私は、中学生の頃 毎日のように日記をつけていました。


大人になって読み返した時、

そこに書かれていたのは 自分を責める言葉ばかりでとても胸が痛くなった事を覚えています。


・〇〇ちゃんの機嫌が悪くなった。私が言った事が原因かもしれない。もっと優しくならなきゃ。


・今日、△△ちゃんの言葉に傷ついたけど、私が悪いんだ。もっと好かれるようにならなきゃ。


当時を振り返ってみると、私は小学生の頃から友達を作る事に必死になっていました。

「友達は作るものじゃない。話していて楽しいから自然と友達になれるんだ。」と言う人もいるかもしれません。その通りだと思います。

幼い頃の私はそういう、もしかしたら当たり前かもしれない事をわかっていませんでした。


率直に表現すると、家が楽しくありませんでした。家族や親戚が好きではなかったので、私は家庭以外に心の居場所を求めていたのだと思います。


保育園に通っていた頃は自然に友達が出来ていました。楽しいから一緒に遊ぶ。それを繰り返していつの間にか友達になっている。

外でのコミュニケーションにつまづき始めたのは小学校に上がる頃だったように思います。

校区の関係で、保育園に通っていた友達全員と離れ、私だけ別の学校に入学する事になりました。

時期を同じくして家庭環境が大きく変わり、家庭が安心出来る場所ではなくなりました。

その頃から学校に通うのがとても辛く、でも辛いと口に出す事も出来ませんでした。

自分の状況を「辛い」事なんだと認識すらしていなかったのかもしれません。


保育園では毎日遊ぶように過ごしていたのが、

机を並べて訳も分からず授業を受け、その合間に知らない先生やクラスメイトと関係を作っていく。

家庭と学校の環境が大きく変わり、家に帰って気持ちを落ち着ける時間もない。


自分の気持ちを感じる工程を飛ばして、なんだか楽しくない状況をなんとかするには、「友達を作らなければいけない」のだと 幼い私なりに考えたのだと思います。


自分の気持ちがよくわからないけど、周りに馴染めないのは なんだかまずそうだ、という事はわかる。

コミュニケーションが下手なりに、一生懸命に生きようとしていたんだな。そう思うと あの頃の私を抱きしめたくなります。


なぜ、自分の気持ちが良くわかっていなかったのか。今思えば、幼少期に自分の気持ちを信じて傷ついた経験を重ねてきたからなのだと思います。

それ以上傷つかない為に、私は自分の気持ちに鈍感になっていったんじゃないか。

加えて、私は養育者から精神的なケアを受ける代わりに物質的に満たされる事でフォローを受けていました。

それは周りからすると羨ましい状態だったらしく、よく贅沢だと言われていました。

そこから、「私は贅沢なんだから、悲しんではいけないんだ」という気持ちが根付いていきました。


大人になっても ずいぶんと長い間、私は自分の気持ちがわかっていませんでした。

生きる環境を選べない子供の時に比べると自由になったはずなのに、ずっと自分の気持ちを縛っていました。


何があっても前向きでいなくてはいけない。

人に悪い感情を持ってはいけない。

周りに適応する為に必要以上に自分の気持ちを調整し、そうする事が正しいのだと思っていました。


何をしても苦しくてもがいていた頃、

「自分の気持ちをノートに書こう」

「成長する為には本当の気持ちを書くこと」

そんな風に教えてくれた人がいました。

"本当の気持ちを書くこと"

その言葉は、ぼんやりと私の中に残っていましたが、

その時でさえ私は本当の気持ちは書けていなかったと思います。正解の気持ちはなんなのか、どう思うべきなのかを一旦頭で考えてから紙に書く。

ただ、その時の私は「本当の気持ち」を書いているつもりだったのです。


自分が本音で生きていないかもしれないと気付いたのは、周りの人の言動に対する私の捉え方に少し幅が出来てきたからでした。

私が自分に禁止しているような感情や言葉を軽く言ったりしている人を見ると胸がザワザワとしている事に気付き、そういえば なぜ私はそれらを禁止しているのだろう?と思うようになりました。


何があっても前向きでいなくてはいけない。

そう思っていた私は、不満を漏らす人を見るのが苦手でした。

でも、それって悪い事なのだろうか?

素直に自分の気持ちを言葉にしているだけなんじゃないか?そんな風に思うようになったのです。

そもそも、「前向きに捉えないといけない」という言葉が出てくるという事は

前向きとは言えない気持ちが先にあるんだという事に気が付き、それが自分の本音なのかもしれない。と考えるようになりました。


そういう事から少しずつ、自分に許せる感情が増えていったように思います。

今振り返ると、自分の気持ちをノートに書く。

それが例え本音ではなかったとしても、書き続けていた事が本音に気付く道になっていたのかもしれません。




本当の気持ちがわからない。

多くの人はそんな風に思った経験があるのではないでしょうか。

幼少期から成長するにつれ、周りに合わせたり、外からの様々な価値観に影響されていくのは自然な事だと思うから。

自分の気持ちがわからなくて苦しくなる時は、

どこかで何かを円滑に進めるために、押し込めてしまった自分の本音があるのかもしれません。

私は、まずはそんな自分に寄り添う事から始めます。