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$mathichenの徒然なるままに-ホロコースト生存者による美女コンテスト

ホロコースト生存者による美女コンテスト、イスラエル
2012年06月30日 19:38 発信地:ハイファ/イスラエル

第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を生き延びた女性たちによる美女コンテストが28日、イスラエル北部ハイファ(Haifa)で行われた。写真は優勝したハヴァ・ヘルシュコヴィチ(Chava Hershkovitz)さん(78、中央、2012年6月28日撮影)。(c)AFP/MENAHEM KAHANA

( 写真と文の出典先:AFPBB News )




78歳ですか。終戦当時は、11歳か12歳の計算になります
一説によれば
イスラエルはかつて、仇敵ドイツに対して
ホロコ-スト生存者が100何十歳になる2000何十年かまで生きている計算での補償金ふっかけたとか
現実には、1945年当時はまだ子供だった世代が、戦争の語り部世代の最後なんですよね




戦争そしてホロコ-ストを生き延びた人たちの戦後は様々でしょう




ポーランド系には、故郷に帰って命を落としたケースあります
何世紀にも亘る反ユダヤ主義の迷信と、戦時中没収されたユダヤ人資産を受け取った非ユダヤ人の暴動により
1946年7月、42人のユダヤ人が死亡し、50人が怪我を負いました
この事件はたちまち、東欧中のユダヤ人共同体に伝わり
ポーランド中のユダヤ人が、故郷に帰るのは危険であると悟り
戦後すぐに始まっていたドイツ国内の米軍占領地域への不法移住に拍車がかかったとのことです




1945年1月アウシュヴィッツから死の行進での最年少生存者(当時9歳)男性は
家族を失い、1年間だけのつもりだった伯父さん夫婦の家での滞在が
家族同然に可愛がられ、その結果、米国が永住の地になりました
彼は幸運です
米国で成功を収め、ちゃんとした家を持つ伯父さんが、妹と姪を避難所に住まわせ
義伯母は、世話するカネ惜しみ、母娘を工場に働きに行かせと
同じユダヤ人でありながら、迫害は対岸の火事でしかなかったオメデタイ連中に冷遇されたり
( * 同様のケースは、英国にもあります )
欧州での迫害が厳しくなった1941年か1942年以降は正式な教育を受けていない若い世代が
英語を満足に話せず、ずっと年下のクラスメートに囲まれての学校教育受けたりなど
新世界もまた苦難の地だった生存者は多かったですから




興味深いのは、イスラエル移住したドイツ系の一部ですわ
家族全員が生還し、聖地での輝かしい生活を夢見て移住したら
「苦難の歴史を持つ民族が何故、迫害する立場になれるのか?」
アラブ人への迫害を見て疑問抱き、現実に幻滅し、ドイツへ帰還したそうな
そもそもドイツ系は、正統派(黒服ユダヤ教)などを除けば、ほぼ『ドイツ化』されていただけに
不条理な苦難始まった場所といえど、故郷に帰ると等しかったというか
面白いと言っては何ですけど、一部の高齢ドイツ系ユダヤ人の名前は笑えますよ

$mathichenの徒然なるままに-ワーグナー父娘

ヴォルフガング爺さんの息子にして、カタリーナちゃんの異母兄ながら、実家バイロイト出入り禁止だっけ?
作曲家ワーグナーの曾孫に当たる演出家ゴットフリート・ワーグナー
その彼が、イスラエル訪問の際、一人の老婦人から「わたしの名前はね、イゾルデというのですよ」
敢えて説明するまでもなく、ゴットフリートの曾祖父作品♪トリスタンとイゾルデにちなんだ名前
イゾルデお婆ちゃんの父親がワグネリアンであり、娘もまたワグネリアン
鉤十字の悪用により、ワーグナー作品の演奏禁止だの聴く自由あるだのとよく問題になるイスラエルですが
それは公けの演奏会での話であって、レコード鑑賞までは禁止されていないので
強制収容所で耳にタコ出来るほど♪ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲聴かされた生存者や
戦後生まれの一部の狂信的愛国タイプなど以外は
特に抵抗感持たれず、イゾルデお婆ちゃんやジークフリート爺さんは心置きなくワーグナー楽しめるよう




ハヴァ・ヘルシュコヴィチお婆ちゃんがどういう経歴の持ち主かわかりませんけど
人生の年輪の重みを感じさせる凛とした表情から
若いだけでボケーっとしたその辺のねーちゃんどもより別嬪さんであるのは見て取れますね




不条理でも苦難を経験した者だけが、絶望と希望の戯れを語れたり、寛容にもなれたりとも言えるでしょう