アイマスについて
んーなんというか
劇場版のアイマスを見て、なんか自分の中で一区切りがついたというか。
ぷちますもありますし、たぶんシンデレラのアニメーションだってどこかで企画されてるでしょう。
それをまた順々に追っていく…のももちろん楽しいんでしょうけど、やっぱりそのなんていうか「あぁ、劇場版っていう一区切りが成功してよかった」って思って。
私自身の肩の荷が下りたというか。ただ見てるだけでも、感じるものは誰にだってあると思います。
アイマスをやめるということは、私の生活の半分がフリーになるということと同じです。そんなぽっかり穴を空けるのが…ずっと怖かったのかもしれません。
今までの生活の大半を占めていたものを一気に放り出して、なんて…そんなドラマみたいなこと、私にはできないです。
でも、それをやるとしたら。
きっかけを自分で見つけるとしたら。
このタイミングなんじゃないかと思って。
ま、ウソなんですけどね(笑
いやなんというか…見え透いたことをあえてやるのかこいつは!みたいに思ってらっしゃるでしょうけど(笑
ウソ…っていうか、本当のことを言えば、結構真剣に考えました。間違いなく、この文の編集日が映画を見た日だからです。1/27です。
ですから、ウソではありますが、単なる「冗談」ではありません。まぁ「いいネタじゃないか」と思ってこういう形に仕立て上げましたけどね(笑
まぁ…そうですね。
ふと聞いた小鳥さんの「空」に「始まりとおしまいなんて繋がって巡るもの」という歌詞。そして、貴音さんも言っていた、出会いは別れの始まりであるということ。
逆に言えば、「徐々にやめていく」なんてできるわけないじゃないですか。どうしろっていうんですか。
私は…
私は、アイマスをきっぱり「やめる」という決心ができないので、まだ可能な限り追っていきます。その最後に何が待っているのかはわかりませんが、たぶんその時は「あぁ、アイマスが好きでよかった」と思えるときでしょう。
今回の、この気持ちのように。
あのときのように「2の内容がどうたら」って…そういうことでは逆にやめないと思います。そういうのがあれば逆に燃えるタイプというか。逆境大好きなんで(笑
なんというか、アイマスが「終わりが見えない」からこそこういう悩みを抱えることができるのかなぁとも思います。絶えず興味を持たせ続け、今後もどこに収束するのかが全く見えない。収束する、という言葉を使うのは、数学をやっている身として正しいのかどうかわかりませんが。
数学では「どこに辿りつくのか?」というのを議論したい場合、「たぶんここだろう」と推論する場合と「こういう条件なら必ず行き先がある」という感じのパターンがあります。
…あ、うまく話がつながらない…(笑
ま、とにかくですよ。
今回の劇場版を、私のように「一区切り」と考えている方が他にいるのかはわかりませんが、少なくとも私は、そのような捉え方をしたということです。
ネガティブな考え方では決してないです。原点はここにあれど、外の世界に目を向けること…その見方は、他でもないこの十数人から学びましたから。
…真面目な話をしてしまいましたかね。
みなさんはこんな考えをしなくてもいいんですよ!「劇場版2はよ!!」って思うだけでも見た価値というのはあります。それだけで十分なんです。
「エイプリルフールに逆に真面目な話をする」というギャップを…まぁ狙ったわけではないんですけど、それもまた一味違っていいのかな、とも思います。私の世界を皆様は堪能なさってください(笑
ま、この記事が公開されるのは、要するに執筆日から2ヵ月後。動画とかいろいろ作って公開もしているはずです。3周年も、千早さんややよい誕生日も…ちゃんとやってるのでしょうか?(笑
たぶん、エイプリルフール用のネタを他にも考え付いて「あーこっちにしようかな」とか数回は考えてるはずです。それでもこの記事を皆さんがご覧になっているということは、まぁそういうことなんでしょう。
というわけで、私はもうちょっとアイマスに寄りかかって生きていこうと思います。もちろん、みなさんにも寄りかかって。
それが一番いい生き方なのかはわかりません。他にもやり方はあるのかもだけど…
私は「ぶつもり」だから。
↑結局、最後にこれがやりたかっただけなんですよねー(笑