一昨日、アルガルベ・カップの決勝で、ドイツと対戦したなでしこジャパンが、3-4で惜敗、初優勝はならなかった
チームの課題を説きながらも残念がっている向きは多いですね
アタクシにすれば、「昨年の自国W杯での雪辱果たせてスッキリじゃ」。昨夜、ゲルマン美女祝勝酒でした
ナデシコお嬢さん方には、「世界に冠たるドイツから五輪出場権奪った以上、優勝が義務」
は強圧ですから、それなりの健闘で許します
まぁ五輪なんて…
【栄光と犠牲の戯れ】(2010年2月28日) * 一部変更あり
正直、五輪には全然興味わかない。真央ちゃんだろうがヨナちゃんだろうがヨカッタね
トリノの時は、静香ちゃんにウラミはなくても、日本人選手唯一のメダルにすがりつく俗世に(`∀´)
2年半後のロンドンでの夏季大会も似たり寄ったりなのです。でしょうよ
冬季と夏季の同年開催は負担大きく、1994年のリレハンメル以来、冬季は夏季の中間年開催
アタクシの最初に記憶ある五輪は、札幌(冬季)とミュンヘン(夏季)、つまり1972年と古代大会
氷上に尻モチでも銅メダルのジャネット・リンちゃん、『銀盤の妖精』はカルピスCMでもメチャ可愛かった~
ミュンヘンは…スピルバーグ映画でも知られる通り、パレスチナ過激派によるテロ事件発生でした
後年知った所によると、当時のブランデージIOC会長は反ユダヤと親ナチで有名であり
実際にドイツを去る選手はほとんどいなかったものの、五輪続行決定その他で非難轟々だったそうな
思えば、五輪ってモメゴト付き物なのです
モントリオール(1976年夏季)は、ニュージーランドのラグビーチームが南アフリカ共和国へ遠征を巡り
人種差別政策抵抗運動とばかりにアフリカ諸国のボイコット
モスクワ(1980年夏季)は、ソ連のアフガン侵攻直後とあって、西側諸国のボイコット
ロスアンゼルス(1984年夏季)は、お礼参りですわな、ルーマニアを除く東側諸国のボイコット
ソウル(1988年夏季)は、ほぼ全地域揃った代わり、北朝鮮があり得ない共催を叫んでいました
柔道の山下泰裕選手は、不本意なモスクワ不参加の無念を、ロス金メダルで晴らしました
環境激変や外貨稼ぎに振り回され、2年後の世界体操競技選手権では醜態さらしたナディア・コマネチも
1976年当時可能だった14歳での参加で10点満点の『白い妖精』、これだけで幸運です
オリンピック・アスリートに対する精神面での支援体制が実施されるようになっている現代
ごく当たり前のことと捉えられるでしょうが…
父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。
克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。
巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゆうございました。
喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。モンゴいか美味しゆうございました。
正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、
立派な人になって下さい。
父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。
何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。
( Wikipedia:『円谷幸吉』より引用 )
東京(1964年夏季)、男子マラソン銅メダル獲得した陸上自衛官・円谷幸吉選手
「次のメキシコ五輪では金メダル獲得します」と宣言、日本中の期待を集めるも
公私で様々な不運に見舞われ、期待に応えなければとの重圧に押しつぶされ
1968年初頭、カミソリで頸動脈を切って自殺、27歳の若さで
円谷選手の哀しい最期が契機となった、苦い教訓の産物なのです。現代の選手への恩恵は…
以下、今日の本題
当時を知るおっさんオバハンによれば
挫折、苦悩の日々
次の目標を「メキシコシティオリンピックでの金メダル獲得」と円谷は宣言した。しかし、その後は様々な不運に見舞われ続けた。所属する自衛隊体育学校の校長が円谷と畠野の理解者だった吉井武繁から吉池重朝に替わり、それまで選手育成のために許されて来た特別待遇を見直す方針変更を打ち出した。
吉池は円谷の婚約を「次のオリンピックの方が大事」と認めず、結果的に破談に追い込んでしまう。 直後に、体育学校入学以来円谷をサポート、婚約に対する干渉の際も「結婚に上官の許可(「娶妻願」の提出と受理・承認)を必要とした旧軍の習慣を振り回すのは不当だ」と抵抗した畠野が突然転勤となり、円谷は孤立無援の立場に追い込まれた。オリンピックの敗北の後、結婚を機に鮮やかな復活を果たした君原健二とはあまりにも対照的であった。
さらに円谷は幹部候補生学校に入校した結果トレーニングの時間の確保にも苦労するようになる。その中で周囲の期待に応えるため、オーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。1967年には手術を受ける。病状は回復したが、既に嘗てのような走りを出来る状態ではなかった。
( Wikipediaより )
「『結婚を2年待ってほしい』と婚約者に申し出たら、『2年も待ったら行き遅れになる』と彼女の父親から断られた
当たり前や。アラサーアラフォーアラフィフ独身貴族でいられるような呑気で幼稚な時代やなかったんやから
親父にすれば子供を一人前にさせる責任あるし、娘も親父に応える義務感持ってた
円谷と破談して、他の男性と結婚したかて責められへん。円谷もわかってたと思う
一つの事だけが自殺の原因ではないが、結婚認めなかった上官の罪は重いわ
畠野コーチの『円谷には心の安らげる相手が必要である』、これが一番重要やろ
結婚などとは自衛官としての自覚に欠ける?寝言は寝てる間に言えっちゅうねん
一人の人生左右する意味わからん方が、自衛官以前に人間としての自覚に欠けるんや」
破談は避けられなかったにしても、畠野コーチが左遷されていなかったら?
