偉そうに学習指導始めると書きましたが

私のこと何も伝えてませんでしたね。

私は教育関連で約21年指導してきました。

 

その期間中も捨てられなかった「指導」に関する信念が、

「考え方や解き方を教えるのであって、答えは教えない」

ということ。

まあ、何言ってるのかわからないかもしれませんが、

要は

「見本を見せて、ヒントを出すから、自分でやれ!」

ということです。

 

よく使う例で言えば、

食べるのに困っている人たちに食料を分け与えるよりも、

最低限度の食料と、食物の育て方、調理の仕方、手に入れ方、

を教えて横で見守っている、

ということ。

 

横で見守っている、というのが一番大切だと思います。

 

困ったら手助けはするが、自分でどうするかを考え、

行動させるように促す。

だから授業なども適当に説明して演習させることが中心

でやってきました。

 

あ、「適当」というワードに悪いイメージもたれやすいのですが、

悪いイメージを感じた方は是非辞書で調べてくださいね。

 

というように、基本真似させ、わからなかったら調べさせる、

それの繰り返しです。

 

ちょっと批判的な言い方をしてしまえば、

以前の学校の先生、塾の先生って、

教えるときに知識を与えることに終始して、

テストの時期まで確認を怠るではないですか。

それで点数が悪い子に

「なんで出来てないの?教えたじゃないか。」

と平気で言う。

教えたのは先生の側。理解したかどうかは生徒の側。

テストで初めて理解したか確認するのは、

遅すぎるわけです。

「教えた」→「できる」ワケではないのですよ・・・

ってわからない人が多すぎるのがよくある話。

ここに来てやっと「アクティブラーニング」という言葉で、

学習の双方向化がさけばれていますが、

今までがひどすぎただけで、今のこのスタイルが

学校や塾での健全な流れではないか、と私は思っています。

 

最近やっと双方向授業が主流になりつつありますが、

実は私がやってきたことがそれ。

 

(時代がやっと追いついた、なんてね)

 

だからこそ学習に必要なことは「マネル・ナヤム・リカイスル」

だと思っています。

 

よく、

答えを写すことは悪い、解答を見て勉強するのはよくない、

と言いますが、

授業で途中過程を重視する内容をやっていれば、

答えを写すのも学習の一つ「マネル」行為

解答を見て理解しようと「ナヤム」行為

それを繰り返して「リカイスル」行為

はとても重要ではないですか?

だからこそ私は授業で一番重きを置いていたのは、

 

「ノート提出」

 

授業で書いた事を書いているかな、

宿題のところ答えだけで終わらせてないかな、

理解するために整理しているかな

 

てな具合に。

 

ここまでつらつら書いてきましたが、

学習に必要なことは

数学の例で言えば

同じ問題が解ける、

数字が変わっても解けるか、

出題の仕方(状況)が変わっても解けるか、

ということ。

仮に英語ならば、

授業で出てきた文章を日本語に訳せるか、

授業で出てきた単語を覚えているか、

ほかの文章に出てきても(なんとなくでも)意味を想像できるか、

ということ。

 

同じことの繰り返しに思えることが

学習において大事だと思っています。

それも、省略なしで。

 

スポーツで言ったら基本の繰り返し練習ですね。

走り込みや素振りみたいなもの。

3km走るのに途中省略したら意味ないですもんね。

 

私はこの学習方法が大切だと思っていますので、

もしこれを見て何か感じるものがある方は、

簡単なことを繰り返し「書いて」ください。

 

書いて書いて書いて、同じものが来たら解ける、

という自信をつけることが学習において大切なことだと

思っております。

 

つまらない話を読んでいただきありがとうございました。

学校の現場を離れてから3年。

実はこの状況下で無職になりました。

そのため、自分の持っている知識をブログに書いてみようかな、と考えました。

 

まあ、専門は「数学・算数」ですので、そこの部分は多いと思いますが、それ以外でも知識の集め方なども含めて、つれずれなるままに書いていこうかなと思っています。

 

今日は挨拶のみ。

 

あす以降不定期ですが、少しずつ今まで授業のネタとして使ってきた事を書いていきますので、よろしくお願いします