贖罪の日~持てる者が捨てる勇気を奮う~ | mathichenの徒然なるままに

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袴田巌さん支え続けた姉 月収は生活費以外すべて弟に費やした
2014年4月6日(日)7時0分配信 NEWSポストセブン

 3月27日、再審が決まり「袴田事件」の犯人として死刑を言い渡されていた袴田巌さん(78才)が保釈された。無実の罪を着せられた弟を支え続けてきたのが姉・袴田秀子さん(81才)だ。

 巌さんが拘留されて以来、秀子さんは月1回の面会を欠かさなかった。裁判でいつか真実が明らかになる。それだけを希望に、拘置所に通い続けた。

 秀子さんは、いくつかの会社の経理の仕事を掛け持ちしながら巌さんを支援するという多忙な日々を送った。30万円ほどの月収は、家賃と最低限の生活費以外、すべて弟のために費やした。

「面会のたびに5万円、多い時には10万円とか20万円を差し入れていました。巌の大好物の大福もちやチョコレートもよく持っていきましたね。

 私のほうは最低限の生活ができて、食べていけたらそれでよかったんです。下着1枚買うのにも悩んで、結局、100円のものを買ったり…。そんな生活でした」(秀子さん・以下「」内同)

 巌さんが使い切れず、「お金はもう大丈夫だよ」と諭されることもあったが、それでも、塀の中でつらい思いをしている弟のことを考えると何もせずにはいられなかったという。

 だが、そんな秀子さんの献身もむなしく、1980年12月、最高裁で死刑が確定する。死刑確定後、秀子さんの眠れない日々が始まった。

「夜、布団に入ると、巌のことばかり考えてしまうんです。悲しんでるだろうな、怖いだろうなって…。眠れなくなって、深夜なのにウイスキーのお湯割りを飲んで、ようやく眠りについても、今度は巌の姿が浮かんできて、目が覚める。そこからまたお酒を飲んで…。これを毎晩繰り返して、アルコール依存症寸前になってしまったんです」

 いつ訪れるかわからない死への恐怖におびえる巌さん同様、秀子さんも苦悩する日々が続いた。そんな秀子さんを救うきっかけとなったのは、1990年代になり、巌さんへの支援の輪が広がり始めたことだった。

「夜、支援者のかたが電話をかけてくれるんですが、その時、いつも私は酔っぱらってるんです。

 それが、相手にすごく申し訳なくて…。“こんなんじゃダメだ。私がしっかりしなきゃ! 私が巌を助けるんだ!”って、ある時、心を入れ替えました」

 そうしてお酒を断った秀子さんは、以来、一度もアルコールを口にしてないという。1993年、秀子さんは60才になった時、借金をして浜松市内に4階建てのマンションを建てた。

「これも、巌のためだったんです。いつか巌が外に出てきた時、彼が家賃収入で生活していけるようにしてあげたかったから…」

※女性セブン2014年4月17日号

( 出典先:niftyニュース )




服役囚を家族に持つというのは、家族にとっても服役に等しい
冤罪なら尚更、凡人には想像出来ない苦難の日々である
弟の無実を信じて支え続ける事、それが亡母への孝行になると信じるといっても
半世紀近く、死刑囚の姉として、世間の目にさらされ続けるに耐えるには
不退転の勇気が求められ、言うは易し、行うは難し




【高慢と偏見を捨て去れば、人間は神より慈悲深い存在となれる】(3月28日)
http://ameblo.jp/mathichen17/entry-11807080557.html
相手が年寄りなのをいいことに時間稼ぎをする、本人死亡の時間切れを狙うに相当する
無罪の場合、人間としての良心痛まないのですか
無実か有罪かに関わらず、『封印』が汚点として後世へ残る恐れもわかっていますか
村社会の秩序が守られた所で、名誉に関しては却って不信を招いている面持つのですよ




袴田事件のYahoo!ニュース下にリンクされた関連記事の中に
【衝撃事件の核心】冤罪で14カ月勾留、男性は全てを失った…「真実の告白」に耳を傾けなかった検察
「けがの状況が不自然だったり、目撃者が『病院の主』(被害男性)を怖がって証人出廷を拒んだり…。
事件がでっち上げられた懸念は、当初からあった」
「(証言を翻した)男性の告白を受けてもその事実を隠し、再捜査にも乗り出さない。
有罪判決を得て検察の威信を保つ目的で、どれだけの犠牲が払われたのか」
「冤罪(えんざい)で14カ月勾留されることが、どれだけ苦しいことか。
捜査機関の責任者が実際に経験してくれるのなら、補償だっていらない」




