ロスチャイルド家の歴史は、1760年代にフランクフルトで、はじめて金融業をスタートさせた初代マイヤー・アムシェル(1743~1812)にはじまりました。
彼はユダヤ人であり古銭商でした。
まだ絶対王政の時代のことです。
庶民は日々の暮らしに追われ、古銭に興味を持つのは貴族ぐらいでした。
そうした時代背景の中で、彼はガラクタ程度の価値しかない古銭を安く購入。
領主や貴族に高く売り込むことに成功したのです。
どんな方法にせよ、当時、下層階級とされていたユダヤ人が、領主や貴族と接点を持つのは、まさに異例のことでした。
特にマイヤーが幸運だったのは、面識を得たフランクフルト地方の領主ヴィルヘルム公がとてつもない財産家だったことです。
やがて、マイヤーはヴィルヘルム公の為替手形の割引きを行うようになり、ついには国家の金融業務に携わるようになっていったのです。
しかし、彼の野望はそんなものでは収まりませんでした。
マイヤーには5人の息子がいました。
マイヤーは彼らに仕事を覚えさせ、当時、ヨーロッパ最大といわれたヴィルヘルム公の金庫管理業務に食い込んでいき、大きな成功をおさめたのです。
当時、ロスチャイルド商会では二重底の専用馬車をヨーロッパ中に走らせていました。
二重底の中身は情報であり、時には現金や密輸品を入れて運んでいました。
こうしたネットワークが最大の武器であり、いち早く得た情報が多くの利益をもたらしました。
ロスチャイルド家の話でよく知られているのは、1815年のワーテルローの戦いで大勝負に出て勝った話です。
ロンドンの金融街シティでは、もし、ナポレオンが勝てば、英国の国債は大暴落。
ウェリントン将軍が勝てば、国債は暴騰するという時のことです。
伝書鳩を使い、いち早くナポレオンの敗北を知ったマイヤーの息子、ネイサン・ロスチャイルドが公債の買いに走らず、なんと一世一代の大芝居で売りに出たのです。
これを見た取引所は大パニックになりました。
ウェリントン将軍が敗れたと受け止めた投資家が、皆一斉に公債を売り始めたので、下がり続けていた公債はさらに暴落。
ところが、ウェリントン将軍勝利の知らせがまさに広まろうとする時、ネイサンは大暴落した公債を一気に買いに転じました。
これによりたった一夜にして天文学的な収益を上げ、たった一夜にして巨万の富を得たのです。
ロスチャイルド家のその後の基盤は、これにより作られたといっても良いでしょう。
シャトー・ラフィット・ロートシルトも、シャトー・ムートン・ロートシルトも、このネイサンの一世一代の大勝負によって、ロスチャイルド家が所有できるようになったとも言えますね。
ところで、こうした計り知れない資産を持つロスチャイルド家だけに、相続の税金問題で証券市場が大きく動くこともあります。
1949年、パリ分家のエドゥアール・ド・ロスチャイルドが死んだ時は、一族が出資している石油会社のロイヤル・ダッチ・シェル、ダイヤモンド会社のデ・ビアスをはじめとする大企業の株価が、パリやロンドンの証券取引所で急落しました。
これは、フランスでは相続税の算定基準を、株式の場合は死亡した日の終値としているからです。
その日の未明に亡くなったエドゥアールの相続税を極力安く抑えようと、一族がこぞって株の売り注文を出したというわけなのです。
さて、初代のマイヤー・アムシェルは死の直前、5人の息子に紀元前6世紀頃強大な国家を建設したスキタイの王の話をしたといいます。
死の床についた王は子供を集めて、まず束ねた矢を差し出したが誰もそれを折ることはできませんでした。
しかし、1本だと容易に折ることができることを示し、「おまえたちは結束している限り強力だが、離れればその繁栄は終わるだろう」と語ったといいます。
かくして、5本の矢を束ねたロスチャイルド家の家紋は誕生し、その結束は現在に至るまで長く守られているのです。