歴史と人生の大河の流れは有為変転 | mathichenの徒然なるままに

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mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
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ココに常駐中

メッチャ蒸し暑いわね
此処は確か、堺市という名の世界一デカイ墓場都市。墓場=幽霊、涼しくならんもんかえ
此処は日本でなく、サイゴン?バンコク?とにかく蒸し暑い
いや待った。サイゴンも年中暑い土地だが、バンコクの湿度いうか空気の重さにゃ勝てんやろ
イタリアに30回以上物見遊山に行き、バンコクに邸宅を構える、大阪のカネ持ち夫婦によれば
バンコクは一番気候好い11月頃でさえ、30℃超すほど蒸し暑く、湿っぽい空気に覆われるそうな
日本人には、それこそ真夏に散歩させられる犬みたいにベロ出してゼ~ゼ~の炎熱地獄
ところが神さん仏さん(タイは仏教国、仏さんやろ)も良くしたもの
タイ人は炎熱を物ともせず、多少の暑さは気にせず、ジャンパー着て外歩けるとのこと
何処の国も、気候に応じた身体が作られるという意味だ




サイゴンといえば、ベトナム
ベトナムといえば




mathichenの徒然なるままに-ベトナム長粒米




1994年のタイ米騒動時、「本物のお米売ってよッ。子供に食べさせられないじゃん~」とわめく主婦いたけど
長粒米の炊き方を知れば、赤ん坊の離乳食、重た~い日本のうるち米でなくたって作れるわ
微笑みの国タイの方々は、「お口に合わないんじゃ仕方ないですね」とニッコリ赦してくれたが
普段タイから米輸入しているアフリカのどっかの国の分を、日本に回しての輸出と聞くと
前述の主婦は、売り手と本来のお得意さんを侮辱したに等しい、傲慢現代ニッポン代表であり
同様の輩ともども、飢饉に襲われた時には真っ先に飢え死にしやがれっての、飽食小皇帝どもめが~




悪態ついてスッキリ☆した所で




5月中旬、某セレッソ応援団が、洗礼名ヨゼフと野郎二人して、ミャンマー方面へ旅行
行きも帰りも中国経由、漢字だらけのお菓子お土産くれ、美味かったあるよ♪
ミャンマーの後に、ベトナム入りし、サイゴン土産をアレコレ買い込んだの
長粒米がどうなったかは知らん。ベトナムの魚醤ヌクマム、これは…




mathichenの徒然なるままに-フォー風スープパスタ




「おねーさん、麺の他レモングラスとか、ちゃんとした材料揃わないっすよ~」
「構わん。スパゲッティ使え。とにかく、フォーもどき作れぃ」




ベトナム料理好きなのに、最後に食べたの、7年以上前(泣)
ヌクマム堪能出来るとあらば、妥協はする食い意地大魔王ざます




本場ベトナム人は舌が肥えており、食事に関しては絶対妥協しないとのこと




『ベトナム、朝の屋台』
大陸では、朝から屋台などで食べるのが多い。ベトナムも然り
本格的フォーは、大家族の朝食分なんて用意出来ない
フォーでなくても、女子高生が早朝から屋台で大盛り飯を平らげていたそうな
午後には、学校帰りや買い物帰りのオンナどもが、ヒヨコちゃんを何個もキャ~♪キャ~☆




思えば
ベトナムは、四千年の歴史あるよ中国の隣に位置する
中国と並ぶ食の大家であるフランスの旧植民地でもあった
気候に恵まれたメコン川流域は、恐ろしいまでに食材豊富
南北統一後の共産国家、そして不景気な現在では、流石にやらないでしょうが
旧サイゴンの屋台で見られたサンドウィッチ作り方なんて
バゲットのくり抜いた部分を地べたにポイ捨て平気~級




『ベトナム麺フォーの食べ方』
「オレたちは、舌で食う。アンタたち日本人は、胃袋で食うんだね」
あてがいぶちをサササッとかき込む哀しい日本人を
上の映像のようなフォーの食べ方が常識なおっさんどもがからかったとのこと
派手に音を立てるのはお下品な食べ方、耳の感度が良い国だからですよ
(ベトナム人にも麺すする人多いものの、ズルチュル濁音半濁音を響かせる汚らしいのはいないよう)
ベトナム語は、日本人にはまず聴き取れない、複雑な母音を持つ中国系言語だもんで