『村社会』、これは検察に置き換えられる意味でも書いたのよ
点数を上げ、成功すれば、帰ってノンビリ飲み食いの優雅なご身分になんか
1年ちょいで済もうが、名誉剥奪される恐怖、人生やり直せるか怪しい絶望は理解不能
収監された当人のみならず、家族や相当する人々の、理不尽に奪われた長い年月の重みもね








mathichenさんがキンブル医師なら、握手せず、黙って蹴り飛ばしてやるは置いといて
ジェラード警部、「ターミネーターか~」いうほど、4年も執念深く追跡したのが
最後には潔く、黙りながらも己の非を認め、謝罪する男らしさを見せた




ドラマは大団円に終わるものの




妻殺しの濡れ衣を着せられ死刑を宣告された医師リチャード・キンブルが、警察の追跡を逃れながら、真犯人を探し求めて全米を旅する物語。アメリカでの最終回(後述)の視聴率は50%、占有率は72%で、当時のアメリカにおける視聴率の最高記録を樹立。これは1980年11月、ラリー・ハグマン主演のドラマ、「ダラス」第4シーズン第1話まで破られることはなかった(『デイリー・バラエティ』によると、最終回の視聴率は50.7%、占有率は73.2%だったともいう)。

サム・シェパード事件

本作「逃亡者」は、現実に起きた「サム・シェパード事件」がヒントになって作られた。

1954年7月4日、オハイオ州クリーブランド郊外に住む、サミュエル(サム)・シェパード医師の家で、彼の妻マリリンが惨殺された。サムはもじゃもじゃした髪の侵入者に殴られ気絶していたと主張したものの、容疑者として逮捕され、第二級殺人(計画性はあるが第一級殺人の条件を満たさない殺人)で終身刑の判決を受ける。母親はショックで拳銃自殺し、父親も病死。しかし、1966年に行われた再審の結果、サムは無罪となって釈放された。

この事件は、マスコミに大きく取り上げられ、本にもなったために、アメリカでは有名であり、ドラマ「逃亡者」がヒットしたのはこうした背景もあった。しかし、再審結果が出ると、アメリカ国民の興味は急速に薄れ、視聴率も下降して、打ち切りが決定した(ただし、最終回は、前述の通り高視聴率の新記録を樹立)。

事件には、後日談がある。サムは再び開業したが、周囲の疑いの目は変わらず、患者は訪れない。サムは酒とドラッグに溺れ、金に困ってプロレスラーに転身したものの、間もなく(1970年)肝不全で死亡した。サムの一人息子サム・リースは、偏見にさらされながら伯父に育てられた。やがて、サムの家の窓掃除人だったリチャード・エバーリングが真犯人である疑いが浮上した。サム・リースは、残された証拠品に対し、事件当時は存在しなかったDNA鑑定を依頼して、エバーリングと一致するという結果を得た。エバーリングは、別の殺人事件のため終身刑で服役中、1998年に死亡したが、別の受刑者によればエバーリングは自分が犯人だと語っていたともいう。サム・リースは、父の無実の罪を晴らすための裁判を起こした。だが、2000年に出た評決では、彼の期待した結果は得られず、真相は未だ藪の中にある。

( Wikipedia:『逃亡者 (1963年のテレビドラマ)』より引用 )




無罪勝ち取れど、一度失墜した信頼を取り戻すのは厳しい




袴田さんとお姉さんから奪われた年月は取り戻せない
経験してみればわかるけど、一度社会と疎遠になったり孤立無援状態に置かれたりすると
権利が回復されようと、どう行使して良いかわからなくて、心のリハビリ要するのが先決
年老いた姉弟にも、経済的な支援も然る事ながら、もう一度人間を信頼出来る環境の提供が大事
検察の未来を背負って立つエリート幹部候補生サマ他に求められるべきは
自分たちの非を認めれば、彼らが同じ過ちを繰り返さないための財産となるを理解する事である