被災地に住んでいます。
日本全国の皆様へ……
どうかこの思いが届きます様に……
私は今回の大震災で被災しました。
ライフラインは途絶え、幼い子供達(3歳と1歳)を両腕に抱えて靴も履かずに外まで逃げました。
津波のあった沿岸からはわずか15キロ。
旦那は地震直後から召集され災害派遣へ行ったまま顔を見ていません。
両実家は共に遠方で、誰とも連絡が取れない日が続いた為、避難所生活を何とか続けていましたが、余震の強い数日間は子供達に靴を履かせたまま寝かせていました。地震から3日目の夜に居場所すら分からない私達を実家から母が探しに来てくれ、いまは復旧しつつある実家に居ます。
携帯もやっと使える様になりました。
ようやく見る事の出来たテレビから情報を一気に得て、被害の大きさに愕然とし、家族と身体が無事だった事だけ幸せだ…と、沿岸部の映像を見るとただただ涙が出るばかりです。
被災地以外の日本全国の皆様、どうか宮城・岩手・福島を助けて下さい!!!
食料や燃料、日用品が全く足りず、こちらは本当に緊迫しています。
避難所に居る沢山の方々の為に、物資の買い占めをする前にもう一度考え直して頂けないでしょうか…。
備えておきたい気持ちは十分過ぎる程に理解しております。でも今こちらはひとつでも多くの物資が東北の被災者を救うのです。
赤ちゃんや子供達が泣いてます。
お年寄りの皆さんは皆さん身を寄せ合って居ます。
私ひとりではあまりに無力で、何とかこうして皆様に呼び掛ける事しか出来ません。
でも、こんな状態でもみんな頑張っています!
子供達もワガママを言わず頑張っています!
皆さんどうか未だ避難所で凍えている皆様を、東北を助けて下さい!!!!
日本中が東北を助けてくれると信じて待っています!
どうかお願い
『補足』
文字数が足りず最後が途切れてしまい申し訳ありません。回答して頂いている方々に心から感謝致します。 友人は津波で家が流され、知人の子供達の一人が亡くなりました…。辛い現実が目の前にあります。皆様のお力がどうしても必要です……
( Yahoo!知恵袋:『被災地に住んでいます。日本全国の皆様へ……』より引用 )
・・・1973年のトイレットペーパー買い占め狂騒絵巻
東北の地震被災地では、支援物資が行き渡らない
一方、まぁ日常生活送れる首都圏で買い占め狂騒絵巻
どうやら西日本方面でも買い溜めの向きがチラホラリ
これが、略奪行為と言わずして他に何だ?…
諸外国で見られる災害時の略奪みたいなのが起きなかったのは結構ながら
民度の高い低い評価の対象にはなりませんよ
日本には、食の自給率低いといったって
選り好み出来るだけの余裕あるおかげ様を、世間様お忘れなく
一般人には空腹と飢餓の違いなんてわからないですしね
略奪行為が善とは言わないものの、生きるか死ぬかの明暗かかってるとなれば
ライフライン壊滅復旧見込み無し環境に置かれたら、日本人だって?
今回諸外国でのようなパニック起きなかったことへの海外からの称賛を
謙虚に受け止める必要あります
感傷的な挙国一致復興ムードも懸念されます
何でもかんでも自粛や我慢を強いていたら、無事な地域だけでなく被災地も窒息して共倒れに
無事な地域は、日頃何やかやムダの見直しした上で、国の経済活性化させるが先決課題
その上で、募金やネットでの広報活動を無理しない範囲でやるのが、草の根からの支援活動というもの
火曜日の夜、インテリスタ大学院生とアレコレ盛り上がりました( コチラ参照 )
ローター・マテウス在籍当時以来の「長友来たのが、正直ツライ…」35歳の教祖様風貌は置き
「何もお手伝い出来ない足手纏いを認識した上でか、よほど自信あるか
この2タイプでなけりゃ、被災地に赴こうとする奴、ただのお邪魔虫」
彼は、1995年の神戸被災地にボランティアとして赴き
出来ないことの多さから無力感を身に沁みました
充分な食料調達追いつかず、コンビニ品が精一杯、そんなボランティアもいたそう
わたしが当時聞いた話によれば
数人足らずで、1000人近い避難者の食事作りに追い回された避難所あったとのこと
技術持たない素人が行ったって混乱させるだけなのですよ
「九州の噴火、皆忘れとるで。災害起きない日常にも、生きるか死ぬかの人わんさかおるもな」
慈善の精神を日頃持っていたら、日常にいる困窮する人たちを個人が助けられないにしても
災害時にだけ大声上げて右へ倣え強制なんて出来ません。大声なんて偽善の塊としか見えませんわ
ジタバタしたってダメな時はダメ、生き延びりゃ儲け物の有難や節
これくらいでないと大災難時には神経持たないですぞ