プロットではもちろん今までの会場とは勝手が違い、音響照明スタッフも探さねばならず、リトルシアターで出会ったはしこばしの二人が来てくれるようになり、はしこばしが厳しい時には百楽門の中澤が来てくれたりしながら非常に助けられました。


ライブの内容的には右肩上がりで、舞台が広がり自由に動ける事により企画やコント内容も制限されなくなり、それに加え、第6回からは大陸も戻ってきました。


さらにプアーズ、グリーンマンションがお世話になってるタイタンさんの事務所ライブにて、毎回の様にしつこくラリルーの告知をする二組を周りが面白がってくれる様になったらしく「ラリルーは本当に在るのか?」とお客さんが真実を確認する様に足を運びだし、その影響でお客さんが徐々に増えていきました。



お客さんが増えるとやはりウケるウケないの判断がし易くなります。それによりメンバー各々が持つ、より面白くより爆笑を取りにいくぞとゆう気概が明確な物になっていきました。



徐々に会議の雰囲気も変わり活気が増していきました。今までは多くても2ヶ月に2回だった会議も、基本で3回、多くて4回になり、各々が出してくる企画案も初めは全部で10コ以下だったのが、25コ以上に跳ね上がっていきました。


観てくれる人が少しでも増えたとゆう事が、メンバーをよりビシっと引き締めてくれました。とにかく一人でも多くの人に観てもらうのが一番だとなり、料金を値下げするラリルー割を始めたのもこの頃でした。



そして、オープニングコント1本、本編の企画・コントが3本、+ ネタ披露とゆう、ラリルーの盛り沢山スタイルが確立していき、内容自体の質も確実に上がっていきました。


すると徐々にリピーターのお客さんも増え、ラリルーはちゃんと愛されてるんだとゆう実感を持てるまでになりました。



そうして走り続け、終えた第12回。数日後、ごまピエロ友納から家庭の事情によりラリルーを引退させて欲しいとゆう連絡を受けました。


その約半月後に私自身もラリルーの終わりを口にしたんですが、実は友納の引退が直接的な原因ではありません。確かに一つのキッカケではありましたが、私は少し前からそれを意識していました。始める時にメンバーに伝えたラリルーの主旨です。


個々の芸人活動が最優先。




みんな今は、バイト+芸人活動の生活。いくら隔月だとはいえ、その中にラリルーが入ってくるのは意外と濃厚なんです。何故ならラリルーは会議を最低3回やります。13~21時までの会議を3日分です。有ると無いではかなりの違いです。見ていてツラいんやなと思う事も多くなりました。



あくまで己れが食っていく事とネタを磨く事が最優先。ならば今、無理に続ける事はない。この二年みんなラリルーによって成長した事も多いはず。これはお客さんからの目線を無視したこっち側目線の勝手な話ですが、ラリルーは今まで完全なアウトプットの場でした。しかし今後は今までのラリルーをインプットの場と捉え直し、そこで得た物をさらにアウトプットしていく他の場に今からは力を入れていっても良いんじゃないかと考えました。完全に演者からの目線で申し訳ありませんが。



正直今も胸の奥では、終わった事に関して納得いってないメンバーもいると思います。


でも今後みんなのタイミングが合って、またやろうって流れになった時には、ラリルースペシャルとかベタなライブ名でまた一発カマす時も来ると思うんで、その時をぜひ気長に楽しみにしてて下さい。



そして、10/25(日)第13回の最終回公演は、過去最高の出来だったと思います。



本当に二年間、ありがとうございました。



そして皆さん、これは「ラリルー経緯編」

数日後に「ラリルー想い編」も書きます。


しつこいけど書かせてーー


それで最後!


街裏