絶望と希望の分水嶺を越えたら何色の山脈に変わる? | mathichenの徒然なるままに

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「北の砲撃による死者、数十人」とKBS報道 島民脱出の情報も
2010.11.23 16:37

【ソウル=加藤達也】韓国KBSテレビは23日、北朝鮮の砲撃による死傷者が数十人に上ると報じているた。また、ロイター通信が韓国YTNテレビの報道として伝えたところによると、北朝鮮の砲撃を受けた延坪島の住民が漁船で島から脱出しているという。

 聯合ニュースによると、李明博・韓国大統領は状況の拡大を防ぐよう指示、韓国軍も北朝鮮軍に対して砲撃中止を要求する通知文を送った。

( 出典先:MSN産経ニュース )

NHK総合での名古屋グランパスvs.FC東京後半、突如ニュース速報(正直、迷惑)
(終戦したと思ってる日本人多いけど)1953年7月27日以来休戦中の朝鮮戦争再開ですか?!
一体全体、何が起きたんでしょうね

で、つらつら浮かんできたのは


青い山脈 - 北朝鮮版 Japanese old pop song North Korean version

安明哲(アン・ミョンチョル、안명철)は韓国在住の脱北者。

『経歴』
1969年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)咸鏡南道の裕福な家庭の長男として生まれる。1987年から1994年まで北朝鮮の秘密警察にあたる国家安全保衛部管轄の強制収容所の警備兵として勤務。1995年、咸鏡北道会寧市にある第22号管理所の警備を担当していた頃、豆満江を越え、中国経由で韓国に亡命。

亡命後は回想録「北朝鮮絶望収容所」(原題・彼らは泣いている)などを出版。

1998年にはアメリカ議会で証言を行う。その後も韓国の一般市民として暮らす傍ら、世界各地で強制収容所の証言講演活動を続けている。 2002年12月にはファー・イースタン・エコノミック誌に掲載された衛星写真から、数箇所の強制収容所の内部について詳細に語っている。また、北朝鮮内部の事情通として、日本の報道番組にもたびたびVTRで出演している。

亡命前、父は冤罪処刑され、母も冤罪逮捕されている。

『完全統制区域』
懲役刑に例えるならば、ここは収容仮釈放のない終身刑に処せられた者たちの終の棲家である。支給品が滞る事が多く、服や靴すら自分たちで作り出さねばならない。収容者の栄養状態は悪く、雑草や鼠を食べる事が日常化している。疾病にかかった収容者は治療もされず、通常の居住区から離れた隔離バラックに押し込められて死を待つばかりである。死んでも刑墓に埋葬されるわけではなく、そのあたりの穴や畑に適当に埋葬されたり、犬の餌にされたりする始末である。逃走を図った者は発見次第射殺される。規則違反に対しては公開銃殺のほか、監視官の徒手格闘術の訓練台にされる、棍棒で百数十回打たれるといった罰が用意されている。規則違反といってもほとんどが食べてはならぬ時に食べた、不正に運動をした程度のものだが、収容者は銃殺とならずとも、結局は外傷性ショックによって死ぬことになる。

やはり多くの管理所は粗末なバラックが並び集落の形態をとっているが、第25号管理所(咸鏡北道清津市)ならびに閉鎖された第26号管理所(平壌市勝湖区域貨泉洞)は政治犯本人を収容するためのもので監獄形態をとり、他の管理所以上に拷問が頻繁に行われている状況である。

ここでも幹部級収容者による暴力・搾取が行われる。また、酒・菓子・煙草その他収容所職員のための食品等を生産する工場があるが、そこに配役された収容者は、監視官との情交を条件にして、酒、煙草、燻製肉その他、収容所外でも手に入らないような貴重品を喫食する機会を与えられる。

( Wikipedia:『安明哲』『強制収容所 (北朝鮮)』より引用 )

回想録によれば
1980年代か、ちょいとお色気がかった映画観るため、平壌市民がドッと映画館に押し寄せたとか
警備兵時代には、休憩中、それと知らず韓国の歌を弾き語り(北朝鮮の歌と広く信じられていた)

別の脱北者の回想録にも、禁断の南朝鮮音楽を海辺でかコッソリ受信してお楽しみ若い衆登場

本来は芸術家肌(才能はともかく)の将軍様だって、フーテンの寅さんシリーズお好きとくる
国民が外国文化をコッソリお楽しみは不思議な話ではなかろ

非道な問題を多く抱えていても、善悪合わせ持つ人間の住む国には違いないのですよ