3月末で定年退職した
コロナ患者さんを数人受け入れていた病院だったのでホッとした気持ちと残ったスタッフの今後が心配だ

仕事がなくなると父宅の遺品整理や庭の手入れに通うしかなくなった
元々、いつもひとりぼっちだったから自粛もソーシャルディスタンスも苦痛にならない

東北の心友が、遅い春の花達の写メを送ってくれる
北国の景色は清らかで清々しい
私はお返しに一足も二足も早い福岡の花の写メを送り返す

いつか東京で落ち合いお互いの喪った大切な我が子の思い出を語り合おう、と約束している
いつになる事やらコロナのご機嫌しだいだ

コロナは風邪よりも軽いし致死率も低い、マスコミや専門家の統計に振り回されている
というブログを読んだ

集団免疫を獲得して経済活動を復活させようと言う声もある

でも、私は肺癌で左上葉をリンパも含め全て切り取っている
それに喘息と気管支拡張症という訳の解らない病気もある

私達のような高齢で持病がある人達はもしもの時の覚悟をしながらこれからの日常を生きていかなければいけない

Nがもし今この世に居たら
「ママ、外に出たら絶対にダメ‼️」
と毎日涙ぐんで言っていただろう

私はつくづく思う
「ママがもし死んだらNもすぐに死んでいいんだよ。もう、車の運転も止めていいし先の事なんか考えなくて今欲しい物買って毎日グータラしてたらいいんだよ。お金が無くなったらその時にもうやーめた!と笑って死ねばいいんだよ」
そう言ってやれば良かったと

夫もとうに亡くなり、私がやがて死んで、一人きりになった後の長いNの人生を想い、ああしなさい、こうしなさいと言い続けた私の親としてのエゴがプライドが、Nを死なせてしまった

あの時、こんな異常な日常が来るのなら、もっとお気楽にのんびりと生きる術を教えてやれば良かった

コロナは色んな事を教えてくれた
この国の危うさも脆弱さも
偉い政治家より普通に生きている人達が知恵を出し合い助け合いこれからの未来を創るであろう事を

そして、何よりもNにこの日常を知らせずに済んで良かったと

私は秋に人生15回目の引っ越しをしようかと思っている(高校卒業して以来あまりにあちこち引っ越したのでもしかするともっと回数は多いかも。因みに転勤族でもないし、結婚も一度しかしていないのに)
大嫌いな父が生きている頃は絶対帰るものか、と決めていた田舎の実家

60数年前に私が産まれた家
あれから建て替えをし、もう30年の古民家だが少しリフォームすれば暫くは住めそうだ
毎日通い、父母の遺品整理や庭掃除をしている内に愛着が沸いてきた
何より苦手な父がもう居ない事が…

ここがきっと終の棲みかになるだろう
私の予定では後3年くらいの余命
いよいよ身体が不自由になればどこかの施設かホスピスに入る事になるだろうが

ひとりは寂しい
ひとりは気楽
Nちゃん
貴女が居るからこそひとりも生きていける
Nちゃん
貴女が待っているからこそ死ぬ事も怖くない

コロナの第2波、第3波にやられたとしても人工呼吸器は拒否するからね

でも、アビガンくらいはお願いしようかな(笑)

何よりも余り先がないという現実が私を低空飛行の気持ちのままに穏やかに過ごさせてくれているのだろうな…


苦しみの中、喘ぎさ迷うブロ友さん
コメントもメッセージも書いてはいませんがいつもあなたの深い悲しみに寄り添っています