罪深き身でも悔い改めた者の祈りは聞き入れられる | mathichenの徒然なるままに

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13日の金曜日ですね
Kevin Bacon's Friday The 13th Uncut Death Scene
ケヴィン・ベーコンはすぐオシリ見せる傾向ある、1980年の記念すべき‘13日の金曜日’第1作にもあったはず???



…はアホクサと置いといて、話ガラリ変わり



赤ちゃん置き去り容疑で高2男子を逮捕 秋田県警、母親?の高2女子からも事情聴く
2011.5.8 12:33

 秋田県湯沢市内の公園に生後間もない女児が置き去りにされていた事件で、湯沢署は8日、保護責任者遺棄の疑いで、県南部の高校2年の男子生徒(16)を逮捕した。同署によると、男子生徒は容疑を認めている。

 逮捕容疑は7日未明、公園内に生後1~2日の女児を置き去りにしたとしている。

 同署によると、男子生徒は同日午後7時半ごろ、県警本部に「自分が置き去りにした」と電話をして、同署への出頭をうながされた。男子生徒は「乳児の処置に困ってやってしまった」と話しているという。同署は乳児の母親とみられる高校2年の女子生徒にも事情を聴く方針。

( 出典先:MSN産経ニュース )



子供は赤ちゃんんポストに投函して然るべき家庭に養子出すのシステム完備まだ?
養子を実子と何ら変わらず愛し育てる、人間として真に包容力豊かな家庭はいくらでもあるでしょ
自分の産んだ子供でも責任取れないのが多い以上、血は水より濃い幻想は前世紀の遺物として捨て去れっての



ところで、高校生カップル、その後どうしてるのでしょう
mathichenさんが高校生だった1980年代前半にも聞かれた、別段珍しくない話ではありますけど
昔っから気になるのは、親子のその後
親の方は、若気の至りとして時の彼方へ飛ばし、ごく普通の結婚して3人くらい子供作ってるのかしらん
二度と似た間違いを犯していなければ、情状酌量は認めますがね…






1964年、アイルランドのダブリン。従兄弟にレイプされたマーガレット(アンヌ・マリー・ダフ)、孤児院の少年たちの人気の的だったバーナデット(ノーラ・ジェーン・ヌーン)、未婚のまま出産したローズ(ドロシー・ダフィ)の3人は、ふしだらな罪深い女と見なされ、マグダレン修道院に収容される。そこは厳格なシスター・ブリジット(ジェラルディン・マクイーワン)に支配された、刑務所以上に過酷で自由のない世界。ローズは同じ名の少女がすでにいるという理由で、パトリシアと呼ばれることになった。マーガレットは、数日前に脱走したウーナ(メアリー・ミューレイ)が実父(ピーター・ミュラン)に連れ戻されるのを見て絶望感に襲われる。そしてある日、マーガレットは、自殺未遂を起こしたクリスピーナ(アイリーン・ウォルシュ)が、フィッツロイ神父(ダニエル・コステロ)の股間に顔をうずめているのを目撃する。まもなくクリスピーナは精神病院へと送られた。クリスマス、施設にマーガレットの弟イーモン(イーモン・オーウェンズ)がやってくる。マーガレットは彼に連れられてあっさりと施設を出た。バーナデットは、ローズを誘って逃亡することを決意する。なんとか成功し、街でそれぞれ新しい生活を始めるのだった。

( Movie Walker:『マグダレンの祈リ』より引用 )



映画‘マグダレンの祈り’(2002年)
キリストによって改心した娼婦マグダラのマリアにちなんだ名前の女子修道院
『堕落の烙印を押された女性の避難場所』として、何と1996年まで存続しました
避難場所といっても、教会による監禁・虐待の連続という生き地獄
アイルランドは総本山であるヴァチカンより遠く離れているせいか
旧態依然な教条主義や価値観が途切れないのですね



実話が下敷きとあって、映画の最後に3人の主人公の修道院脱出後がテロップで紹介
赤ん坊と引き離され親にも一族の恥と見放された未婚の母ローズは確か…
「後に結婚して子供に恵まれ、引き離された息子とも約30年後に再会を果たした」
「生涯の最後まで、カトリックの信仰を捨てなかった」



南蛮渡来は温和なポルトガルでなく厳格なスペインで、キリスト教世界を徹底的に植え付けていたら
他宗教の価値観も生き残るのは当然の権利であり、またそうでないと均衡悪くなりますが
絶対的倫理観をもって物事を考え判断する能力を日本人は持てたでしょう
映画を観た(筋を追った)くらいで神の存在を否定する不勉強な日本人よりも
宗教に苛まれても『自分の拠り所』を失わないでいられる信心深き者に救済はもたらされます



世界各地の神仏が本当に存在するかが問題でなく



「世の中を恨んで神を否定することも出来るけど、それじゃ、神に代わるものは何?
人間の手で書かれた法律が全てを支配する世界?
ひとりの狂人の気まぐれで変えられてしまう法律? ( * ヒゲの鉤十字総統国家を指します )
それらを信じるの?」



ある小説に登場する正統派ユダヤ教徒女性の言葉をまとめました



信仰とはそういうものなのですよ
目に見える触れられる現実にだけ頼ることは、現実が有為転変である以上、確実なようでいて全く不確実なのですから
困った時の神頼みといいながら、都合悪くなるとガラリ変わり、「出てきてみろぉ。ホンマはいてないくせにぃ」
そんなんズーズーしいやろでしょ?



