目の前にいる人の
話を聴いているだろうか
その人は、本当は
言いたいことがあるのに、
言わせることをせず、
私のジャッジを
押しつけてはいないだろうか
その行為の裏には、
期待が隠れている
「こうであってほしい」
と。
しかし、この期待は、
どこから生まれてきているのだろうか?
私の中に
埋もれている何かがあるのかもしれない
そのときの自分も
言えないことを押さえつけれて
苦しいのかもしれない。
小さな頃は、もっと純粋だった。
でもどこかで、本来の自分を出せなくなって、
植えつけれられてしまった苦しみがあるのかもしれない。
その苦しみは、
ほしかったものなのだろうか?
いらないなら手放そう。
目の前の人の
苦しさ
そこを感じてほしい
それが、
私自身の心の苦しみを
癒やすことにもつながる。
「目の前の人の話を聴いていますか?」