🗣️ 芥川龍之介 × 三島由紀夫
主題:「三十六計逃げるに如かず」――逃走の倫理と美学
芥川龍之介(静かに微笑しながら) 「逃げるに如かず」とは、戦略の極致にして、倫理の臨界点でもありますね。私は『羅生門』で、飢えた下人が老婆の髪を抜いて逃げる姿に、ある種の“生の諦念”を描きました。逃げることは、時に人間の最も誠実な選択なのです。
三島由紀夫(眉をひそめて) だが芥川先生、逃げることは“美”ではない。私は『金閣寺』で、破壊によってしか到達できない美の極北を描きました。逃げる者は、自己の美学を放棄した者です。今回の事件のように、侮辱されたと感じた男が暴力に走った――それは“逃げなかった”がゆえの悲劇ではなく、“美を持たなかった”がゆえの堕落です。
芥川 美を持たぬ者に、逃げる自由すらないというのですか? それはあまりに苛烈です。この社会には、逃げる場所が制度的に用意されていない。だからこそ、暴力という“最も愚かな跳躍”に至るのです。
三島 ならば私は問いたい。制度に逃げ場を求めること自体が、すでに“国家の美”を損なっているのではないか? 国家とは、逃げる者を赦す場ではなく、立ち向かう者を讃える場であるべきだ。
芥川 しかし、立ち向かうことができるのは、言葉を持つ者だけです。言葉を持たぬ者にとって、逃げることは最後の詩です。私はそれを“制度詩”と呼びたい。逃げることを制度化する――それが、暴力を詩に変える唯一の道ではないでしょうか。
三島(しばし沈黙し、やがて静かに) ……なるほど。ならば、逃げることもまた、“跳躍”の一形態かもしれませんね。だがその跳躍には、せめて“様式”が必要だ。無様に逃げるのではなく、美しく退くこと。そこにこそ、武士道の残響がある。