今日は、どうやってモラハラ館から脱出したか書いてみたいと思います。
私の場合ですが、息子の小学校の卒業式の後に脱出すると決めていました。
3学期はモラ夫から息子への、「執着&洗脳という虐待」のせいで(←と私は思っています)ほとんど学校に行けませんでした。
本当は一刻も早くモラ夫から離したかったのですが、やっぱり最後小学校の友達と一緒に卒業させてあげたかったので、限界を感じながらも何とか最後学校に行かせて、無事卒業式には参加することができました。
卒業式は本当に、感無量💧でした。
さあ、次はママのモラハラ館からの卒業!
そして……ついにやってきたのです。
チャンスが!
それはモラ夫の一泊二日の出張でした。
ちょうど習い事の日だったので、帰りの車の中で子供たちに言いました。
「お待たせしました!これからママの新しいアパートに行こう。3人で引っ越ししよう」と。
予想外に二人は反対でした。娘は泣き出すし、息子にも絶対引っ越しは嫌だと言われ、
えっ、まさかの脱出失敗?
と思いました。
無理やり連れていくこともできないので、その夜は断念。脱出は翌日に持ち越されました。
と言ってもその日はモラ夫が出張から帰ってくる日。
夜、自分だけ家を出ようかなと思いましたが、夜だとバレたときにモラ夫の機嫌が爆発しかねないし、子供たちのことも心配だったので夜逃げはやめました。
そして、次の日の朝。
まるで、ちょっと買い物にでも出かけるような感じで家を出たのです。
夜逃げならず、朝逃げ❗❓
朝逃げした夜は何とも言えない解放感でした。
やった!脱出だ!
あとは引き戻されないように、自分をしっかりもとう。
自分の名前で契約した、自分のアパートです。
私の私による私のためのお城。
この日は子供たちは大丈夫かなぁと思いながらも自分の自由な夜を楽しみました。
ある人のブログには、
「必ず、子供を連れて逃げてください」
とありました。
でも私はとりあえず一人で逃げました。
子供たちの意思を尊重したのです。
娘は中学生で自分なりの考えがあったし、息子はその時点ではかなりモラ夫に洗脳されていたので、逃げれなかったんだと思います。
あともう一つ、
置き手紙をどうするか
ということですが、
私の場合、文面も考えてあったのですが、子供たちもとりあえず春休みの間はこのまま残るって言うし、もうモラ夫のために何かをする余力もなかったので、結局はやめました。
フェードアウトした感じです。
そして今、子供たちは私のところに住んで、元気に中学校に通っています。
不登校だったことがウソのように。
脱出して正解です。
何の後悔もしてません。