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戦後ドイツの情報機関でスパイ アンネ逮捕のナチ親衛隊員
2011.4.11 17:55

 「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクを逮捕した元ナチス親衛隊のカールヨゼフ・ジルバーバウアー下士官(1972年死亡)が、戦後西ドイツの情報機関である連邦情報局(BND)のスパイとして働いていたとドイツ週刊誌「フォークス」が11日までに報じた。

 ドイツのジャーナリストが米公文書館でそれを裏付ける資料を発見。西ドイツで誕生した情報当局にナチス残党が深く関与していた実態を暴露する本で明らかにした。

 同誌によると、この下士官は44年、ナチス占領下のオランダ・アムステルダムの隠れ家に潜んでいたアンネらを発見。家族とともにアウシュビッツ強制収容所に送り込んだ。

 アンネは、ドイツが降伏する約2カ月前の45年3月、最終移送先のドイツ北部の収容所で15歳の若さで死亡した。(共同)

( 写真と文の出典先:MSN産経ニュース )

カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー(Karl Josef Silberbauer, 1911年6月21日 - 1972年)はナチス親衛隊の下士官。最終階級は親衛隊曹長(SS-Oberscharführer)。1944年にオランダに隠れていたアンネ・フランクとその家族らを拘束した中心人物。

ナチス時代
オーストリアのウィーンに警察官の息子として生まれる。オーストリア陸軍に入隊したのち、1935年にウィーンの警察に入隊した。彼はナチス党員ではなかったが、アンシュルス(ナチス・ドイツによるオーストリア併合)後の1939年にはゲシュタポ(国家秘密警察)に志願して入隊している。1943年11月から占領下オランダ・アムステルダムのSDに転属となり、ユダヤ人課に配属された。

1944年8月4月、ジルバーバウアーの勤めるアムステルダムのSDに何者かから電話があった。ジルバーバウアーの上司ユリウス・ダットマン(Julius Dettmann)が電話を受けた。電話の内容はプリンセンフラハト263番地にユダヤ人がかくまわれているという密告情報だった。ダットマンはジルバーバウアーを出動させた。ジルバーバウアーは、私服オランダ人警察官を引き連れて早速プリンセンフラハト263番地にあったアンネ・フランクのいた隠れ家のある建物へ突入した。隠れていたフランク一家4名(アンネ・フランク、オットー・フランク、エーディト・フランク、マルゴット・フランク)とファン・ペルス一家3名(ヘルマン・ファン・ペルス、アウグステ・ファン・ペルス、ペーター・ファン・ペルス)、そしてフリッツ・プフェファーの計8名のユダヤ人を逮捕した。またアンネたちを匿ったヴィクトール・クーフレルやヨハンネス・クレイマンの2名も連行した。ユダヤ人の8人は強制収容所へ送られ、オットー・フランク以外は全員が死亡している。

戦後
1945年4月にウィーンに戻った。ドイツの敗戦後、1930年代に共産党員の取り調べ中に暴行を働いた廉で共産党員の告訴を受けて逮捕された。14か月の懲役に処された。出所後、1954年からウィーン警察で警察官になった。その後、巡査部長に昇進していた。

ナチハンターのサイモン・ヴィーゼンタールの2年がかりの調査で1963年10月にウィーンで拘束された。警官の職は停止され、彼の裁判が開始された。しかし証拠不十分やアンネ・フランクの父親オットー・フランクの証言「ジルバーバウアーは上司の命令に従ったにすぎず、手入れの際も不法な行動はとらなかった」などにより、1964年6月に訴訟が打ち切られた。当時のウィーン警察本部長は異議申し立てを行ったが、懲罰委員会はジルバーバウアーの停職処分の解除を決定した。1964年10月から警官の職に復帰することとなった。その後は内勤に回され、指紋や写真の整理にあたっていた。

しかし世界中のメディアに彼のことが取り上げられ、オランダの記者からの「自分のしたことを悔いていますか?」との質問に「悔いています。まるで村八分ですから。」と答えている。一方アンネの日記については「自分の事が出てるかと思い、先週読んでみましたが出てきませんでしたね」などと述べた。また、西ドイツ連邦情報局のスパイとして働いていたことが2011年にフォークス誌が明らかにした。

( Wikipedia:『カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー』より引用 )



隠れ家支援者であったミープ・ヒース回想録によれば

ジルバーバウアーは、プリンセンフラハト263番地逮捕劇の際に
当時すっかりオランダ人ながら生まれ故郷訛りのドイツ語を聴き分けたミープから
「あなたはウィーンの人でしょう?わたしも実はウィーン生まれなんです」
相手は不意を突かれた形。まさかの展開に、呆然、混乱
噛みつくように、「証拠を見せろ、身分証明書を」
ミープの提示した『ウィーン生まれ。オランダ人と結婚』を見て
「出ていけ!」と、ミープの向かいの席で電話していた男を部屋から追い出した
ミープと二人きりになると、悪態やら何やらを突くものの
「えいくそ、一体お前をどうしたらいいんだ」、それなりに困惑はしていた様子

翌日、ミープがいつも通りプリンセンフラハト263番地に出勤すると
セールスマンの1人が、「ヒースさん、ちょっと二人きりでお話出来ますか?」
彼の話というのは
ジルバーバウアーを買収して、逮捕された8人を釈放してもらうのは?
ドイツ人だって早く戦争から解放され、その際にはオランダの金その他をごっそり持ち帰りたい
オーストリア人ジルバーバウアーとて同じだと思います
ヒースさんを逮捕しなかったくらいだから、話に耳を貸すくらいはするのではないでしょうか

話を持ちかけたセールスマンというのは、NSB(オランダ国家社会主義運動)党員ながら
商会の実質的経営者であるオットー・フランクが以前から、「あの男は信用していいよ」
「まだ若く、独身、つき合いは必要だろう。仲間から誘われたんだよ。真のナチじゃない」
ミープは早速、南アムステルダムにあるゲシュタポ本部へと出かけ、ジルバーバウアーに会った
黙ったままカネを示す仕草で買収を持ちかけると、「明日の朝もう一度、9時きっかりに来い」
翌日に再訪すると、「気の毒だが、おれの力ではもうどうにもならん」
「たったいま、命令が下りて来た。もうおれの裁量では動かせない所へ来ている」
ミープの「信じられませんね」にも怒らず、上階にいる上司に会うがいいと部屋番号を教えてくれた
ミープが上階に赴いた結果は、罵りの言葉とともに門前払い
下階に戻ると、ジルバーバウアーはミープを睨みつけるようにしながら
「どうだおれの言った通りだろうが」「さあもう帰るんだな」

…ジルバーバウアーに何となく、人間臭さを感じませんかね?
単なる右手挙げる冷血漢であるならば、ゲシュタポ本部でのやりとりは考えにくい
あくまで推測ですが
買収を持ちかけられた後、あちこちに可能性を探っていたのではないでしょうか
上司に会えは、自分に信用無いのは承知しているので、ミープに現実を思い知らせるため

西ドイツで誕生した情報当局にナチス残党が深く関与していたのは見当ついていましたが
邦訳されませんかね~。スパイですか~。ジルバーバウアーには本当、興味が募るんですわ~