LHRで何か遊ぼうと思ったら、卒業生を送る会の
アーチを作るんだ、と言うことで
1人蚊帳の外。
全部クラス会長と、元気な女子生徒が仕切ってくれました。
なんだか生徒が遠いところに行ったみたいで寂しい思いをします。
今の生徒とは中1からの付き合いで、もう5年が経ちます。
小6で受験をしにきた時からずっと見ていました。
教員なしでは何もできなかった時期もありましたが、
今では、全自動で色々行ってくれます。
(もちろん、不十分な点もたくさんあります。)
だんだん手がかからなくなっていく姿を見ると、
たくましくもあり、寂しくもあります。
お互いに教員離れ、生徒離れの時期なのでしょう。
LHRの時間は1人で空を見ながらそんなことを考えていました。
本校をはじめとした、一貫校の生徒は6年間学校に通いますが、
その中で毎年担任が変わる経験をする生徒もいると思います。
それも刺激的で良いと思いますが、「一貫教育」の強みは薄れます。
私はずっと担任をしているため、生徒のいい点、悪い点もある程度は把握しています。
そして、生徒たちもまた、私のいい点、悪い点を把握してくれています。
なので、状況や状態の理解把握は早いです。
しかし、これが社会で通じるかと言われたら、概ね通じないと言うのが回答でしょう。
多感な時期に出会う人間が限られてしまうと、その視野は広がるのか、という疑問もあります。
理屈をこねる前に、私が早く生徒から自立すべきなのです。
分かってはいるのですが…