ところで、ある小説に登場する正統派ユダヤ教徒女性とは



リナ・ラザラス (Rina Lazurus)
ユダヤ教神学院の数学教師。正統派ユダヤ教徒。シリーズ開始時26歳。瞳はサファイア色、腰まで届く髪は漆黒。
17歳の時に結婚した夫イツハクが、24歳の時に脳腫瘍で亡くなる。夫がラビ・シュルマンの優秀な愛弟子だったため、夫の死後も神学院で数学教師とミクヴェの管理人をしながらシュムエルとヤコブの2人の息子を育ててきたが、男子学生のための神学院で暮らす自分を異端者と感じており、いずれ出ていかなければならないと考えている。
両親はビバリーヒルズ在住。3人兄妹の末っ子で、長兄は医師、次兄はエルサレムのサトマル神学院にいる(ハシード)。

ピーター・デッカー (Peter Decker)
ロサンゼルス市警フットヒル署の刑事。シリーズ開始時38歳。マージやマイクルと組んで未成年犯罪と性犯罪を担当する。
郊外にある自宅は農場を兼ねており、馬を飼っている。愛犬のジンジャーは人なつっこいアイリッシュ・セッター。愛車は79年型のプリマス。
フロリダで8年間、警察官として働いた後、しばらくロサンゼルスで弁護士として仕事をし、ロサンゼルス市警に入った。別れた妻との間にの娘が1人いる。
自身が小学生の時に、両親から養子であることを聞かされる。実の両親はユダヤ人だが、バプティスト派の家庭で育ったため、自分がユダヤ人であるという自覚はなかった。リナとの結婚には自分がユダヤ人であることか、ユダヤ教徒である必要があり、自分がユダヤ人であることを明かすと育ての両親に対する裏切りのように感じたため、改宗を決意し、ラビ・シュルマンの元で勉強をする。

( Wikipedia:『ピーター・デッカー&リナ・ラザラスシリーズ』より引用 )



「世の中を恨んで神を否定することも出来るけど...」
第2作‘聖と俗と’の中で、ユダヤ教を学ぶ理想と現実の違いに苛立つデッカーに対しての言葉です
自分が3回も流産したこと、夫が28歳の若さで病死したこと、理解出来ない
だからといって神さんを恨んでも、十戒は十戒であり、律法の真理が変わるものじゃない
どこかの導師がトークショーに出て、姦淫の罪を犯しても構わないと言ったからって変わる軽薄なものじゃない



宗教(理想)に苛まれても『自分の拠り所』を失わないでいられる信心深き者、その意味わかりますよね?



なお、デッカーは第4作‘贖いの日’において、他者に救済を与え自分には拠り所がもたらされます…



リナの再婚を祝福してくれるラザラスの義両親に招かれ、ニューヨークへの新婚旅行の結果
ラザラス夫妻の友人であるレヴァイン家の妻フリーダが、デッカーの実母とわかった
恋人と引き裂かれ、赤ん坊も取り上げられ、両親の決めた相手と結婚した、わずか15歳の少女
40年もの間決して忘れず、特に子供が生まれるたび意識した、彼女の『長子』、それがデッカー
アメリカ養子協会名簿に載っている子供だから連絡先を知っている、しかし一度も連絡しなかったのは
家族に知られたらどう思われるか。デッカーからも拒絶されたらどうしよう。恐怖心
そして、理由は何であれ子供を捨てた罪悪感



いろんなわだかまりが解け、フリーダ及びレヴァイン家を慮り、黙ってニューヨークを去ることにしたデッカー
ところが、リナや息子たちと帰りの飛行機を待つ空港に、思いがけない一団の登場
男性三人、女性二人。思い思いの格好をしていてダラケた部分も見られる、だが明らかに『アメリカ人』ではない
逃げるに逃げられない。六人の中で、デッカーが最年長。自分が行動を起こすしか道はない
デッカーが五人に向かって歩き出すと、五人もデッカーに向かって歩き出した
数秒が過ぎた。沈黙は続く。デッカーは言葉を探すも何も出て来ない
最初に行動を起こしたのは、男性陣のシモン。デッカーを抱擁し、頬にキスして、耳元で「アヒ」とささやいた
アヒとは?『わたしの兄弟』という意味



デッカーは『長子』であると同時に、レヴァイン家周辺で起きた事件を解決に導いてくれた恩人でもある
五人の弟妹は、デッカーの人柄を理解している
フリーダは、夫への罪悪感は拭えない代わりに、もう家庭持つ大人である子供たちには『罪』を告白したのだった



シモンに続く四人も抱擁とキス。最後のヨナタンは、デッカーの肩をそっと抱き、自分の方へ引き寄せ
「これであんたもいかれた家族の仲間入りってわけだ」
ヒネイ・マトヴ・マナイム、シェヴェット・アヒム・ガム・ヤハド(兄弟が集うのはなんて素敵なことだろう)♪
ヘブライ語の歌が耳に響き渡っていたデッカーは、声を上げて笑い、そして泣き出した
ようやく『帰郷』を果たせたのだから



恐怖のマグダレン修道院から脱走、やがて平和な家庭を手に入れたローズ
『長子』を忘れなかったものの、40年近く敬虔な正統派ユダヤ教徒妻として平和に暮らしてきたフリーダ
信じる神さんと置かれた環境の違いはあれど、『己の罪』を認め受け入れたからこそ、子供に赦されたのですよ