「かたわれ」は、空が青から藍へと深まっていく時間に始まった。
終わった時には藍がすっかり黒に溶け込んでいる。
一曲目の不穏なクレズマーと街の教会の音が混ざり合うと、異次元の扉が開いたように感じられる。
終わった時には藍がすっかり黒に溶け込んでいる。
一曲目の不穏なクレズマーと街の教会の音が混ざり合うと、異次元の扉が開いたように感じられる。
照明のおかげで影がくっきりと壁に映る。
村田さんと影が重なり合って踊る様が、悪夢のようで鳥肌が立った。
「バーバラビットのキャバレーショウ」に比べると、「かたわれ」のお客さんの数は少なかった。
しかしその分、通り一本向こうの喧騒が嘘のような静かで集中力のある輪が出来上がる。
なぜかお客さんの年齢層がぐぐっと高く、最終日までその数をじわじわと伸ばしていったのも「かたわれ」らしい。
四日間とも、作品が終わって村田さんが喋り始めようとしてもなかなか拍手が鳴り止まない。
「かたわれ」は決して大きなショウ、派手なショウではない。
「かたわれ」は決して大きなショウ、派手なショウではない。
けれども息を飲んで観てくれた人たちの熱意は、確かに伝わって来た。
さて快適な宿が現場近くに確保できたこともあり、シャロンでは今までで一番色々なパフォーマンスを観に行くことが出来た。
不思議な人形をつかったロービング(回遊型のパフォーマンス)。
ふかふかぶよぶよとした人形たちが、道行く人の背中に乗ったり手をつないだり、なんとも言えない独特の不思議なリズムで人々と触れ合って行く。
何かしら大きいことや面白ことをやるでもなくずっとそんな調子で街を歩いているだけなのだが、人形に直に触れる機会はなかなかないので新鮮だった。
ふかふかぶよぶよとした人形たちが、道行く人の背中に乗ったり手をつないだり、なんとも言えない独特の不思議なリズムで人々と触れ合って行く。
何かしら大きいことや面白ことをやるでもなくずっとそんな調子で街を歩いているだけなのだが、人形に直に触れる機会はなかなかないので新鮮だった。
黒いドレスを着た七人の女性たちによるパフォ-マンス。
演劇ともコンテンポラリーダンスともつかない何か。
年齢層の割と高めな女性たちが、笑ったり憎しんだり愛したり泣いたり。
最後には高らかに歌いながら、輪を残して軽やかに消えて行く。
強く激しいけれども飄々としていてしなやか、媚びないけれどもユーモラスで毒がある。
「なんだか指輪ホテルを思い出すなあ」と思っていたら、村田さんも同じだったらしい。
パフォーマーをわざわざ捕まえて「ブラボー!」と声をかけたくなったのは、この作品が初めてだった。
そして私たちのシャロンを語る上で欠かせない二人、それはAlek et Les Japonaises。
バンド名(「アレックと日本人」)の通り、ベルギー人アレックと日本人マイさんによるテクノユニット。
日本語フランス語オランダ語それに中国語までを織り交ぜたキッチュな歌詞を、ギラギラ衣裳の二人が歌い上げる。
アニメティックなジングルも効いたポップで楽しいステージ。
そしてマイさんの戸川純並のキレっぷりから目が離せない。
大聖堂と Alek et Les Japonaises。
荘厳さとの対比がとってもシュール。
最終日の夜を盛り上げる Alek et Les Japonaises。
毎日ホテルでCDを聴きこんだ私たちは、振付を完璧に覚えた上に口ずさんだりもしてすっかり立派なファンと化す。
Alek et Les Japonaisesの振付はヘンテコで楽しいので、気がつくとどこでもディスコ状態。
深夜にも関わらず、かなり幅広い年齢層の人たちが踊りまくっていたのが印象的だった。
毎日ホテルでCDを聴きこんだ私たちは、振付を完璧に覚えた上に口ずさんだりもしてすっかり立派なファンと化す。
Alek et Les Japonaisesの振付はヘンテコで楽しいので、気がつくとどこでもディスコ状態。
深夜にも関わらず、かなり幅広い年齢層の人たちが踊りまくっていたのが印象的だった。
夜もすっかり更け、バーの従業員たちも飲み始める。
彼らが振舞ってくれたシャンパンですっかり酔っぱらい、私たちのシャロンが終了。
帰りは二年前と同じように、アレックが車で宿まで送ってくれた。
次は日本かヨーロッパか、分からないけれど日本に来た時には必ずイベントを開催することを心に誓って、二人とお別れ。
この晩私は大層酔っぱらっていたようで、翌朝の荷造りを村田さんとさや香さんに丸投げするという駄目アシスタントっぷり。
この晩私は大層酔っぱらっていたようで、翌朝の荷造りを村田さんとさや香さんに丸投げするという駄目アシスタントっぷり。