ベトナム=フランスの旧宗主国
似た者同士なので、どちらも新興成金である米国を馬鹿にしていた
もっと馬鹿なのは、ベトナムが、米国との戦争で勝利した唯一の国と思い込んでいるニッポン人
あの戦争はベトナムが勝ったというより、米国の自滅よ
三国志の世界に、本国限定のアメリカン・デモクラシー持ち込んでも無効
占い好きのベトナム人に、厄日の戦闘命じてもヤル気起きるかいな
旧宗主国、四千年の隣国が食の二大師匠国で、マクドがスカッと爽やか☆に流し込まれて浸透するわけもなし




旧南ベトナムで何故、アメリカ人が受け入れられなかったか?
一行で書くと、「植民地支配が苦手な国だから」




ベトナム人が旧宗主国フランスを嫌った者でさえ、両国にはわかり合える部分あると認めた背景として
両国は元来似た者同士の所多いの他、フランス人がベトナム人気質を尊重しながら気長に支配したがあります
支配地域をリサーチして、どう対処すべきか。そこが肝心なのですな
世界中どこでも自分たちが真理と本気で信じる英国気質の流れをくむ米国が
( * 英国女性がハンガリー出身の恋人に、「ねえ、そろそろ結婚しましょうよ」
彼が「外国人と結婚するなんて、母がどう言うかなぁ」と答えると
「何ですって?アタシが外国人?バカなこと言わないで。外国人はアナタたちを指す言葉でしょ」
怒る彼女に、「ブダペストの街でも、外国人じゃないと言うの?」と返しても
「無論、アナタたちが外国人です。人間の真理に地理は関係ありません」と聞く耳持たなかったそうな)
さすがは大英帝国さえ放逐したくなる、原理主義的人種であるピューリタン国家だ
コーラやマクドなど米国文化をそのまま移植して押しつけたりは、地元感情逆撫でして上手く行くはずがない




一口にベトナム人と言っても、気質は地域で全く異質です
南は、一日あれば相手の気性が知れる。北は、一生かかってもわからない(中部は忘れたが、南よりは遅い)
南がフランスやイタリアで、北はドイツの違いですかね
共通点は無論あります
「北の人とつき合う時には、相手の名誉心を重んじ、南の人とつき合う際には、相手の感情を重んじよ」
いずれの地域にせよ、面子問題にこだわるのですよ
中部の旧王都フエなんて、戦乱で荒廃してもなお『礼儀の国』であり続け
物乞いでもアオザイ着替えて人を迎えると冷やかされるくらい、服装、作法にやかましく
厳格過ぎる姑に耐えかねて、『開化』されたサイゴンに逃げた嫁多かったそう
サイゴン近郊の戦争避難民村では
当初、米国から数十人以上の専門家やボランティアが派遣されてきたが、結局、全員アウトの理由が
「例えば、村の会食では、長老が箸を手に取るまで先に食べ物に手を出してはならない
日本でも本家だ分家だが勢力争いするような田舎では見られる風習とあって
日本人は一度失敗しても、すぐ風習に気づき、それを尊重する
だが、アメリカ人は、何度でも同じ失敗を繰り返す
アメリカ人には、長老の面子の無視がどんなに重大な、村落共同体秩序の破壊行為であるか、理解不能」
米国だって『聖書地帯』と呼ばれる南部の保守的地域だと、理解可能なんでしょうけどね
徴兵でも志願兵でもない形でベトナムくんだりまで出張する『開化人種』には、大学仕込み教養が邪魔したか?