孤立無援に追い込まれるのだけは食い止められたと思います
恨みつらみなどは書かず、親しい人たちに日頃の礼と詫びを述べ、両親に謝罪
淡々とした遺書であるからこそ却って、どうしようもない絶望感が伝わってきませんかね
話変わって
<訃報>山口美江さん51歳=タレント 元祖バイリンギャル
毎日新聞 3月9日(金)12時7分配信
「元祖バイリンギャル」タレントの山口美江(やまぐち・みえ)さんが亡くなったことが、9日分かった。51歳。所属事務所によると、体調不良により2月から通院治療を続けていたが、病状が急変したという。
【写真特集】山口美江さん 過去の写真掲載
得意の英語を生かし、テレビ朝日の「CNNヘッドライン」キャスターとしてデビュー。漬物のCMで「しばづけ食べたい」のセリフが有名となり、情報番組やドラマなどでも活躍した。最近は父親の介護を通じて学んだ経験を基に、講演活動などを行っていた。
( 出典先:Yahoo!ニュース )
死因は心不全ですが
連絡が取れなくなったことを不安に思った親族により、自宅にて死亡しているのが発見された
気の毒ですね
16歳の時に母親が亡くなっており、深刻なアルツハイマーに罹った父親を面倒見た
世のジジババは自分の老いぼれボケ基準でアレコレ要求するが、子供はまだ老後じゃないのに
30代後半から40代後半にかけて、まだまだ自分自身を充実させられる時期を他人のために費やした
介護を通し学んだ経験をもとに講演会・トークショーを行っていた、世の役に立つかも
しかし、自分自身は、誰に看取られるというのですか。実際、孤独死でしょ
子供の責任というのはね、一人前になることが第一義なのですよ
一人前になった上で、自分自身やその家族の負担にならない範囲で、親の力になれば良いのですよ
自分自身が破滅した経験持たない甘い世俗の寝言なんて無視して責任放り出せば…
この記事題名、2010年10月10日本館記事の使い回し
正確に言えば
ボースタル感化院へ送り込まれたコーリン(トム・コートネイ)は長距離レースの選手にされた。貧困な町に生れ育って十八年、見すぼらしい家を想い出すにつけ、社会の現実に大きな抵抗を思う。父親は僅かな週給のために汗水流して働き、癌でポックリ死んだ。母親は家計をやりくりしながらも色男と遊んでいた……父親が死んだときの給付金も豪勢に使ってやった。兄弟達もよろこんでいた……ガールフレンドのオードリー(T・ジェーン)と盗んだ車で週末旅行をやったのも楽しかった……相棒のマイク(ジェームズ・ボーラム)とパン屋に押し入り、雨樋につめておいた隠し金が生憎の雨で流れ落ちて……つかまってしまった……。彼に特別目をかけて選手に仕立てた院長(マイケル・レッドグレーヴ)は、そのポリ公から逃げ出すことに特技のある彼をレースに優勝させて感化院の名声を望んでいるに違いない。権力と威厳で屈従させる院長への反感は、レースが近づくにつれ、大きくなっていった。さて、レースの日。彼は案の定トップを独走している。院長は満足げに紳士、淑女を見渡す。ところが、期待を一身に集めた彼はゴール間近で、急にスピードを落し後のパブリック・スクールのライバルに優勝を譲った。これが霜のおりた凍てつく早朝にトレーニングをさせられた彼の淋しい孤独の勝利の小さな復讐であった
( Movie Walker;『長距離ランナーの孤独』より引用 )
ゴール直前で減速して優勝をライヴァルに譲る、権威へのささやかな抵抗
痛快ですね
自衛隊上官にも、血縁なれ合い主義を家族愛と綺麗に換言する傲慢劣等国家にも、似た抵抗やってほしかった…
それにしても、上の映像、聖歌♪エルサレム合唱しているのが笑える
何故か?映画内容と以下より推測を( ̄ー☆
And did those feet in ancient time.
Walk upon England's mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On England's pleasant pastures seen!
And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?
Bring me my Bow of burning gold;
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!
I will not cease from Mental Fight,
Nor shall my Sword sleep in my hand:
Till we have built Jerusalem,
In England's green & pleasant Land
古代 あの足が
イングランドの山の草地を歩いたというのか
神の聖なる子羊が
イングランドの心地よい牧草地にいたなどと
神々しい顔が
雲に覆われた丘の上で輝き
ここに エルサレムが 建っていたというのか
こんな闇のサタンの工場のあいだに
ぼくの燃える黄金の弓を
希望の矢を
槍を ぼくに ああ 立ちこめる雲よ 消えろ
炎の戦車を ぼくに与えてくれ
精神の闘いから ぼくは一歩も引く気はない
この剣をぼくの手のなかで眠らせてもおかない
ぼくらがエルサレムを打ち建てるまで
イングランドの心地よいみどりの大地に
( Wikipedia:『エルサレム (聖歌)』より引用 )