アディクションを抱えているひとは知っているコトバなのですが「底付き」という考え方があります。ヒドイことではあるのですが「これ以下はない」と思い知ることが「底付き」です。

 

前にテレビドラマで織田雄二主演の「踊る大捜査線」という作品が放送されていました。あの中で年末年始になると刑務所で年を越したいという人々が人情味のある年配の刑事さんに刑務所に入れてくれるように頼むという場面がありました。

 

加藤さんがご自身がある事情で刑務所に入って、そこでごま塩頭のオジサンが刑務所に入っても普通にしているのを見て「こうなってはいけない」と底付きを経験したようです。

 

私も最近「これが底付きなのかな」ということを経験しています。いろんなイヤなことは当然誰にでもあるのですが、そういう事柄に関して私はそうとう無理矢理に「このひとがこういうことをするのにはこういうわけがあって」であるとかそういう理屈をこねくり回すようなことをしていたのです。

 

でもあれは単にヒドイことだったし、あの過去は変えられないんだと思っていますし、それが私にとっての底付きなのかなと考えているところです。

 

それにあのドラマのスタッフは日本人には「基本的人権」が存在することをしらなかったのでしょうか。日本人であれば「健康で人間らしい生活をおくる権利」を持っています。日本人の感覚でいえば「恥」ではあるのでしょう。しかし「生活保護」を一定期間受けて、そこから社会復帰する人々がいることも報告されていますし、ホームレス生活を送っている人に何らかの障害を持っている方々がいる可能性も指摘されているのです。実際私も精神を病んでいて独り言が止まらなくてくる苦しんだ時期があるのですがホームレスの方で独り言を言っているひとも多数います。

 

ついでに書くとどこの局のニュースだったのかは忘れましたが民間放送の夕方のニュースでした。そのときは夏だったのですが取材クルーは冬にも取材に訪れていて二回目の取材らしかったのですが、取材クルーは基本ただカメラを回していただけでした。

 

彼らは一応ジャーナリストであるはずなのですが「基本的人権」に関する知識もなく「路上生活者」を支援している人々が存在するという知識もなく今の日本で貧困問題が大問題だという認識もないままに「ニュース」なるものを放送していました。日本の民間放送のテレビニュースの地に落ちたものだと思いながら見ていましたし、「もう二度と民放の夕方のニュースは見ない」と決めもしました。

 

前に北野武さんが「下町人情とかいうけれどもアレは助け合わないと生きられなかっただけのことで人情とかそういう良いもんじゃない」と発言されていました。

 

私も日本の中では低い階級にずっといるのでソコには同感です。そして違う(一般には普通の階級の人々)のすることのエグサに結構うんざりしています。

 

ただこの本をSNS上で紹介したときに知人からツッコミが入り「自分を愛する技術なんて誰も望んでいない。みんながほしがっているのは愛される技術だよ」と言われたのですが、ある程度の思索の経験があるひとなら「自分を愛することの難しさ」には気が付くものだと思うのですが。そのツッコミを入れた人には普通レベルの思索の経験がなかったのだと思います。

 

ついでにいうと「理屈」と「ヘ理屈」とは当然違うのですが「へ理屈」を「普通の理屈」だと思っているような愚かなひとも多数いるようで私には不愉快でなりません。そういう人たちは誰かから何かを言われて言い返したつもりなのでしょうが、(テレビでもそういうことがあるのですが)単なる「ちょっと違う視点を提示しただけ」の場合が多々あります。硬くいえばただの「相対主義」にすぎないことです。そういうことをするのは自分は知的でもなんでもなくヒドク醜い俗物だということを表しているのですが、そういうことを普通にする人々が多数いるので私は関わり合いにならないようにしています。そういうひとが出るようなテレビは見もしませんし。SNS上でのかかわりも遠慮します。