個人的には、自分たちが作り上げた『民主主義』にとらわれ過ぎての結果だと思います
米国の歴史はまだ浅い部類、だったら温故知新で学ぶものは世界中にいくらでもあるだろうに
開拓精神だか独立精神だか知らんが、長い歴史に裏付けされた伝統文化を軽視するというか
個人の権利や自由を主張するなら、長老にも権利や自由は認められると置き変えなさいよっての




米国の名誉のために書くと、アメリカン・デモクラシーが外国に役立つことは時にはある
ベトナム戦災孤児を米軍大型輸送機に満載して、米国へと運ぶ直前、サイゴン郊外に墜落、それは悲劇だが
戦災孤児を何故、米国へと運ぼうとしたのか、よーく考えてみろ
中流以上マダムの自己満足の材料とされながらも、孤児たちは飢死だけはせずに生き延びられ
幸福の機会を得られるというか、不幸を軽減するというか、将来の安心保証を得られるかもしれない
自らは観覧席にゆったり腰を下ろし、ご高説の後には銀座で接待受けているような、日本の著名人にだけは
日本大使館員が現地で得た妻子すら、邦人優先を盾に、救援機に乗せないと言い出した国だけには
方法に行き過ぎはあったにせよ、孤児たちを救おうとした米国を偽善者呼ばわりする資格があると思うかえ?




(南)国営ベトナム通信社の元編集長が、北からの避難民について
「南ベトナムを堕落させたのは北から来た連中にも責任はある
皆、口をきわめて反共主義を唱えているが、実際はイデオロギーなんかお構いなしだ
ただ、楽がしたい、美味しい物を食べたいという理由で生まれ故郷を捨てただけ
いま南にいる北避難民から北ベトナム人を判断するな
サイゴンで羽振りを利かせている連中の多くは北でもクズだった連中だから」
この元編集長、彼自身が北出身者だが、避難民ではない
1954年のジュネーブ協定以前に、ハノイのベトナム通信のサイゴン特派員として南に赴任し、そのまま居着いた
北は確かに南と比べて自然や生活の環境が厳しかったが、政治や戦争に関わらず故郷で生き続ける北の人々
元編集長は見知っていただけに、同郷者への目が厳しかったといえる




サイゴン陥落前の国外脱出組は多かった一方、自分の意志で居残り組も多かった
どちらが良い悪いとは言えない。ただ、脱出組の一部には、疑問が残る
後年、里帰りした際、「相変わらず貧しいな。自分たちは、米国に感謝せねば」
移住は年齢が低ければ低いほど、移住先への忠誠心が強く、1975年当時の子供なら致し方ない
大人の場合、アナタ方は貧しかったのか?政変以前に脱出出来たのは、米国にコネ持つおかげ様でしょが?
米国からの最後の救援機が、目の前で飛び立ち、数年以上苦労後に米国移住出来た少年がいた
この少年、父親がアメリカ人。彼こそ、救援機に早々と乗る資格あった気がするわ
アメラジアンの子供たちは、一族郎党の合法出国の材料にされやすかったのも事実ながら
家族の手で差別から守られ、西洋系風貌を活かし、欧米人役専門俳優として出世した子いるのも事実を追記
南の人たちの中にも、国外脱出組への目は厳しいが見られるかもね




話ガラリ変わり




アメラジアンではないが、濃い顔してる混血といえば、某セレッソ応援団&洗礼名ヨゼフの雇い主
巨人好きオーナー33歳、店舗より人増やせッ(どーせ、絶対、裏でコソコソ儲けとるくせにぃ)
「オーナー、宮澤ミシェル似てるで」と言ってやったら
「頭がでしょ~」と自分で認めたくらいだから(顔もだ~)
「ブラック企業みたいなもんよ~」と、社員の前で開き直ってるのはわかるものの
某セレッソ応援団にはモッタイナイ美人の奥さんにもちゃんと給料払えよ~




ついでに書くと




3月下旬、ガンバvs.ジェフ観に行った万博帰り
野田店に着いたら、西九条店を覗いてすぐ出た、オーナーが案の定いて
「今日お客さん一杯いて、ボクが入店禁止言われたのに、すぐ入れて~」の後
アタシと隣席のおっさんに、「ま~、ボクからのご馳走ですわ~」
台湾人の腹違いお姉ちゃんと盛り上がりながら、赤のカリフォルニアワイン1杯ずつ、自分で給仕してくれ
帰るわ言うたら、「堺東行ってやって~。今日やってるか知らんけど」
…「オーナーが知らんものを、アタシが知ってるわけないやろぉ」「そーいやぁ、そーね~」




