そういえば「マリン」って自分で考えてた名前でしたっけね(懐かしい
あは…あははは…
はぁ。
ということで、月曜から疲れてまいりました。いかがお過ごしでしょうか。
えー年度もかわり、新しい生活をお始めになった方も少なくないんじゃないかなぁと思います。
でね、さっそくうつむいてしまうような感じになっている方も、まぁ多少はいらっしゃるとおもい
私です
だってだって…まわりみんな知らない人で… ←コミュニケーション能力高くない
あ、でも先日申し上げました「発表会」とやら。あれはなんというか、「はー外国の学校ってまた違うんだねー」って感じだったので、そこでつまづくということはありませんでした。ヨカッタ
しかし、いわゆる「単位にならないような授業」…授業といいますか、「まぁこのくらいの知識はないとダメだよね、だからこれに参加して。あとこれもやるから出てね。」っていう、そういうのがわんわんさかさか。
せんせ。わたししんじゃう。
…と、正直に言えないところが私のダメなところ。ひとこと「がんばります…」と答えて帰ってきました。
たとえば、卒業に必要な授業だったらなんというか「受けないといけないから!」っていう…なんていうんですか、義務感みたいなのがあるじゃないですか。
中学校までは義務教育だからーみたいな。
それで、まぁ高校くらいまでは出ておくかーくらいな感じで、「まぁこの時間ヒマだし?ちっとは授業受けとくべ」みたいな感じで、卒業に必要な(最低限の)単位をかき集めるじゃないですか。
普通は。普通は?普通は。
一方、「これ自分のためになるからやろう」っていうのは、いわゆる「内発的動機づけ」…と言うんですけど(※後述)
つまるところ、「これやる!」というモチベーション…やりたいんだ!という「強い」気持ちがないといけないわけで。
この大学に「行きたい」んだ。絵を描く仕事に「就きたい」んだ。このくだらなくも美しい世界を「守りたい」んだ。
という感じで、自分のスイッチを入れないといけないわけです。それが難しいのなんのって。
みなさんも、こういう場面が訪れることだと思います。何度となく。今までも。そしてこれからも。
私から言えることはひとつ。
私も嫌です。
そしてもうひとつ。
本気で面倒だということは他にもいっぱいあるはずです。最終手段として、「これやるよりまだマシだ…」と思ってください。
ということです。生きることができる、というだけで素晴らしいですから(遠い目
そんな感じで、忙しい週になること確定な今日一日でした。明日は自動車運転免許の更新に行ってくる予定です。
あ、私はたぶん今でも交通標識とかすっごい覚えてると思います。交通ルールとかも。ですから明日抜き打ちで急に「じゃあテスト用紙配りまーす」とか言われても大丈夫だと思います。
ペーパードライバーなだけにね!
…
…
(ちなみにちょこちょこ運転はしてます。でも逆に教科書に書いてあることは大半は覚えてないかもしれません。かもしれないだけですけど。一応。)
ということでですね、イツモドオリキレイニオワッタナー
ではでは次の機会までごきげんよう。以下、(※)のことについて少しだけ。暇な人だけどうぞ。
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(※)
私は街へ出かけた時、幼女を見かけると、
「ほらほら、アメをあげるからおじさんといいことをしよう」と誘います。
すると、ようじょは私についてきます。そして
※言うまでもありませんがウソです。今のところは(
「動機」というのは、救心を飲めば治るアレではなくて →「動悸」
人が何かをする「きっかけ」のことを指します。まぁこれは「普通の」概念ですね。
一般的に、「外部からの動機づけにより行動をする」ことを、「外発的動機づけにより行動する」と言います。
ですから、まぁ「外発的動機づけ」という単語自体を言葉で説明するのは難しいのですが…
アメをくれたから(外発的動機)、ついていった ということになります。
(最初から「外発的動機」という単語で説明されている文献を私は見たことがありません(と思います)。
「外発的動機づけ」という言葉の、「外発的動機」とはなんなのか、ということを説明すれば、まぁこんな感じです。)
では(対称的な言葉となる)「内発的動機づけ」というのは? ということなんですが
まぁお察しの通り、「外発的動機でなく行動する」ということでいいんじゃないですかね。
「内発的に『動機』を付ける」という意味と読むと、『自分に対して』『動機を付ける』…?という言葉のギャップを感じるようにも思います。もちろんそちらで納得できればそちらで良いのでしょうけど。
単純に、外発的でないものは内発的だ、としていいんじゃないでしょうかね。あまり詳しいことは知りませんが。
しかし、それではあまりにも投げっぱなしなのでよくありません。
短絡的に言えば、「やりたいからやる!」。これが「内発的」。
つまるところ、ようじょは私とイイコトをしたいから一緒についてくるわけです。
…この例えはあまりよろしくありません。なんかいろいろと。
簡単な例を出せば
お父さんが「勉強を頑張ってテストで良い点数を取ったら、夕飯はお寿司にしよう!」と言ったために子どもが勉強をし始めたら、それは「外発的動機づけ」。
「私はファッションのことに興味があるから、その勉強をいっぱいして、将来はデザイナーさんとかになりたい!」と思って勉強を頑張っているのは、それは「内発的動機づけ」です。上の方に書いたやつとあまり変わらないことをかいてしまいましたね(笑
なぜファッションなんてお前には似合わない単語を出したんだ? ですか?
実は最近、たまたまハートキャッチを見たもので…w
学園祭本番のところだったんですが、つぼみえりかがファッション部で奮闘してました。あの二人は今見ると本当にかわいいですね。歴代で一番「かわいらしいコンビ」かもしれないと思いました。
はぁー?はなさきさんって声まで控えめなんだー
イジメヨクナイ;;
…ちょっと話がそれました。
まぁ、こんな「外発的」「内発的」と名前を付けて何がおもしろいんだ?ということまでつきとめないと、一応「読んだ意味がない」ということですかね。
もちろん、先生が「この勉強をしなさい」と言って生徒がやるのは「外発的」ですが、それじゃやはりつまらない。
生徒自身が興味を持ったことを、彼らの手で調べたものこそ、真の価値があるというものです。(と考えられているようです。)
つまり、その行動が「外発的動機づけ」によるものだったか、「内発的動機づけ」によるものだったか。それを判断することに意味を感じることができると思います。
しかし。「外発的だから悪いんだ!」「内発だから絶対いいんだ!」ということではもちろんありません。計算力を上げることは大切な事。そのために宿題を出して生徒達が翌日ドリルを提出する。これが「意味のないことだ」なんて言えませんからね。
一般に「よい」とか「悪い」なんて100%で判断できることではないですから。
ですが、あくまで「判断の基準の一つ」として、小さくない役割を持っていそうだ、ということはご自分の生活を見なおした時、ちょっとは実感ができる…そんな材料なのではないでしょうか。
私がこれを書いた一番の目的はそれです。
「自分が今やっていることは『外発的』なのか『内発的動機づけ』によるものなのか…?」
それを考えるだけでも結構おもしろいです。
そして、いかに「外発的」なものをやらされているか、「内発的」なものをどれだけできているか
同時に、「内発的動機づけ」による行動は、いかに大変か…
少しでも考える「機会」になればいいなぁと思いました。
ま、これで「考えさせられた」なら、それは私からの「外発的動機づけ」ですね。
…キレイに終われましたか?(笑
とりあえずここまで読んでくださった人がいらっしゃれば、ありがとうございましたということで。
文章がバラバラになってたり、誤字があったりしたらすいません。
それではまた次回の更新時に。