ええ。わたくしの生まれは神奈川は神奈川ですが、とても小さな魚の美味しい田舎町なのです。
まぁそんな小さな町ですから、若かしき頃はシティボーイに憧れておりまして、絶えずその方向にアンテナを向けてたのであります。
スケーター系やら裏原系やら、広く浅く、自分たちなりの価値観で吸収していたのであります。
その当時、音楽に関してもヒップホップやレゲエ、アシッドジャズといわれたジャンルを広く浅く聴いていたのであります。
そんなシティボーイに憧れているものですから、ボーイの社交場、クラブにも小旅行ちっくに出かけていたのであります。
そんなシティボーイ憧れ活動をしている最中、ちょいと小耳にはさんだ情報によると、山の中で新しいムーブメントが生まれていると言うじゃないですか。
何でもその集いは、ごくごく密かに開催されていて、告知紙だとかが出回っていないと言うじゃないですか。
最小限の情報をたよりにいざ長野へ足を運んだのであります。
目的地であろう場所をかれこれ一時間ばかり探索しておりますと、何やら長野にふさわしくない人がおりまして、その方に目的を告げると、何とその方はその楽園に向かう途中と言うではないですか。
いやはややっとたどり着けた次第です。
その楽園に近づくにつれ漏れ聞こえてくる規則正しい和太鼓の用な音。
60年代と思われるようなhippieファッションに身を包み闊歩するもの・・
そんな始まりでしたよトランスミュージックに触れたのは・・
今や悪名高きレイヴパーティーの出会いでした。
その頃のレイヴパーティーは今の客層とは180度違くて、あの有名なウッドストックにいるような客層でした。
特に外国の方たちが多く、日本人と外国人の割合はちょうど半々くらいな感じでした。
客層を分かりやすくお伝えすると、UAさん、LOVE PSYCHEDELICOさんちっくな感じですかね。
とても個性的でお洒落な感じの方々が多いのですが、閉鎖的ではなくPeaceな感じでしたよ。
人数も少ない時で50人くらい。多い時でも、100~200人くらいな感じでしたね。
会場も幻想的なデコレーションに包まれ、個性的な露店が点在し、独特な空間を形成しておりました。
重要な音はと言うと、その当時はゴアトランスというものが多く、通常のテクノよりもキックがハネる感じで上物は展開がありウネル感じのものが主流だったと記憶しております。
場所は主にキャンプ場が多く、廃校になった学校の体育館やら人里離れた海なんかで開催されるものもありましたね。新島の崖っぷちなんてのもありました。
そこに集う方々の年齢層も様々で、下は二十代半ば、上は六十代な感じでした。
山から降りてきた仙人みたいな方も居りましたし、確実にどこかのモデルをされている様なキレイな方が居たりして、多種多様だけど同じ枠内で収まっている不思議な感じでした。
会場の様子は、基本踊っている方が多く、その踊りも多種多様で一つのカテゴライズに収まっておらず、各々の持っているリズムを反映させておりました。テントを設置し、その空間を楽しみながら珈琲をたのしむ方や焚き火を何時間も眺めている方なんてのもいらっしゃいました。
村上春樹の小説。世界の終わりとハードボイルドワンダーランドな世界観に近い感じですかね。個人的には・・
そんな空間も、ある歌姫さんが雑誌の質疑応答で・・
今、興味あるものは??
***レイヴパーティ***
そこですべてが崩壊し、現代に至る次第です。
たしかに陰な部分も多々ありましたが、ファッション、デザイン、営利目的な観点ではなく、思想が形成するムーブメントとして、よい経験をさせてもらったなと思っております。
あの時のあの人たちは今現在なにをしているのだろう・・
そんな回想から、こんな超個人的な思い出話しを書いてしまいました。
今日は昔を懐かしみ、スリックリック辺りでも聴いてみますか-。自分にヒップホップのよさを初めて体感させてくれたアーティストです。
経験は財産です。これからもよい経験がいっぱいできるといいな。
おわり。