宮澤ミシェルといえば、親父のデデ・モンマルトル、憶えてるのが恐ろしい47歳




Juliette Gréco - Sous le ciel de Paris - Paroles (Lyrics)
グレコ、ドイツの某強制収容所数少ない生き残り。は置いといて
「何処で覚えたのか中学生のころ、音楽室でこの曲をピアノで遊びながら弾いていたのを思い出しました。
アコーディオンのほうが感じがでたかもですね。」
某おばさんなら、1974年に某師匠と出逢った女子中学生とあって、もっと憶えてると思う(怒られる)
アタシが一番最初に聴いたのは、モモエちゃんの‘赤い疑惑’
パリの叔母様(岸恵子)場面や、モモエちゃんのパリ訪問場面に、アコーディオン演奏でだ
モンマルトル演奏を聴いたのは、1980年夏休み、NHKの映画音楽特集3時間番組
‘巴里の空の下セーヌは流れる’主題歌なのよっての
いかにも巴里の下町で路上演奏してそうなオッサンと書けば?




てか、息子ミシェルの誕生日が1963年7月14日、巴里祭(正確には、フランス革命記念日)、面白過ぎる…
「演奏旅行で来日した際に日本人女性(のちの宮澤の母)と知り合って結婚。
そのまま永住したが、宮澤によれば、日本に馴染もうという気はさらさら無く、
『おはよう』と『こんにちは』くらいしか覚えず、味噌汁1杯も飲まなかった、という。
逆に息子の宮澤は日本生まれの日本育ち、フランスへは試合でしか行った事がなく、日本語しか解さない。」
(大賢者Wikipedia様より)
父ちゃん、さすがフランス人だねぇの我が道を行く(ところで、お母さんが、バイリンガルだったのかしらん)
「千葉県立市原緑高校時代の1981年にびわ湖国体で、
国体史上初の外国籍選手として出場(当時日本は父系血統主義だったのでフランス国籍)。」
サッカー他でも、現代以上に、偏狭な国だったもんな
両親が結婚していたおかげで、フランス国籍得られただけ、ミシェルは恵まれていたと思う
父系血統主義の場合、外国人の彼と別れてシンママなんてやってみろ、無国籍になる恐れ高かったんだぞ




仏蘭西か…








綺麗ですねぇ
実際に行ってみたいかって?時代がズレとるでしょ…
モエちゃんになった気分で?それも、時代がズレとるがな(白血病で昇天したくないし)
タイムマシンとどこでもドアあっても、この時期はお断りですな
フランス人はかの国における一大イヴェント、長ーいヴァカンスにお出かけ中
飼い主に置き去りにされた野良猫よろしく街を寂しくうろつくなんざ真っ平御免
YouTube眺め、ゴロ~ンと寝そべっとるのが、一番なのです。でしょーよ(半分ヤケ)




mathichenの徒然なるままに-ベトナム珈琲




ベトナム珈琲。旧宗主国の持ち込んだフィルター式
飲む前に、よーくかき混ぜてね
珈琲だけ先飲んでみなされ、コッテリ甘い練乳に目を白黒させちゃうからさ




ホロ苦さと甘さの共演した飲み物一つ取っても
有史以来、ドンパチや占領などに見舞われ続け、有為変転の歴史を歩みながら
世界中に離散する憂き目を見ても、何処の文化にも順化し、ドッコイ生き延びる生命力持ち
「お陽さん照っていて、食いもん美味くて、ねーちゃん綺麗やったら、人生サイコー♪☆」
旧宗主国みたいなトホホぶり見られる、そんなベトナム人、どっちかいえば旧南人、大好きでやんす




【毎日が夏休み、何もワザワザ】(2009年7月14日本館)
【ヒヨコちゃんは、添加物ゼロの超健康食品】(2011年4月19日Yahoo!Days)
【一線を画すの意味】(2012年6月4日独話別館)
【メコン河を想像の下アタシの記憶は未来へと流れる】(2013年3月23日独話別館)
【浪花の夜の濃い物語】(2013年3月25日独話別館)




以上の抜粋を編集し、加筆修正して、アメブロ別荘記事に仕上げました




1960年代から約半世紀に渡る妄想一人旅、少しは海外旅行気分味わえたわ~