とある地元の友人のおじいさんが亡くなったときに

葬儀に参列し、帰宅途中にメールで「ありがとう」とか入ってきた

葬儀中なのに結構余裕なんだな とか、そんなやり取りをした覚えがある


あまり悲しくないのか?という問いに彼は

おじいさんから見た自分は1/4おじいさんである

その1/4おじいさんである孫が何人もいるし、子供にいたっては1/2だ

半分おじいさんを継いでるもの、1/4おじいさんを継いでるものが

こんなにいるんだから、別に悲しくはない

とか、そんな感じのことを言われた気がする


なるほど、そんな考え方もあるのか


わしは死という概念(事実もそうだが)を他人より深く受け止めていると思う

あるべきものが無くなってしまう あったはずのものが無くなってしまう

最初は悲しんでいるものの、時間とともに風化して悲しさとか忘れていく

どうも納得いかない

何か大切なものが失われたときに、同時にわしから抜け落ちたものはその程度のものだったのかと


小さい頃うちのおばあさんが亡くなった時は葬式でガン泣きした

おでんの時も神社でみんなの前では平気な顔していたが

一人のときに真剣に泣いた

ここだけの話、夕拝とかかなりひどい状況だった(*´ω`*)


死ぬのは生まれたときから確定している

むしろ生まれた瞬間から死へのカウントダウンが開始される

わかってるのに いざ失われると悲しい

つまり悲しいという感情は後付なのか?

ぽっかり何かが抜け落ちるのではなく、平常の上に覆いかぶさる形で負の感情があるのか

徐々に平常に戻ってくると負の感情が剥がれ落ちていくのか

常に楽しそうな顔してる人は逆に言うと平常な部分が他人より少なめなのかしら?


魂だの肉体だのって話は一度っきりのものだから

うっかり試すわけにもいかないけど、出来るものなら

あっち側体験とかしてみたいね

でんこは忘れずに待っててくれるじゃろか


考察とかいっときながら、ほぼ思いつきで纏まってないけど

若干ネガネガしてるってことで一つ