久しぶりに京都を訪れた


かって家族四人で


ある時はなほと二人で


何度も訪れた京都


今回は今まで行けなかった場所を


ひとり巡る


天橋立は


見えないなほに語りかけ


松並木をゆっくりと歩く


高尾、栂尾は


どこを切り取っても紅葉、黄葉


嵐山高尾パークウェイの


もみじのトンネルは


息を呑むほどに美しい



そして化野念仏寺は


前回訪れた時


まだなほが生きていたっけ


賽の河原をぐるりと回り


水子地蔵様の前に行くと


初老のご夫婦が


熱心に手を合わせお参りしている


お二人の間のお子様なのか


或いはお孫さんなのか


その後ろ姿は


悲しみに堪えながら


幼子の魂の行く末を案じて


一心に願い祈っている


なんだかとても神々しく


切なく美しく見えた


きっと待ちわびながらも


喪ってしまった命なのだろう



私にも水子が居る


顔も見ず声も聞かず


闇へと流された魂は


私を恨み逝ったのだろうか?


またすぐにこの世に


生まれ変わる事が出来ただろうか?


薄情な母を見捨て


善き親と巡り会えただろうか?


せっかく生まれても


望まぬ最期を迎えてはいないか?


なほにばかり囚われていた想いが


ふと遠い日の思い出がよみがえり


熱く痛く胸を駆け抜ける



沢山の罪を重ね


沢山の犠牲を出して


今厚かましく生きている己を恥じる



老夫婦の姿が去った後 


線香を手向け手を合わせ


ごめんなさい


赦してください


そして


もしも彼方の世界で


皆一緒に居るのなら


仲良く幸せにいてください、と


虫のいい事を願う



そうです


本当なら私には


四人の子どもが居たのです


なのに今この世にはたったひとり


三つの清らかな魂は


愚かな母が摘み取りました


この手で棄ててしまいました


きっと私は


地獄に墜ちていつまでもいつまでも


この世とあの世をさ迷い続け


醜い餓鬼になるのでしょう


念仏寺に静かに眠る


無縁仏のひとつにさえ


なる事も叶わぬのでしょう


それでもいいから


愛しい三つの魂だけは


私の子ども達だけは


穏やかでいますように


美しい処で暮らせますように


今はただそう祈る事が


母として出来る唯一の事


贖罪とか償いとか


そんな言葉も当てはまらぬ


自己満足な母の想い


罪深い母の祈り