大好きなドラマ、「Dr.コトー診療所」を借りてきて、気分が上がっている西です。
Dr.コトー診療所、あなたは見たことありますか?
見たことがない人のために、簡単にあらすじを説明すると、
舞台は本土から遠く離れた小さな島。ここは昔から住んでいる人しかいないような小さな小さな島です。
本土からも船で数時間かけないとその島にはいけず、もちろん空港もありません。
でもとっても自然が溢れるきれいな島です。
そんな小さな島ですから、人と人の距離がと~っても近いんです。
島の中で顔と名前が一致しない人はいないし、みんなとっても仲が良いし、例えば自分の家の子でなくても叱ったりする。
今の日本は村や団地という小さなコミュニティですら社会の最小単位ではなくなってきています。
個人が優先される、そんな時代ですからその光景を見ているだけで、なんかほのぼのします。
で、そんな小さな島ですから、「普通の医者」というのが居たことがないんです。
大学すらない小さな島ですから、医者は本土から呼び寄せる形になるんですけど、良い医者はこんな離れ小島に来ません。
酒浸りになったりする、いわゆる「ダメ医者」しか居たことがないんですね。
だからたくさんの島の住人が、「医者」そのものを毛嫌いしているんです。
当然です、中には「お母さん」を見殺しにされた人もいますから。
そこに、Dr.コトーこと、とっても腕の良い後藤健介先生が本土からやってきます。
今まで腕の良い医者なんて来たことがありませんから、もちろん隠れた理由があるのですが、それはネタバレになるので伏せておきます。
そのコトー先生と、医者を毛嫌いする島の住人たちとの心の距離が近づくまでを描くとても暖かいドラマです。
良くも悪くも、現代日本が無くした感覚がエンターテインメントとして描き出されています。
そしてその中で、ある小さな男の子がコトー先生に憧れて、医者を目指します。
もうね、この島で医者を目指すというのは、本当に本当に大変なことなんです。
そもそも、医学部に進学できるような教育機関は何一つそろっていません。
田舎の学校があるだけ。
だから、本土に行って、中学受験をしなければなりません。
それだけでも大変なのに、中学受験をするための塾も存在しませんから、小さな離れ小島で一人、勉強に励む姿も描かれています。
小学生が、一人で(周りのみんなは自然と一緒になって遊んでいます)、受験と闘うんです。
これって、想像以上に大変なことだと思います。
以前も書きましたが、勉強における「環境」というのは、とっても重要な要素の一つです。
周りが勉強しているような環境であれば自分も勉強しようと思えますが、もし逆の環境であればそれは容易ではありません。
人は易きに流れる生き物ですから。
はい、ここでようやく本題に入りますね。
そんな中、その子の勉強を支えたものは何なのか?
それは、「目標」です。
コトー先生のような医者になりたい、その目標が彼を劣悪な環境(あくまで中学試験合格を視野に入れた場合のことですよ)の中でも勉強に突き進ませるんです。
あの先生のようになりたい、あの先生みたいに大好きな島の人たちを救ってあげたい、そういう目標があるからこそ、多少くじけることがあっても、続けられるんです。
しかし、この目標という言葉、何度も耳にしていて、嫌気がさしているかもしれませんね。
この目標という言葉は、曖昧で勘違いもされやすい言葉です。
みんな、目標高校を設定して勉強するんですけど、ちょっと成績が上がらないと、すぐに悩んだりします。
例えば、○○高校に行きたい!とかいうんですけどね。長続きしない。
そのドラマの子だって、同じ○○中学校に行きたいと言っているのに、その違いはなんなんでしょうか?
それは、「単なる”希望”」なのか、「熱意に支えられた”目標”」なのか、の違いです。
ちょっとうまくいかないと勉強をやめてしまったり、そもそも勉強する気になれない生徒の言う、
「○○高校に行きたい」というのは、実は目標ではないんです。単なる”希望”です。
行けたらいいなぁ、という軽い気持ちだったりします。
あえてドライな言い方をすれば、「お昼ご飯にカレーが食べたいなぁ」と同じレベルなんです。
だからもし、カレーを食べに行くまでに渋滞に嵌ったりすると、面倒くさくなって、違う店でもいいやってなっちゃうんですよね。
一方、単なる希望ではなく、それが熱意に支えられた”目標”だと全く変わってきます。
もし、そのカレーを食べたら病気が治る、とか
そのカレーを食べたら借金が無くなる、とか
そのカレーを食べたら好きな人と付き合える、とか
まぁカレーを食べたくらいでそんなことはあり得ませんが、でもそうだとしたら、ちょっとした渋滞に嵌ったとしてもカレー屋さんまで行くと思うんですよ。
それは、コトー先生みたいになりたい、コトー先生みたいに島の人たちを救ってあげたい、と同じこと。
だから、目標の高校を設定する時は、しっかりと熱意を持ちましょう。
「なぜその高校に行きたいのか」という理由を探すのです。
そしてこの熱意は、「美しい」熱意でなくても一切構いません。
誰かの役に立ちたいとか、誰かの力になりたいとか、そんな美しい理由でなくても全くかまいません。
というか私は、そうじゃない方がいいと思っています。(いや、美しい理由でも、もちろんいいんですよ)
だって中学生の時期って、自分にとって楽しいことが目につく年頃じゃないですか。
だから例えば、
・○○高校に行けば、好きなあの子と一緒な高校に行ける!
・○○高校に行けば、イジメてきたあいつらと縁が切れる!
・○○高校に行けば、家が近いからギリギリまで寝ていられる!
そんな理由でいいんですよ。
もちろん、自分が望んでいないとダメですよ。
ちなみに私が高岡南高校を目指していた頃の熱意は、「家から近い」それのみ。
北海道大学を目指していた頃の熱意なんて、「うちの高校から進学した生徒が一人もいない。てことは、俺が合格したらヒーローじゃん!」でした。
私の高校3年生なんて、人生最大の勉強時間を費やした一年間でしたが、私の勉強を支えてくれたのは、ヒーローになりたいという自分勝手な理由です。笑
でもね、それでも、それだからこそ、頑張れたんですよ。
学校から帰ってきたら寝るまで勉強したし、休日は朝から晩まで勉強したし、学校の授業が意味ないと思えば怒られるのを覚悟で無視しました。
どうすれば成績が上がるのか、どうすれば集中して勉強できるのか、たくさん頭も捻りました。
数年経ってから親からは、当時の私の姿を見て、「勉強しなさい」とか「もっと頑張りなさい」なんて言葉は言えなかったと言われました。
この北海道大学という目標が単なる”希望”だったら、絶対にここまでやれませんよ。
ヒーローになりたいという”熱意”に支えられたからこそ、ここまでやれたんです。
それは、自信を持って確信をもって言うことができます。
だから、これを読んでいるあなたも、単なる希望ではだめですよ。
あなたにしかない熱意に支えられた目標を持ってほしいんです。
再三言うように、その熱意は美しい必要なんて全くありませんから。
一度、自分の胸に問いかけてみてくださいね。
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