私の小さなアパートに

長い付き合いの友が来た

農家の人の手作り弁当のランチを食べ

お互いの近況や世間話しをして

なんとなく話しの流れから

妹と次女にしか教えていない

私がしまいこんでいる

納棺グッズをお披露目した

自撮りで用意した大きな遺影

額縁はNとお揃いの色違い

骨壺も同じくお揃いの色違い

そして一緒に焼いて欲しい物

家族達とのスナップ写真

母のお気に入りだったブラウス

Nが息を引き取った時に

身に付けていたTシャツやパンツ

Nのスケッチブックにメモ書きの束

それらを嬉々としてお披露目して

笑いながらひとつひとつ広げていると

ふと、彼女が顔を曇らせ涙ぐんだ

気付かず一人ではしゃいでいた

おばかな私

そう、彼女にとっての「死」とは

私とは全く違う意味合いを持つもの

私はNが逝ってから

死ぬ事が怖くなくなり

むしろ楽しみにさえなっていた

Nと再会しもう一度母子になれると

だから
エンディングノートも書き上げ

毎年年初に遺言書を書き換えて

納棺グッズを袋に詰めて

時々出しては確認し…

でも、彼女は違う

彼女には37歳の娘が居て

知的障害と精神障害を患っている

自宅とグループホームと作業所で

この先もずっと生きてゆく

幼い頃に母親を自死で亡くし

父親も事故で亡くし

彼女自身そう極性障害と

免疫不全の病いを抱え

とても苦労を重ねながら

結婚し二人の子をもうけ

そして下の子が高熱の後遺症で
障害が残った

だから私の友は

娘を置いては死ぬ事が出来ない

彼女は言う

「Mの為に90迄は生きなくちゃ」
と…

我が子を先に送り

嘆き苦しみ死にたいと願い

いつ死んでもいいと毎日を生きる私と

我が子の為にどんな病気になろうとも

ひたすら生き続けなければならない

そんな想いで生きている彼女

以前何度か自殺未遂をして

死にきれなかった彼女の人生

私には私の

彼女には彼女の

それぞれの悲しみの色

それぞれの「死」に対する想い

いつ死んでもいい、と

死にじたくをする事が出来る私は

彼女にとっては羨ましいのかもしれない

彼女はいつも言う

「stand by me  まちこさん、死なないで私の傍に居て」と

そんな時、私は笑って受け流す

少し悲しげに彼女は微笑む


NとMちゃん

生まれた時は二人とも

健康で明るくて

私達は幸せな母親だった

なのに私達は

生きていても死んでしまっても

我が子を喪った

健康で普通に暮らせる

ありきたりな母親の幸せを喪った

私の「死」と彼女の「死」

同じものではなくなった

死にたいと願う母と

死にたくても死ねない母と

私達の「死」は

願いとは叶わぬままに

いつか理不尽に訪れるのだろう


今年もミモザが咲く季節

Nも愛した黄色い花

素敵な香りをくれる花

彼女を送り出したあと

見えないNを横に乗せ

ミモザを探してドライブをした

「きれい!今年も咲いたねN」

納棺グッズを見せた事を

ほんの少し後悔しながら…