映画 「さすらいの航海」
‘さすらいの航海’(1976年)
第2次世界大戦前夜、ドイツからユダヤ人を乗せた客船が第2の故郷をもとめて旅する姿を描く実話
人道上配慮による出国の形ながらも、受け入れ先が見つからないのを見越した
ユダヤ人は世界中の嫌われもの宣伝したい鉤十字ドイツの深謀遠慮
最終的には、オランダ、フランス、英国が上陸許可を出しました
が、まもなくドイツがポーランド侵攻、戦争の嵐が吹き荒れ
元乗客の中には、亡命先で逮捕、収容所送りも
地獄の収容所を生き延びた老夫婦は
船がキューバの港に停泊中、ハバナ在住の娘から渡されたおカネを賄賂にしたおかげ
ケタ外れの大金。娘が服装その他から、娼婦とわかった
母親は嘆き怒りますが、父親の言葉、「それでも、わたしたちの娘じゃないか」に、娘は涙を流します
母親も泣き出し、地獄からの生還後は感謝を抱き続けたに違いありません
ところで、難民や亡命者はいつの時代でも場所でも苦労する運命にありますね
昭和史再訪セレクション Vol.9 スタルヒン300勝 ガイジンのハンディ背負って 昭和30年9月4日
◆日本人になりたかった父
私が5歳のときに父は亡くなりましたから、断片的な思い出ばかりです。鮮明なのは、300勝祝いで東京・青山の自宅に報道陣が集まったときのこと。「ナタ、ボールもってきて」と言われ、2階の洋服ダンスにあったボールをとりにいった。父は指の間にボールを3個挟んで、ポーズをとっていました。
父は日本人になりたいと、須田博という名の改名にも応じたが、帰化申請は認められず、ずっと無国籍でした。戦争中はスパイと間違われ、そば屋に入ると、主人が警察に知らせ、刑事がやってくるということもあったそうです。
日本には純血主義が根強く、ガイジンはエイリアン、父の時代はとくにひどかった。300勝したシーズン終了後、引退させられたのは、無念だったと思う。「出る杭(くい)は打たれたのよ」と母はよく言っていました。
父をもっと知りたいと、30年ほど前、父の伝記『白球に栄光と夢をのせて』等を書きました。当時はまだ関係者がご存命で、旭川中学から無理やり職業野球に入らされる経緯を、お聞きしました。
時代が違ったら……と思います。あの時代は日本人もたいへんだったがガイジンはもっとつらかった。父は明るく、ニコニコしていましたが、その背負ったものはなんて重かったのか、と今改めて、思います。
( どらくDORAKU :父スタルヒンの伝記も書いた長女・ナターシャ・スタルヒンさんの証言より )
日本の難民や亡命者への門戸が極端に固いのは、30数年前のヴェトナム難民にも証明されております
北ヴェトナムと敵対国であった米国ですら、短期間で十数万人以上を受け入れたというのに
当時の公式筋によれば
(1)日本には従来、難民や亡命者の取り扱いを規定した法律が無い
(2)仮にベトナム難民の滞在を認めれば、他の東アジアや東南アジアの強権国家からも大量流入、
ただでさえ人口の多い日本が大変な問題を抱え込むかもしれない
(3)日本は古来、単一民族、単一文化の特殊な国なので、たとえ難民を受け入れても、
彼らは社会に溶け込めず、かえって不幸になるかもしれない
これらについて、ある人が言いました
「日本はどれだけヴェトナム特需で美味しい思いをしたか
それなのに、『この世の苦しいこと、辛いことは分担いたしません』と公言するに等しいぞ」
「『我々は特殊学級の児童ですので、他の価値観や発想や風俗習慣などがこの世に存在するのを、
理解いたしませんし、理解するつもりもございません』と、己の未熟さの宣伝でもあるわ」
ヒゲの鉤十字総統は、地球上を全アーリア人化する予定でいたそうな
専門家によれば、不可能。近親婚の繰り返しみたいなものだから
アフリカのある種族などは、血の活性化のため、時々異なる種族と提携して子孫繁栄目指すとか
従って、単一民族なんて、戯言ですし、実在すれば劣等遺伝子脳国家の証明です。いと哀れ
まあ国民は自分の水準以上の政府を持てないといいますし
同じ日本人、友だちや隣人が悩み困っていても、個人の自由=見て見ぬふり
そんな小娘青二才脳人種が一人前の社会人として暮らせるような国ですからして
たとえば、オナカ空かせて孤独死を何日何ヶ月も知らずに…などが食い止められないんですけど
