いつもご覧いただき、ありがとうございます。
咳が止まらずに苦労しています。
今日は私見です。
来年度の選択科目の設定が佳境を迎えております。
私も来年度の授業数を考え始めております。
(そういう役職ですので…)
こうなると、生徒も教員も始まるんですよね。
「受験で使うか使わないか論争」が。
本校も高2で文理分けをし、高3で細かく選択講座が
別れることになります。細かく別れると、
「数学はⅠAまでしか使わない」「古典は使わない」
とか色々出てくるんですよね。
どの学校でもこういう話は起こると思います。
気がついたら選択科目は国語・英語・社会くらいになり、
社会も「公民は使わないから無駄」なんて言い始めるわけです。
3科くらいきちんとやりなさい、と思いますけど。
受験で使う科目=人生で必要な科目
というところに囚われ過ぎてしまうんですよね。
すると、受験が終わったら勉強しない学生がどんどん出てくるわけです。
勉強=大学合格における手段
になるんです。教員も、「受験で使わないならいいよ」みたいに
なるので、学校が学校でなくなっていくんですよね。
学校での学びに無駄なものは1つもない、というのが自論です。
受験に使う、使わないではなく、自分の頭で考え、真摯に学ぶこと自体に
価値があります。それが積もることで、教養となるのです。
高校生新聞でも、この手の話題は取り上げられています。
記事の中に合格後に役立つ勉強、とありますが、むしろ勉強自体に役立たない
ことがあるのでしょうか? そう思わせてしまっているのであれば、制度的な
問題も大きいですし、大人の持って行き方にも課題があると思います。
こうしたことを何とかするのは時間がかかりそうです。